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料理を一切しない夫が鍋を出汁から作るくらい料理しだすまで②

の続きになります。

夫は変わりました。

変わるのに5年かかりました。


夫は夕飯にこだわる。

私は夫の夕飯作りが負担になっており、

夫にもそう伝えた。

夫と話すなかで、当然だが、
夫の価値観と私の価値観は違うことに気づいた。

夫にとっては、夕飯は毎日の楽しみであり、それを楽しみに一日頑張っている。朝ごはんや昼ごはんを食べる時間が無ければ、食べない時もある夫。

夫の幼少期は、共働きで母が帰りが遅く、夕飯も遅くに食べていたそう。母の手作り料理を食べる時間が唯一の家族団らんの時間だったと。おそらく、その経験から、夜ご飯を楽しみに頑張る考え方になったのだと思う。



私にしたら、知らんがな。
大人だから、朝も夜も自分で作れぇ。

と思う。

しかし、
私の価値観だけ押し付けるのは、頑張っている夫の為にならないとも思った。

おそらく、話してみないと私の思いはないがしろにされていただろう。現状を変えることも無かっただろう。

私自身も、子どもにも栄養のあるご飯を食べさせたいと思っていたので、料理の上達は必須だと思っていた。

そこからは、試行錯誤を繰り返した。
2人でネットで冷食を頼んでストックしておく。
時短で出来るご飯をインスタや本で知りひたすら実践する。
夫を連れ出してスーパーで買い出しに行き、子ども連れでの買い出しを嫌でも経験させた。
ふるさと納税で、鶏肉のストックをしておく。

働き出してからは、宅配のサービスを利用したこともあった。

当時はヤケクソになって何で私だけ料理をしないといけないのかと思いながら料理をしていたが、
今思えば、その経験があるから無駄が省け、
私の料理の幅が広がり、スキルも上がった。

よく、
人を変えるには、まず自分を変えなさい。
と言うが、

まさにこれだ。

料理のスキルを上げる。
ご飯で、この味最高!と思わせる。
それだけでもこちらの勝利なのだ。


もしかしたら、5年間という時間は私が料理を習得するのにかかった時間かもしれない。

外食をしても、料理が上手くなりたいと思うと
不思議とこの味は何を使っているか考える。

こんな味付けなら子ども達は食べてくれそうなど。

義母の料理を食べると、どうやって作るのか聞いてしまう。

私自身の料理のスキルが上がったら、料理のハードルが低くなって、生活のクオリティがこんなにも上がるのか、と実感した。

人を変えるのは無理な話だし、
勿論パワハラやモラハラには応える必要はない。
夫も一緒に私が料理が楽になるように、買い出しに協力してくれたり、冷食を頼んでくれたり、宅配サービスのお金を出してくれたり、彼なりの努力をしてくれたから、私も夫...いや子どものために料理を努力できたと思う。

これで、文句しか言わない夫で行動もしなかったらとっくにおさらばだ。世の中一から出直してこいってことだ。夫婦関係でも変わろうとせずあぐらをかいているのは、信頼関係を無くす。

作ってくれる料理が美味しくなったら、
おまけに夫が料理をしだすこともある。
おそらく、

あの味が食べたい。
→現実的に作る人がいない
→食べたい。自分でも作れないか。
→調べる。
→意外と自分でも作れるかもと作る過程を学ぶ。
→夫がよし、やろう!
となったのではないか。

そして、作った料理を子ども達や妻が喜んで食べる。自分でも美味しかった→次も作ってみよう。
のサイクルで料理をするようになる。


最悪、夫が料理しなくても、自分についた料理のスキルは一生涯のものになる。無駄ではないのだ。

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