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秋の俳句3句・エッセイ「狗尾草」


鏡には何も映らず虫の声


秋晴れて何処かに神殿ある如く


逃げていくものの速さや十三夜





忘却の底抜けている狗尾草


家から歩いて子供の足で3分ほどの所に、駄菓子屋があった。

母にしつこく10円をせがんで、やっとの思いでそれを貰うと、汗ばんだ手の中に硬貨を握りしめて、私は駄菓子屋に走った。

その短い道のりの嬉しさ。

買いに行くのは、駄菓子かもしれない、塗り絵かもしれない、しかし今手の中に握りしめているものは、子供にとっては非常に貴重な「自由」なのだ。
大人のように実生活で何かを決定していく権限を持たない子供にとって、この小さな10円分の自由は、何物にも代えがたい輝きを放っていたのだ。

駄菓子屋の主人は幾つだか年の見当がつかない、学生のような坊ちゃんがりのおじさんで、いつも面白くなさそうな顔をして、子供たちを見張っているような雰囲気だった。なぜかいつでも白衣のような上っ張りを着ていた。

その言動は、一見学校の教師のように偉そうでいながら、その実知性の欠片も感じられない。
客が子供なので、鼻から馬鹿にしているような感じが全身から漂っていた。

そして店の奥には、更に不機嫌な顔をした、そのおじさんの母親が、木の椅子にいつも陣取っている。

駄菓子を並べているのは店の前半分ほどで、後ろの方はアルマイトの薬缶だの片手鍋だのの金物が所狭しとひしめいていて、店の入り口付近はキラキラと鮮やかな色彩に溢れていたが、奥へ行くにしたがって、茶褐色の薄暗がりになってゆく。
その奥に深い皺の刻まれた不機嫌そうなおばあさんの顔がぬっと出てくるので、子供心にも、とても怖かったのを覚えている。

私は10円玉と引き換えに、フーセンガムや都コンブ、オマケの入ったグリコのキャラメルや、或いは塗り絵や切り抜いて遊ぶ「着せ替え」などというものを選び出すのだが、背後にはその不機嫌なおじさんが、「早く決めろよ」とでも言いたげな横目でじろじろ見ているのが、いつも気になってしょうがなかった。


ある日私は、くじになっている五円のガムを買うことにした。
一つ買って開けてみて、「当たり」が出たら、もうひとつもらえるというものだ。
そのガムの包装紙はオレンジ色だったのを、何となく覚えている。
今までそのガムを買って、くじに当たったことは、一度も無かった。

ガムは硝子のケースの中に、平らにぎっしりと二段に並べられていた。

子供にしては勘がいいと言うか、悪知恵が働いたとでも言うべきなのか、その日私は何となく、沢山ある上の段のガムをいくつか払いのけて、下の段から一つ取った。

するとなんと、「当たり」だった!

味を占めた私は、また下の段のガムを取った。

果たしてまたもや、「当たり」だった!

同じことを6、7回繰り返しただろうか、店の奥から、滅法不機嫌な顔をしたおばあさんが、幽霊の如くヌ~っと出てくると、しわがれた声で、こういった。

「もう、そのくらいで勘弁しておくれよー」

恨みがましい声だったので、私は怖くなって、次は上の段から、一つ取った。

案の定、それは「はずれ」だったのだ。

私は意気揚々と家に帰って、武勇伝を母に披露していた。

しかしこの日に、世の中というもののいい加減さを、身に染みて学んでしまったような気がする。
整然と2段に分けられて並んでいるガムは、下の段にだけ当たりが入れてあり、上の段は皆はずれで、おそらく上の段だけを補填していくのだろう。


遠足の前の日などは、大変なものだった。
決まった小遣いの半分くらいは駄菓子屋で、後は普通のお店で買っていたと思うのだが、いつもは手の出ない、フランスキャラメルや、ボンタンアメ、マーブルチョコレートなどを買い込んで、高揚した気持ちで店を出る。

例え不愛想な店主がいたとしても、子供にとっての駄菓子屋というものは、オアシスなのだ。
大人にとってのスタバだの、赤提灯のようなものだったのかもしれない。



やがて私は大人になり、18か、19か、そのくらいの年頃だっただろうか、丁度こんな初秋の頃、たまたま何かの用事でその懐かしい店の前を通りかかった。

駄菓子はまだ売っているようだったが、相変わらず金物だの、サンダルだの、なんだかジャンルの無い雑貨屋のようになっていて、店の前で回転する什器に、ビニールのサンダルをギュウギュウに詰め込んで売っていた。

私は突然、サンダルを買おうと思っていたことを思い出して、家で履くのだから、こういう所のものでも、かまやしないかと、そこでサンダルをひとつ、選び出した。

「すいませーん」と、店の中に向かって呼び掛けると、少々太ってはいたが昔と大して変わらぬ風貌の、とっちゃんぼうやのようなおじさんが現れた。

懐かしさのあまり、「これください」と言いながら、私はおじさんに笑いかけたのだけれども、相手は完璧な無表情だった。

驚いたのは、「はい、分かりました。こちらですね。少々お待ちください」。

かつて一度も、このおじさんの口から、こんな風な丁寧な敬語を聞いたことは無かったので、私は心底驚いたのである。
子供のお客の前では如何なる時も、面倒臭そうな、ぞんざいな口調だったから、まさかこんな風にまともな話し方が出来る人間だとは、思ってもみなかったのだ。


そうか、私がわからないのだ、帰る道々、私はなんだか狐につままれたような気持ちだった。



秋晴れの空が隈なく濃い青に染まっていて、子供の頃とは大分違っている街並みが舞台装置のように、整然と並んでいる。
目の前のこの瀟洒な家のある場所も、私が駄菓子屋に通っているころには、まだ空き地だった。

狗尾草が茫々と生い茂っていて、そこへ西日が差したりすると、逆光の狗尾草はその穂に金色の光をたっぷりと含んで風に揺れ、空き地全体が、柔らかな金色の産毛に包まれたようになるのだ。

それを魂を抜き取られたようになって、呆然と見つめていたのを、思い出す。

その頃はそういう空き地がそこかしこにあって、私達はそのひとつひとつに名前を付けては、今日はどこの空き地で集合するかを決めるのだった。

大人は沢山の自由を持っているものだと、誤解していたあの頃。

何を買うのかを決めるのも、何を食べるのかを決めるのも、何処へ行くのかを決めるのも、何時に寝るのかを決めるのも、みんな大人だった。

それが羨ましくてたまらなかった、あの頃。



時が経ったのだ、あっという間に。

私は秋の午後の日差しが眩しく照り返している横断歩道を渡りながら、そう思った。

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