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写真を撮るように

1枚の写真を撮るように些細な日常生活を切り取ろう。2、3分後には忘れてしまうようなことを記録に残そう。小さな発見や気づきをこのnoteに書いていこう。
小さな積み重ねがやがて大きな記録となって歴史になるかもしれない。
平和な日常こそが大切な宝物なのだから。

有名人でもない、普通の一般人の些細な日常など誰の興味もわかないかと思う。
普通の日常を生きている人はそこいらへんにいっぱいいる。

しかしながら、普通の日常とはどんなものだろう。
不治の病におかされている人には普通の日常ほど尊いものはないかもしれないし、普通という概念もどこまでが普通なのかは人それぞれ違うだろう。

朝起きて、食事をして身支度を整えて仕事に行き、昼休みに食事をしてまた午後から仕事をし、疲れて帰ってきて、食事をしてお風呂に入って寝る。

普通の人なら当たり前に繰り返している日常のリズムである。
平平凡凡のありきたりな日常を人はあいもかわらずに生きている。

健康に生きていれば、なんの苦しみもない生活である。
毎日が川の流れのように過ぎ去っていく。
意識をしなければ多くの日常は記憶に残らないものだろう。

そこに小さなライトを照らしてシャッターを切る。
私が書きたいのはどうでもいい些末な営み。

今日もあの人は元気に私に話しかけてくれたとか、お昼に食べたお弁当がおいしかったとか小さな幸せを記録していこう。

他人にとってはなんの興味もわかないささやかな日常が、いつか幸せだったと感じられる日がくると思うから。

人間は死に向かって生きている。誰にでも終わりがある。
普段は日々の慌ただしさに追われ、そんなことなど忘れて日々の暮らしを生きている。

健康とは、
"自分の身体以外のことに意識を向けられる状態のこと"
だと。

がんを闘病している方のことばである。
彼は身体の痛みから日々死を覚悟して生きていた。
自分の身体を無意識化におき、勉強したり、働いたり、なにかに夢中になっていることが健康で幸せなことだと教えてくれた。

私も体調が悪いとき、どうにもならない自分と対面して身動きがとれなくなってしまうことがある。

この言葉はしっくりと私の心に来るものがある。
日々のなにげなく通り過ぎた時間を記録に残しておくことは、なにかに夢中になって健康でいられたことの証拠にならないだろうか。

健康だった日々を振り返り、幸せだったとかみしめようと思う。


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