卑屈


私のゼミでは、毎週『学問のすゝめ』を輪読し、プレゼンをする


相当変わったことをしていると思う



そこに良く出てくる、「卑屈」という二文字




私は、サッカー中、思ったことを言う時もあるけど、言わない時も少なくない。


高校の時はひたすらそれで怒られた。



「思ってることあるんだったら言えよ!」と。

年下や同期には思っていても言わないことがあるのに、監督には思っていることをぶつけるのだから、不思議で仕方なかった人もいるかもしれない。



それもそのはず、私は、「通じる」と思った人にしか言わないからだ。


そして、それを言えと指摘されると、言っても変わらんし、通じへんし、意味ないし、と真剣に思っていた。

これもひとつの卑屈ではないか、と思った。



福沢諭吉の言う卑屈は、下のものが上のものに対して言っても意味ないし、自分たちの意見が反映されているわけでもないし、と諦めて、ひねくれている様子を言っているのだが、私のコレもなんか少し卑屈の原理と似ているなぁって思って、恥ずかしくなった



でも、ゼミの先生曰く、この私の現象はしょうがないらしい


そしてそれが1番歯痒いことにも共感してくれた


でもさあ、自分がトップではない限り誰かにとってはそうなっているって思ったら、やっぱりもっと人のこともそれ以外の色んなこと知りたいって思うよなぁ


無知の無知の知


無知であることを知らない人になりたくない


something についてeverything を知っていてeverything についてsomething を知っている


そうなりたいってみんなは思わん?



脱卑屈、、。


#エッセイ #日記#卑屈#福沢諭吉#学問のすゝめ#輪読#ゼミ

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