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家族する男性たち感想

大野祥子の『「家族する」男性たち: おとなの発達とジェンダー規範からの脱却』を読んだのでその感想です。

ざっくり要約

  • 男性たちの中で比較的に男女共同参画に理解があり性別役割分業に反対をしているのは、「家族する」男性たちであった

  • 「家族する」男性とは、一通りの家事スキルを備え、主体的に家事・育児に参画し、家族や自分の状況をモニターし続け、今自分に求められていることを性別役割分業を超えて実施できる男性のことであった

  • 「家族する男性」は、仕事に専念できなくなるような事態に遭遇し、十分に稼ぐことのできない自分(バリバリ仕事ができない男らしくない自分)をパートナーから受け入れられることで、性別役割分業を乗り越えることができるようになった人がなることができるもの

  • 「家族する男性」は、(現在の)男性の年収や妻の年収、によって出現率は変わらない

  • ジェンダー平等的な社会には、男性が性別役割分業から距離を置き、仕事をセーブし、家庭に参画していくことが必要。

ざっくり感想

家族する男性はジェンダー平等を実現するために理想的な男性像であると書かれていますが、本書で示されている通り男性の中では少数派であるなど、理想像だけあってなることは難しそうだと感じました。

自分のことを棚に上げて家族にとって必要なことをやり続けることが「家族する」ことですが、これをやり続けることは自分がやりたいことをやる時間が少なることを意味します。このあたりが家族する男性が少ない理由なのかと思いました。

一方、男性が行わない家事や関係調整も誰かがやらないといけないことから、それは女性が負担しているはずです。つまり、現在の女性は「家族する」ことを強いられているとも言えます。
内閣府の男女共同参画白書のなかで、女性の自由時間は男性より少ないという統計が紹介されていましたが、女性は家族することで自分の時間が取れていない人が多いということなのではないでしょうか。

女性の自由時間が少ないということから出発しないといけないのだろうと感じました。

なお、家族することは結婚した男性だけにあてはまることではなくて、実家暮らしであれば家事負担は母親にいくはずです。また、一人暮らしであれば、家の掃除とか食生活とか、家の状況や自分の体調などモニタリングをするものもあります。私も、一人暮らしの時は、家の掃除を全然してなかったことを思い出しました。

「家族する男性」は確かにいろいろな状況の男性に適用でき、ジェンダー平等的な社会の形成に資するものですが、問題なのは「家族する男性」がそのような態度を身につけた決め手として筆者が上げていることが、病気などで仕事に専念できなくなる状況に遭遇したことだったです。
パートナーや家族の要請とか外部の教育の結果とかではありませんので、男性側に一度苦難を経験してもらわないといけないということになります。
そうであるならば、「家族する男性」になる人ってなかなか増えていかないのでは
と思ってしまいました。

本書では、性別役割に囚われている男性でも大人になってからジェンダー平等的な態度を身につけることができるということを理論的に説明した素晴らしい本だと思いますが、あまりにもその間口が狭いのではないでしょうか。
社会的に男性が十分に働くことができなくなるような状況を作り出すような制度(残業の規制、週あたりの労働時間の規制)とうまく組み合わせることが求められていると考えます。

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