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脳内会議は薄緑色の部屋で

「脳内会議」という表現がある。
たとえばAかBかの選択肢で迷った時、Aのメリットを主張する自分とBのメリットを主張するもう1人の自分とが頭の中で議論する、という漫画やドラマでよくある思考の擬人化だ。

現実においては、もちろんアニメ的なキャラクターが登場するわけでなく、頭の中でああでもない、こうでもないと考えが堂々巡りする体験のことを「今、脳内会議してたわ〜」とライトな感じで言うのだろう。

しかし、変な話、わたしは自分の脳内会議が「見えた」ことがある。

それは今年2月のある日、手術直後のことだった。
腹腔鏡による6時間に及ぶ手術(子宮筋腫を多数切除した)を経て、わたしは固いベッドの上で全身麻酔から覚醒しつつあった。後から聞いたところでは手術中、出血もかなりあったそうだ。

「……ん……さ〜ん!……○○さ〜ん!…終わりましたよ!」

深く夢の世界に没入していたわたしは、名前を呼ぶ声に半目を開けた。夢のイメージと覗き込む看護師さんの顔が重なって、まだ夢の続きを見ているかのような感覚だった。が、身体は一足先に現実に戻り始めた。内臓から体全体がギュッ、ギュッ、と締めつけられる不快な感覚が繰り返されて苦しかった。

されるがままにストレッチャーに乗せられ、上も下も感覚がわからないままぐるぐる移動していき、病室のベッドに降ろされた。目もろくに開かない。口も動かない。ただただ苦しくて気持ち悪くて、地上で肉体を持つことはなんと大変で残酷なのかと感じた。

しかも、ベッドのだいぶ下の位置に寝かされて、足裏がフットボードにピッタリくっついてしまっている。板の感触がヒヤッとして気持ち悪い。このまま夜まで足がつっかえた状態で寝るしかないのだろうか。
不快な感じから逃れたくて腕を交差するような形で耐えていたら、「寒いのかな?毛布かけますね〜!」と看護師さんが言う。せっかくの気遣いだったが、声が出せないので(そうじゃないんです!ちょっと身体の位置を上にずらして欲しいんだけど…!)という思いだけが駆け巡る。

自分の意識は半分戻ってきているのに、何も伝えられない。身体も動かせない。そんな時、あるイメージが頭の中に見えてきた。

そこは部屋のような不思議な空間だった。
天井や壁、床の境目はなく滑らかに繋がっていて、例えるなら、繭の内側のような感じだ。全体が薄緑色に包まれていた。部屋の中心に白く大きな楕円のテーブルが置かれ、その周りの椅子に5、6人の人たちが座っているのがぼんやり見える。何か話し合いをしているようだ。1人、黒っぽい服装の左端の人物が饒舌に喋っている。ツンツンした短髪で男性っぽい印象だ。

「あの看護師は話が通じない!今も廊下で無駄話してるし…」。何やら不満をまくし立てていて、現実のベッド上からは見えない看護師さんの様子も把握しているようだった。「身体を動かしてもらうには…」黒い服の人が語り続ける。わたしの寝かされた位置がどうにも我慢できないらしい。かなり主張が激しい。

ああ、わたしは今自分の脳内会議を見ているんだ。それで、この人は「エゴ」なんだな、と理由もなく確信した。隣に座る白っぽい服の人物は意見も言わず顔を後ろに向けてしまっている。心を傷めているんだろうか。ウェーブがかった黒いロングヘアだが性別不明だ。どことなく優しげな雰囲気がある。この人は「良心」かな…。その他の人々はシルエットとして見えるだけで顔などははっきりしない。へえ、脳内会議って、本当にあったんだ……。

ぼんやりした視界の下半分は現実の病室が見えて、上半分にその脳内会議が映し出されていた。下半分の病室では近くに夫が座って見守っている。(よし、この人なら…)とエゴと一体化したわたしは思った。

「……はひ!…あ、し、あし…!」
なんとか声を振り絞って伝えようとするが夫は「え?」と戸惑っている。それでも必死に繰り返すと「ああ、足?」とようやく伝わった。「つ、ついてる…した…」どうにも口が回らない。もどかしい。しかし、彼はなぜか理解したようだった。

看護師さんを呼んできて、「すみません、ちょっと位置が下過ぎるみたいで、動かせませんか?」と言った。感動した。やってきた看護師さんは、え、そんなことで?という感じであまり乗り気ではなかった(エゴ氏が不安視したとおりだ)が、夫が何度か訴えてくれたおかげで、しばらくして他の看護師さんも病室に来たような気配がした(半目なので見えない)。そして、ついに「ヨイショ!」とわたしは何本かの腕に持ち上げられ、頭の方向にずらしてもらえた。本当にありがたかった。無事、足はボードから離れ、わたしは心から安心した。

まだ脳内会議は別のあれこれについての話し合いがしばらく続いていた(といってもエゴ氏の独壇場と化していた。会議の一番良くないパターンだ)が、鎮痛剤の点滴が効いてきたのか、いつの間にか深い眠りに落ちた。その後、順調に回復し、会議風景が見えることはもうなかった。

麻酔後のせん妄だったのかもしれない。半分覚醒しながら夢を見ていたのかもしれない。
でも、わたしは今でも、あの時のエゴ氏と一体化した臨場感を覚えている。次にまた、あの薄緑色の会議室を覗けるなら、その時は、願わくは良心氏やその他の参加者たちも活発に発言していてほしい。

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