熱かった先生の言葉_230912_#67
中学生の頃の話。
□新鮮だった1年生が終わり、
2年生になって担任の先生が替わった。
何だか背が高く、髪型がオールバック気味の時もあり、威圧感がある。
バスケの顧問をされているようで、いつも紺のスポーツウェアを上下に着られていた。
小学生の時はさほど気にしなかったが中学生になると反抗期もあり、それも影響したのか、先生が叱るシーンが増えたのを覚えている。
先生も向き合うのに必死なのだろう、叱るというより切れながら叱っていた記憶が強い。
その先生も何に対して怒っていたのかもう覚えていないが、クラスの態度がだらけていたり、ここぞという時は目を怒らせ、
『・・・・。あほっ、ボケっ!』みたいな、汚い言葉も吐かれていた。
□いつだったか母親が懇談会らしきところで
その先生と話しや相談をしたらしく、ある時その内容を先生が私に伝えてきた。
引っ込み思案でおとなしめで目立たなかったと思うが、そのような気弱な性格と障害をもつ家族がいる事も含めて、私の将来を憂い心配していると云う内容だったのではないかと思う。
先生は私に対し、真剣なまなざしと静かな口調で、
『乗り越えなアカンで!、前に出ていかなあかん!!』
みたいな内容の言葉を伝えてくれた。
それを聞いた時、言葉の背景や何故そのような事を云うのか理解できない部分もあったのだが、
何故かジーンとしてものすごく体が熱くなったのを覚えている。
先生の持つ情熱、その言葉の熱さに私の心が震えたのだ。
□そこからクラスのHR委員やなんとか委員をやるようになった。
必然的に前に出ざるを得ない環境に、置いてもらったのだと思う。
その先生は行事に真剣で、体育大会や秋の合唱コンクールみたいなものも必死で、一番や代表選出を取りに行く姿勢を常にみんなに見せていた。
口だけではなく、実際代表にも多々なれて、クラスが盛り上がらないわけはなく、自分も一員として楽しかったことを覚えている。
ありがたい事に、3年生になってクラス替えになった時も引き続きその先生が担任になった。
私は友達の影響もあり、引き続きクラスのまとめ委員をさせてもらいながら、その熱い先生と一緒に中学時代を過ごす事が出来た。
今思えば、あの時の先生の言葉や情熱が無かったら、それほど前向きに進んでこれなかった
気がする。
あの時の言葉により、逆境になっても自分を奮い立たせることができた。
今振り返ると、自分の人生に大きな影響を与えて頂いた、大事な恩師だった。
〈今日の気づき〉
・今になって、人生を見つめ直しOSを書き換える
為、良い言葉を集め始めている。
しかし過去に自分がもらった大事な言葉を
忘れてしまっては無いだろうか。
言葉が自分を形成し、言葉によってなりたい
未来を手に入れる。
そんな過去の言葉も大事にしたい。
最後まで、お読みいただき
ありがとうございます。
明日もみなさんにとって
大切な1日となりますように!!
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