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甲子園球児たち

野球より断然サッカー派だったのに
夏の甲子園を好んで見るようになったのは
一人暮らしを始めてからだ。

私が住むマンション周辺には
高校が2校ありどちらも甲子園出場校で
一方は文武両道を掲げる進学校
もう一方はプロ選手を輩出している強豪校である。


進学校の球児たちは
週末の朝、学校周辺を掃除していて

散歩が日課である私は
彼らによく遭遇するのだが
かならず気持ちのいい挨拶をくれる。

しかもただの挨拶じゃない。


掃除中の手をわざわざ止め、
座り作業中であれば立ち上がり
帽子を取る。
そのあと身体ごとこちらを向いて

「おはようございます!」と
一礼してくれるのだ。

散歩の道すがら
会う生徒会う生徒そうしてくれるので

「私はそんな大層な挨拶を
していただけるような人間ではございません、すみません、恐縮です」と
心の中で繰り返しつつ挨拶を返す。

生徒たちの挨拶習慣が
先生の差し金であっても構わない、
「この子達が未来永劫幸せでありますように」と願わずにはいられない。


もう一方の高校球児たちは
本当に朝から晩まで練習している。

朝はランニングの
かけ声が聞こえてくるし
残業で遅くなった日でも
ボールを打ち鳴らす音が聞こえ
こんな遅くまで?と心配になるくらいで、

とにかく野球に
全てをかけているのが伝わってくる。



休日の練習試合には
フェンス越しでも良い一目見ようとやってくる大人(ほぼ男性)たちで溢れかえっていて

彼らもその昔このグラウンドで
朝から晩まで練習していたのだろうなと想像すると微笑ましい気持ちになる。



こんなかんじで私の生活は
高校球児たちと共にあるといっても過言ではなく

だからこそ
どちらの高校も出場できなかった今年は
悔しい思いをしたが、

同じよう練習にはげみ
やっとの思いで甲子園の試合に挑んでいる
全国各地の球児があのマウンドにいることを思うとテレビに釘付けになってしまう。


外に出るのも躊躇われるほどの暑さの中
プレーする彼らを見ていると正直心配になることもあるが

二度と来ない一瞬を
一球にかける姿にたまらず胸が熱くなるし
応援席にいる生徒たちの一喜一憂もいい。



どうか参加者全員が最後まで無事に
大会を終えられますようにと祈っている。





高校生が甲子園に
すべてをかける様子は
華々しいドラマを生むが

私もそのドラマに踊らされてないか
感動の片隅に
相反する視点も持っていたい。

球児たちはかならず大人になる。

「生徒たちの未来のための今」
でもあることを忘れてはいけないなと感じた。


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