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『欲望』の肉の味に心奪われ、気が付けば……

無駄な時間は過ごすまいと思いながらも、目の前の欲望という肉汁滴る肉に喰らいつき、一時の楽しみに心奪われ、気が付けば夕方だった――。

そんな日を何度か送ってきました。経験している人も多いことでしょう。

『わかっているのにやめられない』
どっかで聞いたようなフレーズを何度もくり返してしまう自分に、愚かさや嫌悪感を抱きがちですが、ネガティブな感情を生み出したところで、現実が変わるわけでもない。ただの慰めにしかならない。だったら、次の瞬間をどう変えていくかに意識を向けることのほうがよっぽど意義あることではないか。
そう思えるようになったのは、ここ数年のことだったと記憶しています。ほんの少しずつでも成長しているのだなと、自身の心境の変化に少し誇らしさを感じます。

無駄な時間は人によって意味が異なるでしょうが、私の場合、結局何をしていたのかわからない時間、あるいはあとから振り返ったときに、その時間を使ってやれたであろう事柄にあてずに、無為な時を過ごしてしまったときです。思考停止の状態でただ目の前に流れてくる動画を見てしまったり、計画していた事柄を差し置いてスマホをいじってしまったりと、振り返ると、壊れた蛇口のように忘れたい記憶が勢いよく流れ出てきます。

人はきっと怠ける傾向が強いのでしょう。一人ひとり性格が異なるように、誘惑や欲望の肉の匂いを振り切って自分の意志を通せる人もいるのでしょうが、多くはやっぱり楽なほうに流されてしまうことのほうが大多数だと思えます。
怠けてしまったことを振り返ると、悔いという針で心が刺されるように苦しいけど、さらに自己嫌悪という針で自分を傷つけるのは良くないことだと思います。それをしてしまうと、もっと自信をなくしてしまうし、立ち上がるエネルギーさえ失いかねないことにもなる。自分の経験を通してそう思えます。
怠けるより怠けないほうがいいに決まっているけど、人が生きていく上でミスをしてしまうように、避けようと思ってもなかなか避けることが難しい事柄なのでしょう。
大事なのは、次に何をするかだと思います。次に起こすアクションによって怠けるという未来は変えられるし、変わった未来から振り返れば、怠けてしまった経験は、同じようなことで悩んでいる人に寄り添える力に変わる。そう思えば、怠けてしまった時間の意味も変わるでしょう。そのことを私自身忘れないようにしたいです。

時間は自分が思っているほど長くはないのだと、最近日常生活を送る中で痛感します。年を重ねるごとに、過ぎる時間の速度は速く感じるし、子どもの頃に比べると、その速度は何倍、いや何百倍にも増している。気が付いたときには、晩年を迎えていることにもなりかねません。
そう考えると、過ごす時間を自分にとって意味あるものにしたい。振り返ったときに、何をしていたのかわからないといった時間にしてしまっては、ものすごくもったいない。
大切な時間を刻むためにも、自分の中での明確なビジョンとかゴールを常に忘れないように心がける。そうすれば、多少の誘惑や欲望の肉が目に入っても、喰らいつきたい欲求が湧くことは少なくなるでしょうし、そうした欲求が限りなく少なくなれば、自分の自信にもなるはずです。そうであってほしい。

明確なビジョンという言葉で思い出すのは、イチローさんが小学六年生で書いた作文です。小学六年生であれほどの明確なビジョンを描けるのかと、初めてその作文を読んだときに驚きました。読んでいない人がいれば、ぜひ読んでみてください。ネットで簡単に読むことができます。
自分が小学六年生のときはどんなことを考えていただろうか――。
思い出した瞬間、記憶の蓋を瞬時に閉めたくなりました。
描くビジョンの鮮明度が高ければ高いほど、ぶれることは少なくなるし、過ごす時間も自分にとって意味あるものにしようと思える。イチローさんの作文から学ぶことは多くあります。
学んだことを活かしていける人でありたい。
明確なビジョンを胸の中に描き、この瞬間から行動に移していこうと思います。

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