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理系女と文系男/第8話;正真正銘のバカ

高一も一学期が終わり、夏休みも通り過ぎて、二学期を迎えた。

本来なら、ここで私の演劇部員としての最後の劇について描くべきなんだろうけど、これはケイとの思い出の記憶なので割愛する。

文化祭が終わり、私は自分が台本を書いた劇を見届け、演劇部を去った。

今から書くのは、文化祭が終わった次の週にあったことである。


私は数学の質問をしに、職員室を訪れた。

「ピー先生、すいませーん! 質問いいですか?」

ピー先生はアラサーくらいの先生で、眼光が鋭く見た目が怖い先生だった。

ピー先生は口が悪くて人の頭を平気で叩くので、ピー先生を嫌っている子は少なくなかったが、私は大好きだった。今でも最も尊敬しているのはピー先生だ。

因みに、第3話で「高校から入って来る奴らに抜かれるぞ!」と熱弁していた先生…とは別人である。

「またかバカ女。何処まで考えた?」

ピー先生はヘラヘラ笑いながら寄って来た私を、ぶっきらぼうに出迎える。

口こそ悪いが、対応は誠実だ。この時もやっていた作業を中断して、すぐ私に対応してくれた。そして余っていた背凭れ無しの回転椅子を持って来て、それに私を座らせるという気遣いもできる人だった。
この日も、ちゃんと対応してくれた。

先生から一通りの説明を受けた後、私が職員室を去ろうとした時、ふとピー先生は私を呼び止めた。

「そう言えばお前、演劇部を辞めて西野たちと作った部に入るんだってな。演劇部の顧問の竹林先生が残念がってたぞ」

この時、私は椅子から立ち上がろうとしていたけど、この会話に応じる為、もうちょっと座っておくことにした。因みに、西野とはケイの名字である。

「えーっ。チクリン先生、納得してくれてたハズなんだけどなぁ…。いつまでも、私ばっかりがホン書く訳にもいかないし…」

ピー先生とそんな会話をしていると、通りかかった別の先生もこの会話に入って来た。

「まあ、生徒が“やりたい”って言ったことは止められないからね。だけど本音は違ったんだと思うぞ」

絡んで来たのはカブト先生。私たち以外でケイが親しくしている数少ない人物の一人で、文筆部の顧問候補にも挙がった人だ。生憎、非常勤講師という立場なので、学校のルール的に部活の顧問にはなれなかったが。

「でもまぁ、まりかは本当に西野と仲が良いからなぁ。20年後、夫婦になって同窓会に来てそうだもんな」

カブト先生はそんなことを言ってきた。この発言、少し前の私だったら苦笑いしてスルーしていたが、この時は変に反応するようになっていた。

(夫婦!? ケイと私が結婚するってこと!? 私、【西野まりか】になるの!?)

私は思わず、モーニング姿のケイとウエディングドレスを着た自分を想像してしまった。すると、ピー先生から鋭いツッコミが入った。

「ニヤニヤすんな、バカ女。気持ち悪ぃ」

ピー先生に言われて、私は我に返った。するとピー先生は、続けて私に質問してきた。

「で、竹林先生も気にされてたんだが。お前、来年の文理選択はどっちにするつもりなんだ?」

高二になったら、クラスは大きく文系と理系に二分される。文系か理系、どっちに進むのか?
高一の二学期になると、こういう話題が上がるのは当然だった。

ピー先生の問に対して、私は即答レベルで答えた。

「理系ですよ」

私の返答を受けて、ピー先生は殆ど表情を変えなかったけど、カブト先生は驚いていた。
一番大きな反応を見せたのは、いつの間にか近くに居た文筆部の顧問の先生だった。

「えーっ!? まりかさん、文系じゃないの!?」

顧問の先生の声が聞こえた瞬間、私は素早く足を閉じて、胸元に抱えていたノートと問題集を膝の上に置き、ふとももを隠した。
ガードを固めてから、私は先生方に選択の理由を話した。

「姉が理系にしてくれって頼んで来たんで。本当はどっちでもいいんですけど、文系にしたら両親が法学部しか許してくれないから、なら理系でもいいかなって…」

このふざけた理由を私は抵抗なく話した。カブト先生と顧問の先生は明らかに凍り付いていたけど、私は二人がそんな反応をする理由が解からなかった。
私が首を傾げていると、ピー先生が激しめの言葉を投げ掛けてきた。

「“数学が得意だから理系”とか“戦隊のロボを設計したいから理系”とかホザくのかと思ったら…。お前、正真正銘のバカだったんだな」

ちょっとビックリした。
ピー先生にバカと言われるのは慣れていた。だけど何だろう? この時のピー先生の口調には、「心底呆れた」という気持ちが籠っているように感じられた。

