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1月8日 頑張らないを頑張る

天気が良かったので部屋中のシーツを洗い、
布団を干した。

その間に散歩をしたり、
地震関連の動画やニュースを見る


NHK以外は通常運転なので
YouTubeなどで各局の報告動画を見たりすることが多い。



見ていると辛くなるけど
泣くのは違うなと思う。

泣いている人を見ると
肩を抱きたくなるが、
いざ自分が泣くと
強い違和感を感じる。

長かった年末年始休暇が終わってしまう。

あらためてフルタイムで働くっていかれてるよなぁと思う。

連休中、特に何をしたわけではないが
朝起き、ご飯をゆっくり食べて散歩して
映画を観に行ったり、
街を散策してみたり、
公園でぼーっとしたり、
たまに家族に会いに行って一緒の時間を過ごして

夜は夕方からご飯の準備をし、
19時くらいには食べ終えるという生活。
幸せすぎた。



高校の卒業文集、
将来の夢に「豪華な田舎暮らし」と書いた。

当時仲が良く、
四六時中一緒に過ごしていた友達とは
「早くお年寄りになって、何もせず過ごしたいね」としきりに話していたっけ。



お年寄りになったからと言って
あなたが想像するような”何もせず”過ごせるような日常が待っているとは限らないのですよ。

そもそもお年寄りが
優雅に”何もせず”過ごせた時代なんて
たぶんないんですよ。
と考えの甘さを指摘したくもなるが


そんなことわかってる。
だからわざわざ「豪華な」とつけて
現実感をなくしてるんだろう、
自分のことなんだから思い出せよ、と
高校生の自分に怒られるかもしれない。

そうだったね。
若かりし私。
ちゃんと覚えてるよ(忘れてた)




社会人になると少し年上の人に
若いんだからもっと弾けろ!とか
もっと遊べ!とか
言われるたびにうんざりしてたなぁ。

「遊べ」ってなんだ?
どうせ異性交友のことだろう?
ばかばかしいと思ってた。

「ナンパされに出かける友人がバカみたいだ」と話す友達の感覚が好きだったな。

でも今は
自分の寂しさとか性欲を否定せず、
それを堂々と相手に開示して
ナンパされに行く彼女たちって素直で良いなと思っちゃう。

動物らしさをちゃんと自覚して、
それを恥じてないんだもん、すごいよ。



のんびりと何もしない休日を過ごしても罪悪感がないのは、もう私に「若いんだから!」と訳のわからないパッションを押し付けてくる人がいないからだろうか。


自分でも若さが貴重であるのだと認識していたが故に、生に追い立てられているような感覚がしてうんざりしてた。

だから何もせずのんびり過ごしても
他人や自分から責められない老人に
早くなりたいと思っていたんだよな、
10代の私。わかってるよ。




何にも追い立てられず
私は私のためだけに24時間をもっと使いたいなぁ。

一日8時間以上を仕事に拘束されるんだから、
他のことなんか考えられなくなるの当たり前だ。

仕事という名の洗脳だよ。

それをしなければ生活できないし、
老後の蓄えさえ日々の労働次第なのだから
健全な人間なら洗脳されないほうが
おかしいのでは?と思う。


だから少なくともその心配がない、
太い親を持つ人間が腹の底からうらやましいのだ。

お金がない、という感覚がわからない人だっているもの。うちの父親も元夫だってそうだった。



お金への鬱憤がたまり、
そもそもお金なんてシステム作ったの誰だ!出てこい!お金なんてシステム無くせばいいんだー!と実家でギャースカ言ってると

母親から「大丈夫かこいつ、いい歳してまだそんなこと言ってんのか」と一瞥いちべつされ、スルッと別の話題にうつされてしまうのが愉快。


さ、明日からはぼちぼちやろ…
現実逃避したくて
脈略なく書いてしまった。

今年の抱負は頑張らないを頑張る。(毎年言ってる、ほんでめちゃくちゃ頑張ってしまう)










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