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亡霊

 俳優の星野円ほしのまどかが自殺した夜、わたしは元彼の部屋でセックスをしていた。外は雨の降るせいで冷えきっていたのに対し、暗く消した部屋の中には熱が篭っていた。
 ほくろの多さも、背中にできたぽちっとしたにきびも、太ももにできたみかんのように丸い火傷の痕も、臆面もなく見せることができた。互いにわらい、繋がり合うことができた。
 愛することは醜さを許すことだ。においも、癖も、性格も、全て受容することだ。ただその繋がりのせいでいつまでも元彼との関係を続けているのは虚しい気がするけれど、今更抜け出せそうにもなかった。わたしはそのうち、元彼と目を合わせるために化粧をして、いい服を着て、ちょっと高い香水をつけて、いい立ち振る舞いを続けるわたしに気がついた。未練を引き摺るわたしは側から見れば亡霊みたいに見えるけど、いっそ亡霊でもいいとさえ思えた。別れたあとも元彼のことを嫌いになりきれない自分がいた。
 元彼にはもう新しい彼女がいて、その子はわたしよりも五つも若い医学生で、モデルみたいにすらりとした綺麗な子だった。その子がわたしと元彼の関係を知ったら、きっと傷つくんだろうなと頭の端に思いながら、それでも元彼と会うことを繰り返す自分がいた。わたしはあの子じゃないからどうでも良かった。
 星野円は誰かを愛していただろうか。わたしの杜撰ずさんな生活とは対極にいるみたいな彼がどうしてしんだのかなんてきっとわからないけど、彼は周りから充分愛されていたように見える。お手本みたいな笑顔をいつでも振り撒いて、誕生日になればたくさんの人からおめでとうとか生まれてきてくれてありがとうとか祝ってもらえて、綺麗な彼女がいて、いい部屋に暮らして、いい景色を見て、美味しいものを食べて。そんな彼が何に思い詰めていたのかなんてわたしにはわからない。理由は何であれ、他人が彼の抱えていた淀みを掬いきることなんてできないのだ。わたしはきっとこの先も亡霊のままだろうけれど、生きていたかった。生きて、元彼に愛されていたかった。その愛が歪んだ形をしていても構わない、亡霊にその形は丁度いいし、愛のために今日を生きるのなら、それで充分ではないか。

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