恋とか愛とか平穏とか。

 近頃話題になる同姓婚の話題。これについて今回は触れたい。
 なお自分個人の感想としては一言に尽きる。「何が駄目なのかなぁ」と。

 自分は性的マイノリティに区分される人間である。性自認は無性別、性的志向はアセクシャルかフィクトセクシャルのどちらか。少なくとも『性別を問わず、現実で生きている人間』は対象外であることはわかっているのでここだけ理解してもらえばいい。
 そう、リアルの人間は対象外。大抵俺が心惹かれるのは、画面の向こうの人外たちであった。それも人型じゃないタイプが多い。狼とか竜とかロボとか。人外に対する感情は多分かなり色々交じっていて、短く的確に言い表すならば「食い殺されたい程愛している」だろう。我ながら大分アレ。この辺り深堀りすると長くなるのでまた別の機会に。この辺りリアルでもオープンにしてるのでうっかり気づいた人も詮索はしないでほしい、後生だから。
 そして対人間に関しては、アイドルなんてろくに顔も名前も覚えられず、唯一名前と顔をある程度覚えている某国民的農家系アイドルも名前と顔が一致しているかどうか怪しい有り様。
 一方人外の方では名前はすぐ覚えるし、自覚がある程度に面食いである。多分顔とか中身とか財力とか以前に種族なんだろうな……と思う。

 そんな状態なので『恋もそういう意味での愛もいらないからとりあえず平穏を寄越せ』な自分からすれば、同性だろうが異性だろうが、現実に大好きな人がいて、その人を愛せて、一緒に居られるというのはとてもとても素敵な話だと思う。大好きな人との話を見聞きするのは、こちらの心もぽかぽかして幸せを分けてもらっている気分だ。
 どうしても自分事には思えなくて、お月さまで起きている出来事を地球から眺めている様な、そんな距離感だけれど。それでも素敵なことは素敵だし、大好きな人同士が一緒に幸せでいられることはきっといいことのはずだと思う。
 だからこそ、異性カップルには認める権利を同性カップルには認めませんよという話にはどうしてだろうと首を傾げざるを得ない。なんで?

 当方の持論の一つに『人類、諸々の権利は侵害されねば認識できない』というのがある。人権とか。結婚絡みの権利ももちろんそう。
 逆に言えば当然の様に権利を保証されている経験しかない人は、『権利を保証されている』こと自体を認識することが多分少し難しい。だってそれが自分の中の当たり前の状況だから。もちろんそれはそれで幸せな話だと思う。
 けれど、同性婚について関心の無い人はちょっと考えてみてほしい。今までの人生、『どうしてあの人はいいのに自分は駄目なの?』と何かしらで思ったことは無いだろうか。
 別に恋愛関係じゃ無くてもいい。
 学校で先生があのグループだけ贔屓していた(実際のところはさておき自分からはそう見えたでも十分)とか、兄弟間で親の扱いが大なり小なり違ったとか、友達の家の親はゲームの関係は甘かったのに自分の家の親は理解が無かったとか、みんな持っているものを自分だけ買ってもらえなかったとか、転売屋には抽選が当たるのに自分には当たらなかったとか、なんだっていい。
 行政に対する理不尽さにフォーカスするなら、最近だといわゆる『ゆっくり』に関するあれこれとか、それこそ増税の諸々とか。
 多分、その感覚に近いのだ。厳密にそっくりそのまま同じとはいわないけれど。その目に見えない理不尽な壁の様なものが、法律レベルで立ちはだかっているというのが同性婚の現状なのだと思う。しかも他国では同性婚を認める動きではあるのに、自分の国ばかりがとなればその理不尽さをより一層感じるだろう。

 出生率云々はちょっと置いておきたい。同性婚だけで終わる話でもないので。そもそも2人の親から1人だけ子供が生まれる、という状態が基本なら人口は減少する訳だし。
 それに、結婚からも恋愛からも距離を置いている自分にとりあえず限った話をすると、その距離を置いている原因の人間不信自体が『公立小学校という公的な教育機関で』『暴行を筆頭とする人権侵害に杜撰な対応をされた』ことが大きな理由の一つになっているのだ。
 自分達を蔑ろにしてきた社会で、安心して子供を産んで育てられるかというと微妙であり疑問であり、只でさえ大きな決断である子供を作るという判断にたたらを踏むであろうことは想像できる。そもそも子供を産んだところで勝手に育つ訳が無いので。
 自分から見ると、今後生まれてくるかもわからない架空の赤子ばかり見ていて、既に存在している子供や今後社会の担い手となる若者たちのことを蔑ろにしている様に見えて仕方ない。自分の調べ不足かもしれないが、政府が大々的にいわゆる孤児や一人親家庭を支援する具体的な政策をたくさん出して、効果があった……みたいな話も聞かない。出産一時金の話は聞くが、同時に病院側が出産にまつわる費用を値上げしたなんて話も聞く。
 だから出生率という数字に目を向けすぎるのもどうなのかなぁ、と保証されているはずの基本的人権が尊重されなかった自分は思う。

 同性パートナーが子供を欲した時の代理母とか生殖補助医療の関係も同性婚のみで決着がつく話でもないのでこれも今回は除外。
 これらは同性パートナーだけでなく生殖方面で問題を抱える異性パートナーにも関連がある。デザイナーズベビーの問題もある。
 どの道、同性パートナーに関してのみで論じる問題では無い。それこそ、異性パートナーは良くて同性パートナーはなぜ駄目なのかという話だ。

 俺個人としては人間からの恋もそういう意味での愛情もいらない。変に同情してそういうものを寄越すくらいなら、手を出さずに平穏をもたらしてくれる方がずっといい。恋愛感情の有無を問わず、一方的で身勝手なエゴで振り回されるのはもうたくさんだ。
 けれど、恋愛とか結婚とか、そういう幸せそのものを否定するつもりはない。実際Twitter経由で眺める、パートナーが居て幸せそうな人を見るとやっぱり自分も嬉しいし、素敵だと思う。単純に自分事とするには相性が極端に悪いだけである。自分の場合はとにかく触らずほっといてほしい、というだけ。
 だから、どうか。
 異性のパートナーが居る人も、同性のパートナーが居る人も、幻想にしか恋ができない人も、人ではない現実存在に恋をする人も、一人で生きたい人も。
 あらゆる要素の、全ての人が、幸せで平穏な日々を過ごせる日が来たらいいと思う。
 ただ、それだけの話だ。

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