「バカ女なりに芯のある奴だと思ってたが、見当違いだったみたいだな」

ピー先生の言葉は冷たかった。この時、一緒に似たカブト先生と顧問の先生がどんな顔をしていたのか、私は確認する余裕すらなかった。
泣き出す程ではなかったけど、それなりに堪えた。


「姉が理系にしてくれって頼んで来たから、理系にする」

この発言を説明する為には、私の生育環境や家庭環境を説明する必要がある。

姉の【さき】は第一子としての責任感が強く、妹の【まりか】の模範であろうとする意志の強い人だった。容姿以外の全ての面で、【まりか】より優れていなければならないと、自分に課していた。

姉がそんな風になった主な原因は、私が四歳の時まで父の仕事の都合で【凄く寒い国】に住んでいたことが影響しているのだろうと、私は思っている。

そこの国で、姉と私は父の職場に敷設された保育園的な所に通っていたが、アジア人は姉と私を含めて三人しかいなかった。子どもの中のカーストで、私たち三人のアジア人は最下層に属していた。
私はあんまり憶えていないけど、かなり風当たりは激しかったらしい。アジア人の中で一番年少だった私を守る為、姉は奮闘していたらしい。

加えて、私の両親は二人ともヤバい人だった。
特に父は
「日本人は三種類。高卒、大卒、東大卒だ!」
などと未就学児に言うくらいには、ヤバい人だった。理由は知らないけど、法学部以外の学部をやたらとバカにしていた。
父は姉に、他人様から「賢い子」と言われることを強く求めていた。

ところで私は、右手でまともに字が書けなかったり、サ行の発音がおかしかったり、父からすれば絶望的な人だった。

嘆く父に母は言っていた。
「まりかの方が、さきより可愛い。凄く上手く遺伝子をシャッフルできたと思う。私は、まりかをアイドルにしたい」と。

そんな訳で私は、一定の年齢になったら日本の芸能事務所のオーディションを受ける予定になっていたのだけど…。

日本に帰国した後、私は左手なら真っ当に字が書けることが判明した。サ行の発音も改善された。小学校に入る直前には、漢字で住所が書けるようになっていた。
かくして私のアイドル路線は変更され、姉と同じような道を進むことになった。

それから父は、頻繁に姉と私を比較するようになった。
「国語は、さきの方ができる。算数は、まりかの方ができる」という具合に。

しかし結局、私は元々アイドル路線だった影響か、学業や進学に関して父から強く言われることは少なかった。姉と比較すれば。

やがて姉は私立の女子校に進学した。中高一貫校で、私たちの住む地域では偏差値ランクでトップの学校だった。
この学校を経て東大の法学部に進むことを、姉は父に課せられていた。

姉に遅れて、私も私立の中高一貫校を受験することになった。当初、父の意向で姉と同じ学校を目指すことになっていた。
しかし、ここで姉が反発した。と言うか、私に懇願してきた。

「お願いだから、別の学校に行って! もう比較されたくない」

小学生当時の私は、姉がどうしてそんなことを言っているのか理解できなかった。
そして「トップ校への進学こそ全て」としか思っていない父が、そんな理由でも志望校変更を認める筈がなかった。

しかしここに来て、母の意向が働いた。

「さきの学校の制服はダサい。まりかには、もっと可愛い制服を着せたい」

かくして私は姉とは、違う私立の中高一貫校を目指すことになった。共学で、偏差値的には姉の学校より若干劣る学校だった。その学校こそ、この話の舞台になっている学校だ。

取り敢えず、姉の要望は通った。私も可愛い制服が着れて嬉しかった。ウィンウィンだった。
しかし違う学校に通っても、父は姉と私の比較を続けた。私は何とも思っていなかったが、姉は苦痛だったらしい。

そして私が高一の夏休みを迎えた時、大学生になって親元を離れていた姉は、帰省してくるや私に言った。

「頼むから理系にして。文系にしたら、まりかも東大の法学部を目指させられる。比較されたくない。あの人が全く知らない、理系の学部を目指して」

中高一貫校を受ける時と同じだった。私はそれをすんなり聞き入れ、それを先生に話した。

そうしたら、ピー先生に【正真正銘のバカ】と言われたのだった…。


どうしてピー先生に【正真正銘のバカ】と言われたのか、当時の私は理解できなかった。

それ以前に、どうして姉が「比較されたくない」と訴えて来るのかすら、当時の私は理解できなかった。


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