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子ども3人、養育費なし、シングルマザーはどう生き延びた?

離婚したのは長男6歳・次男4歳・長女2歳のとき。

DV夫から逃げるように離婚したので養育費や慰謝料はなし。
いや最初の約束では養育費はあったのだが半年も経たずに終了した。
公正証書を作っていたので請求はできたかもしれないが、関わりを持つのが嫌だったし、養育費という繋がりを持ちたくなかった。
払わないだろうなと思っていたので請求もしていない。

ではなぜ公正証書を作ったのかといえば、私の両親を安心させるためだった。
大反対していた結婚なのにDVで離婚だなんて。
元夫にも私にも怒りを感じていただろう。
しかし、ガリガリのボロ雑巾のようになった私を責めることなく受け入れてくれた。本当に感謝している。
「養育費は貰うから安心して。もう迷惑かけないから。ホラ!公正証書も作ったし!」という私の意思表示であった。
なので、もしかしたら両親は養育費をもらっていると思っていたかもしれない。

実家に戻り数ヶ月。母親の体調があまりよくなかったのもあり、引っ越すこととなる。

そりゃそうだ。
孫とはいえ、生まれてから数回しか会っておらず、あまり関わりを持たなかった2・4・6歳の子が転がり込んだんだもん。
体調のすぐれなかった母にとったらストレスがかかってしまっただろう…。
申し訳なかった。

実家にいる数ヶ月、私はなにをして過ごしていたんだろう。全く記憶にない。
刈られた髪がみっともなくていつも帽子をかぶっていたような気がする。
刈られたお話はコチラ↓↓


そんなわけで。県営住宅に応募して引っ越した。

県営住宅では13年間過ごした。
長男6歳から19歳。次男4歳から17歳。長女2歳から15歳。

県営住宅での13年間が私のシングルマザーライフの要である。

25年も前のことなのでいろんな出来事がごっちゃになっているのだが、覚えている限り記録しておく。

子ども達との生活のためにしてきたこと。

①運転免許をとりに行った。
保育施設がある教習所だったので、毎回ではないが子ども達を連れて通った。
②老人ホームで働き、数年後看護学校に進学する。
詳しくはコチラ↓↓

③准看護師の免許を取得後、総合病院でパート勤務。
④同時にコンビニや、男性にお酒を注ぐ場所でも働いた。
⑤私の進学や家族の生活には県や市の福祉資金を借りまくった。
⑥夜勤ができるようになってから総合病院で常勤となる。
⑦子ども達の進学には国の奨学金、銀行の教育ローン借りまくった。


生活を支えるためにしていたことはこんな感じ。
貯金はもちろんないし「ヤバ。お給料日までどうするか…」みたいなことは度々あった。
日々の暮らしや毎年のようにやってくる子ども達の入学や卒業、それらをこなす事で精一杯であったような気がする。


⑤は返済完了し、⑦は今も返済している。子ども達自身も返済している。
「借金ばっかり抱えて悲惨!」って思われちゃうかもしれないが、私は「やった!これで進学できる」「進学させてあげられる!」「借りたもんは返せばいいのだ」としか思わなかった。


こーんな感じで、子ども3人養育費なしのシングルマザーは生き延びました。
幸せです。

付け足し。
月数万円の養育費があったら、経済的なプレッシャーや子ども達にかかる負担がほんの少し減ったんだろうな…と思う。
子ども達の権利が当たり前に施行される世の中になって欲しい。


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