与えられている感覚③

先般の記事を読んでいただいた方、ありがとうございます
前回は小学生で終わりました、今回は中学生での出来事を追っていきます


無の時間

正直、一番中学校が何もなかったですね

急に興味を失った

剣道部でした
最初の4日くらいは楽しかったのですが、
5日目からぱたりと楽しくなくなったのです、これは本当に本当に不思議でした
もしかしたら【友だちがやっているから】という理由で始めたからかもしれません

経歴としては怪我もしながら2年生の中頃まで真面目にやっていたのですが、途中から怪我が悪化し、そこから行かなくなってしまいましたね

その経験からなんとなーく、
自分は誰かと一緒に何かをするということが苦手なことに気づいていきます

今の自分を見ても、目標も何も誰にも言わずに行動しないとやらないですね
言葉にすると何故かできないんですよ、なぜか誰か教えてください

勉強

あとは、主なこととしては、初めての定期テストで学年2位だったんです

正直に『え、こんな簡単なことで皆つまづくもんなの?』って思いました
もちろん、家に帰って父と母に報告しました
父に『お前そんなに勉強できたのか、天才肌だ』のようなことを言われて
舞い上がってそこから勉強しなくなりましたね(笑)

色々調べてみると、子供に天才とか、才能があるとかあんまり言わないほうが良いんだそうです、努力しなくなるんですと
あと、こいつは今まで何を見てきたんだって思いました

僕が父になったときは、努力の成果だな!って言おうと決めました(笑)

母はこのころから勉強に関して何も言わなくなりましたね
なんとなく、子供が伸びているものに無理に手を加えずに、
環境を整えようとしてくれていたのかなと思います

ただ、科学実験会みたいなものにはそこそこ連れて行ってくれました
感謝です

ミニ不登校

何年生かは覚えてないんですけど、また少し不登校みたいになりましたね

担任の先生が家に来て親と一緒に話すことさえありました
対して実のある話ではありませんでしたがね

この先生には成人式で本心から憎まれ口を叩かれました
それほどに私の存在が影響を与えることができたのだなぁと関心さえしてしまった結果に終わりました(笑)

不登校は何によって起こるのか

この不登校という性質、最近になって少し理由が濃くなったかなと思います

皆さん、大愚和尚って知ってますかね、その和尚さんが
『淡水魚は海水では生きられないし、海水魚は淡水で生きられない』
という言葉を紡いでおられました

これだったんです、振り返ってみると高校の時は不登校なんて考えもしなかったです

これは本当に申し訳なく、ただただ、私がある種未熟なだけなのですが、
私には小・中の同級生・教師が話が通じなく、クソほどにつまらなかったのです(もちろん全員ではありません)
おそらく、周りの人は私のことを何も分かってないやつといった認識だったのではないでしょうか

その証拠でもないのですが、学年でも1番頭の良かった友達は小学校から中学1年生の間まで、誰とも喋っているところを見たことありませんでした、
無理もないです、多分誰と喋ってもつまらなかったのでしょう

ちなみに、後々その子とはなんだかんだ一番喋るくらいの仲になりました
1年間くらい話しかけ続けてやっと会話してくれるようになったのを覚えています(笑)

会話の質

なんだかんだあり、高校は一応県内でも偏差値で2.3番目くらいの高校・学科に入りました

偏差値で全てを語るのは愚の骨頂と認識した上でお話させていただきますと
どうしても会話の中身が違うなと感じます
圧倒的に面白いんです、ギャグのセンスが面白すぎるんです

先程お話したように、不登校なんて考えもしなかったですね、
教師陣も魅力的な方々ばかりでした、なんなら教師よりも頭がいい生徒もたくさんいたので教師陣も努力しなければならなかったと思います

教員・生徒共に、自分の目指すものに向かって努めていた学校だったので
だれかが誰かの足を引っ張ることや、付き合いが悪いことなどで問題が起こるようなことは全く無かった良い環境でした

まとめ

総じて、今までの人生で一番輝いて楽しかったのは高校時代でしたね
周りに恵まれすぎました

ただ、そんな環境を勝ち取ってのは自分なのも確かです
やっと最近になってそう思うことができるようになりました



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?