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1年前、唯一知っている日本語は「おばあちゃん」だった

 長女Tの日本語について書きたい。娘は3歳、ベトナム生まれベトナム育ち。幼稚園も地元の普通の幼稚園。ベトナム北部の地方都市で、外国人を見かけることがまだ少ない地域である。
 Tがタイトルの状態から日本語学習というものを始めて7か月ほど経とうとしている。文字の読み書きはまだノータッチ、発話も少ないが、既に私が話す日本語がだいたい理解できるようになった。

ベトナム語育児の結果、日本語能力ほぼゼロ

 Tを出産してから、ベトナム語で育児をしてきた。家庭で日本語をほとんど使ってこなかった。ベトナム人のコミュニティの中でベトナム語を使うのが自然だと思っていたし、元々は別に子供に日本語を話してほしいという希望もなかった。2023年時点でTが知っている日本語は、「おばあちゃん」のみ。私の母と旦那の母と区別するためにそう呼ばせていた。どことなく、環境が環境だからと、この子は日本語を話せないだろう…と私の中で決めつけてしまっていたのかもしれない。

日本語学習を考えたきっかけ

 次女が生まれ、日中Tと過ごす時間がとれなくなり、いつからか、次女が寝入った夜に母子2人水入らずで話すことが増えた。
 ある夜、
「あの歌歌って」
「なんの歌?」
「あの歌。"おやすみTちゃんのおめめ~"の歌」

"おやすみTちゃんのおめめ~"の歌とは、私が過去に何度か歌って聞かせた日本語の子守唄であった。会話はベトナム語であるのに、Tの口から日本語の歌詞(おやすみTちゃんのおめめ~)が出たのである。もちろん、Tは歌詞の意味を理解していないだろう。今まで私が数えるほどしか歌ったことない子守唄を覚えていて、その一部を音の羅列としてでも歌えたことに衝撃を受けたのだった。

 子供は吸収が早いということを実感し、日本語を教えてみたらどうなるのかな?という単純に興味を持った。それがTの日本語教育を真剣に考え始めた初めの一歩である。

日本語レッスン開始

 かじった程度であるものの、昔日本語を教えたことがある経験から、日本語を教えるのことは容易でないと認識していた。子供に対してだと尚更である。地元で子供に日本語を教えられるベトナム人を探してみたが、幼児に教えた経験を持つ人はいなかった。3歳という年齢を考慮して、テキストベースの教育は絶対に難しい、遊びながら学べる教室が理想だった。
 2024年春、子供向けオンライン日本語レッスンをしている会社に出会った。オンラインレッスンは3歳という年齢ではベストではなかったが、私以外の日本人に会うことが刺激になると考え、週1回の1対1レッスンを受講し始めた。正直、レッスン料は現地採用の安月給の私のお財布にはちっとも優しくなかったが、ものは試しである。ゆる~く日本語に触れてもらえればそれでいいと思った。

ほぼ0の状態から子供はこうやって学んでいく

 日本人の先生による日本語での日本語の授業。かわいいパワーポイントや動画などを駆使して、視覚によって意味と単語を紐づけるアクティビティから始まった。最初は、色・動物など。名詞は紐づけしやすいが、視覚情報だけでは形容詞の理解が難しい。その言語のその形容詞の本質の意味を理解するのがどんなに難しいか、よく想像ができる。ただし、今はまだそこまで深く考えなくてもいいレベルかなとも思う。

 担当の先生がよく褒めてくれるので、Tもやる気を出してきたようだ。単語をすごいスピードで覚えていった。授業は私も同席するのだが、教える時の声掛けや、生活の中で自然に復習できる工夫について、毎回大変勉強にる。先生が授業で使った動画や新しく出てきた単語を、普段から意識して使うようにすることを心がけると、言葉の定着が早いことがわかった。あと、Tにとって覚えやすい単語、覚えにくい単語というのがあるのが興味深い。例えば、同じボディーパーツでも「あたま」はすぐに覚えられたのに、「はな」がなかなか出てこない。私のベトナム語学習を時代の姿を、Tに重ねて見たのである。

母子2人を褒めて伸ばしてくれる先生

日本語育児への船出

 日本語オンラインレッスンを始めて半年ほど経った頃、先生にイマージョン教育(=日本語にどっぷり浸かる教育)の提案を受けた。ようは、普段の生活も日本語のみでコミュニケーションをしてはどうか?ということ。去年までベトナム語で育児してきた私と、私がベトナム語を話すのが常識だったTにとって、新しい挑戦になる。

 イマージョン教育を始めて、Tは不服そうであった。「日本語なんてわからない、お母さん(私)ベトナム語で話して」と何回か言われた。単語がいくつかわかるとはいえ、生活の中で使う言葉は様々で、相当混乱したのではないかと思う。私も家で日本語を話す癖がなかったため、慣れるまで大変だった。例えば、「サンダル履いて」と私が言う、Tは理解できない。私はサンダルをもってきて、「サンダル」という。すると、Tのほうで「履いて」の意味を想像して、履いてくれる。こういう感じだ。Tは、最初は私の言う指示やお願いの内容を精一杯考え、想像して、だんだんと言葉の紐づけができてきているのだと思う。
 日本語育児に転換して、Tが日本語を理解しているな、と実感できる瞬間が増えた。この感動を、日頃の生活の中で忘れないようにしたい。日本語ができることが当たり前だと思わない、多くのことを一度に求めない。機嫌を損ねず日本語と付き合ってもらうには、私の気持ちが先走らないよう、気を付けなければならない。

まだ始まったばかり、焦らないで

 発話については、ゆったりかまえようと思う。私が日本語で話すと、8割ベトナム語で返ってくる。それもそのはず、ベトナム語のほうが語彙も断然豊富で、自分の伝えたいニュアンスを伝えられ、脳で単語を1つ1つひねり出さなくてもいいからである。私は、またそこに昔の自分を重ねる。発話を促すのは工夫が必要だ。日本語を話す必要性がない環境にいる限り、スピーキングは課題として残り続けるだろう。

 今後、小学校に上がる前に文字の読み書きにもチャレンジしてほしいなと思うが、あくまで本人の反応を見て調整したい。
 自分の好きなことにしか学びへのベクトルは生まれない。ゆっくりと、どっしり構えて、コツコツと。バイリンガル育児初心者である私への戒めである。

追伸.
朝、Tから薬を学校に持って行っていいか、と聞かれた。
「(日本語で)何ていうの?」と聞いたら、
「くすり、ようちえん…」とでできた。
これが文章になって、Tの口から出てくる日が来るのかはわからないが、Tの中に出始めた日本語の芽たちを静かに見守っていきたい。


 

 

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