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バタフライエフェクト

何かを選択する時
結果が決まってるのか、決まってないのか
私は決まってないと考えて生きて来た。
だからこそ選ぶしそれこそが人生。


映画バタフライエフェクトみたいなもので
選んだ選択肢がほんの少し違うだけで結果は変わり、

一つの選択が人生の最終的なゴールでさえも変えてしまう。そんなイメージでいた。


もしかしたら違う考え方があるのかもしれないと思ったのは芦田愛菜ちゃんの言葉がきっかけだった。

自分なりに考えて、納得して行動する。
行動した後は結果は決まっているから、
なるようにしかならない。

自分に人生の
最終決定権があると思ってしまうと、
うまくいかなかった時に
自分を責めてしまうこともあると思う。

結果は決まっていて、
自分はそこに行くための方法を選んだだけなんだと思うようにしています

日刊スポーツ 2021年7月27日


彼女が言っていたとおり
「最終的な」ゴールは決まっている可能性だってあるが決まってない可能性だってある。

どちらを信じるのか選ぶことさえ自由。

それならばと考えるようになったことがある。


それはカーナビのようなかんじで
最終到着地や途中ここには絶対寄りたい場所みたいなもの(あったとして2、3カ所程度)は
生まれる前に決めて来ていて
瞬間瞬間の選択は目的地までの
道順の変更に過ぎないのではないかということだ。


しかし道順が変わるだけで
目的地に着くまでのストーリーは
大きく変わる。



海沿いを走っても良いし
高速で行っても良い。

下道を走り寄り道しながら走っても良いし、
ウネウネした山道を走り大きく遠回りして行っても良い。


どんな道を選択をしても
「必ず寄る」と設定していた場所には寄るようになっているし

どの道を走ろうが
最終目的地には到着できるようになっている
といった具合だ。



映画バタフライエフェクトも
主人公は目的地に至るまでの一部分だけを体験して一喜一憂していただけで

自分が定めた目的地には
本当はちゃんと向かっていたのかもしれない。

それなのに選んだ未来の結果を短絡的に捉えて
主人公が受け入れられなかっただけの話かもしれない。




瞬間瞬間の選択で未来が決まるのだから
選択にミスは許されないと
緊張感の中で生きてきたけど


芦田愛菜ちゃんの言葉を聞き
「私がどんな選択をしても
最終的な目的地や
必ず立ち寄る場所を見逃すことはないんだ」
と不思議な安心を感じた。



そのうえで
”私が選んだ”という納得感をもって
生きることにこそ意味があるのかもしれないと思う。




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