浅慮・短慮なワク信者
込み入ったことを考えるのが苦手な人は、すぐに単純な答えを欲しがります。
例えば、地球温暖化についても、太陽活動や地球の火山活動、地軸のブレなど、考慮に入れなければいけない要素が幾つもあるのに、「二酸化炭素の増減と相関(因果ではなく、あくまで相関)がある」というたった一つのデータだけで、一足飛びに「二酸化炭素を減らせば温暖化が防げる!」という結論に飛びつこうとします。
ちなみに、大気中における二酸化炭素の割合は、たった0.04%。これだけで温暖化を説明するのは、さすがに無理があると言わざるを得ません。
無関係とは言い切れませんが、「主犯」と断定してしまうのも短慮に過ぎます。
真に科学的な態度は、「まだよくわからない」「もっと調べなければ」でしょう。
アントニ・レーウェンフックが顕微鏡で微生物を発見し、コッホやパスツール、北里柴三郎らが「多くの病気の原因は細菌である」ことを解き明かしました。
アレクサンダー・フレミングが(棚ぼた的に)抗生物質(ペニシリン)を見つけ、人類は細菌をやっつける方法を手に入れました。往時の人々は、「これであらゆる病気が治せる!」と喜びました。
エドワード・ジェンナーが種痘、つまりワクチンを発明し、人々はまたしても、「これで病気にかからずに済む!」と欣喜雀躍。
20世紀に入り、ドミトリ・イワノフスキーが細菌よりもさらに小さいウィルスを見つけ、一方では「免疫」の研究も進み、種痘の科学的メカニズムも判明しました。
こうして「ワクチンを打てば病気にかからない」という「信仰」が誕生したのです。
「ワクチン信仰」は21世紀の現在も根強く、医療業界やメディアのしつようなプロパガンダも手伝って、「すべての感染症はワクチンで防げる」と、多くの人が単純に信じきっています。
その熱狂的な「信仰」のせいで、ワクチンに疑問を抱く「異教徒」や「無神論者」に対する「宗教的弾圧」が続いています。
……では、地球上から病気は消えてなくなったでしょうか?
「科学の真理」は玉ねぎのようなもの。
中世には「病気は悪魔のしわざ」「病気は瘴気(淀んだ空気)から生まれる」と信じられていたのが、「病気の原因は細菌である」となり、「細菌よりもちっちゃいウィルスがいる」というぐあいに、到達したと思った「真理」を一皮むくと、その下にはさらなる「真理」が潜んでいます。
この探求が終わることは永遠にないでしょう(そこに科学のロマンがある)。
でも、難しいこと・複雑なことを考えるのが苦手は人は、現れた新しい玉ねぎの皮を見るたびに、「これが芯だ!」と思い込みたがります。まだ下には何層もの皮があるというのに。
実際、「ワクチンであらゆる病気を防げる」というのが、単なる早合点だったことは明らかです。
なぜなら、予防接種が奏功して根絶できた病気は、天然痘以外にないからです。
それどころか、場合によってはワクチンが、当の病気以上に健康に有害であることもわかってきました。
WHOの設立当初の最大目的は、熱帯地方の風土病マラリアの根絶でした。
天然痘を根絶できたのだから、マラリアだって根絶やしにできるはず。なのに、今に至るまで、マラリアの根絶には成功していません。
今のWHOは、所期の目的から目をそらし、別の病気への介入に夢中。最初の意気込みはどこへやら、マラリアには勝てないと降参してしまったようですね。
ダンジョンに潜むラスボスには歯が立たないから、別の小ボス・中ボスばかり相手にしている「勇者もどき」に映ります。
人間は(特に科学者は)自然に対して、もっと謙虚であるべきだと考えます。
たかが人間ごときが、そうやすやすと「真理」にたどり着けるはずありません。
自然は我々が考えるより何百倍も何千倍も複雑で、たかだか20万年程度の歴史しか持たないホモ・サピエンスに理解できるわけない。
だからこそ、自由な議論を戦わせ、互いに磨きをかけることが重要なのです。
実際は真理でも何でもない一仮説を妄信し、それに反する言論を封じることは、種の「退化」にほかなりません。
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