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一房の葡萄を分ける・・・


一房の葡萄を分ける、皆様もある本の情景が浮かんでくるでしょうか?

一房の葡萄 有島武郎

果たして
私は、登場人物の先生のように、罪を愛でくるみ、僕(罪を犯してしまった人)とジム(わかりやすく言えば被害者)を仲良く繋げる人になれるだろうか。

子どもの頃から読んでいる本だが、また改めて歳を重ねてからよむと、読後感(後味の悪さや希望etc)や読んだ感想が変わってくるから面白い。

特に先生が、一房の葡萄を分けて、主人公とジムに与える場面に心が震える。

※私の勝手な解釈
一房の葡萄を分け合うことは、縁を繋ぎ互いに支え合うことへの諭しのようだ。
今回は、少年の先生への初恋の描写は割愛し、人生の物語として読むこととした。

赦すこと
繋ぐこと
分け合うこと=支え合うこと

赦しと諭しの物語

生きるとは、自分と近しい他者を互いに赦し諭しながら、折り合いをつけ、縁を繋げていくものなのかもしれない。
願わくば、それぞれの折り目(折り合い🟰意見)が互いに納得した形だと、縁で結ばれ、人と人との関係が円になるのかもしれない。

私は、出会えた人とはお互いに相手を尊重し合い、お互い自身を受容して生きていきたい。
出会えた縁に感謝をし、縁を円に出来る人でありたいと切に願った。
※受容は心理学的な意味で使っております。

えん
〖円〗 (圓) エン(ヱン)・まるい・まるさ まどか

かけたところがない。過不足なく十分
「円熟・円満・円融」
〰Oxford Languageasの定義・詳細より引用〰


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