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岩手町の紅葉で染まる邸宅/イワテ歴史的建造物巡り10

先日2023年11月4日・5日の二日間、岩手町で桜山荘という大正時代の邸宅が一般公開されるとの情報を見つけ早速行ってきました!
実は去年の秋の一般公開の際も訪れていたのですがその時に紅葉と邸宅がとても美しく再度公開時にはまた来たいと思い次の公開日を待っていました。ちなみに6月にも公開されていたようですがその日は予定が合わず行けませんでした(ToT)

※今回の記事の表紙は去年の様子です。


桜山荘へ行く


塀の奥にチラッと見える立派な屋根。
こちらが今回のお目当ての建物です。塀に沿って歩いた先には…

立派な門がお出迎えしてくれます!ここからでも紅葉の美しさがわかります。

それでは門をくぐりお邪魔します〜

おぉ~!
紅葉と邸宅が良く映えてますね〜

この建物は桜山荘といい、柴田家の冠婚葬祭用として大正5年(1918)に地元の大工棟梁である八戸駒吉の施工で建てられました。
今は無いそうですが、かつては裏側は山桜の名所だったそうです。
この建物が建つ土地にも歴史がありますがそこは追々。

まずは外を見学します。

庭園テクテク


庭園には池や灯籠があり紅葉で紅く染まっています。奥に見えるのは築山でしょうか。
自分はあまり庭園に詳しくわからないので細かい説明ができません(ToT)
木々の多くはは明治以前のものとのことらしいです。

少し庭をテクテク(♪^ω^)

カメラがブレた…
庭池の様子

散策してると蔵がありました。この蔵については詳しくわかりませんが、恐らく家財道具を収める倉庫として使っていたのでしょう。

それでは次に邸宅の外観を見ていきます。

外観見学へ



先程で出した写真でも気付いた方もいるかもしれませんがこの建物は和風建築が中心で洋室(洋館)がついている洋風建築が合わさったいわゆる"文化住宅"というものに当てはまる建物です。
文化住宅の建築は主に洋室は応接間として活用されます。ここは玄関脇に洋室があるのでこの建物も応接間としての役割を果たしていたのでしょう。
岩手県内では花巻市にある古民家カフェ"茶寮 かだん[旧橋本家別邸]昭和2年(1927)築"や田野畑村にある1日一組限定の宿泊施設"思惟創館[旧工藤精作家住宅]昭和5年(1930)築"が当てはまると思います。
以前紹介した盛岡市の佐藤写真館では住宅としてでは無いですが洋室の応接間らしき部屋がありましたね。

佐藤写真館の記事こちら↓

もっとわかりやすい例としてはジブリ映画である"となりのトトロ"で登場するサツキとメイの家も文化住宅です。
窓は洋館でよく見られる上げ下げ窓がそのまま今も残っています。

和風建築部分
洋風建築部分


写真ぼやけた…

近づいて見てみると持ち送り部分も洋風になっています。
外壁の板張は正面は南京(イギリス)下見張、裏側はささら子下見張と違いがあります。
洋と和の違いを外壁ではっきり分けています。
ちなみにささら子下見張と似た形で押縁下見張という板張があります。
違いをざっくり説明すると押縁下見張は下見板張の上から押縁と呼ばれる縦に押さえる棒を付けるのですが、ささら子下見張は先程の押縁に外壁の板の重なりにあわせ押縁に切れ込みをいれた棒(簓子)で押さえるのでささら子下見張はとても手間が掛かります。
それを踏まえたうえで裏側の外壁を見てみましょう。

拡大

全面がささら子下見張になっています!
これはとても手間がかかっていますね〜
そしてこの外壁はどうやら正面以外は全てこの造りの様に見えるのでこの建物を施工した大工はとても見事な技術を持っていたと考えられます。
外だけでも永遠に見ていられます〜(TOT)
しかし自分が着いた時点で公開終了予定時間1時間半前。ここは一度中の見学へと移ります。

玄関も立派〜

保存活動費用として入館料500円を払います。
オジャマシマース(^^♪

写真を撮ったときたまたま戸が閉まっていましたが、このあとすぐに開きました。どうやら襖に描かれているものがすごいらしいです(0_0)

その前に玄関から入って目に入るのは上に掲げられている「桜山荘」の揮毫です。
こちらの書は陸軍大臣であった板垣征四郎のものだそうです。
何故ここに陸軍大臣の書があるのか、それは桜山荘が建つ前に関わりがあります。

桜山荘の歴史


この建物が建つこの敷地は、かつて南部藩の漢学者である勘定奉行佐々木直作が隠棲した場所であります。戊辰戦争の際に責任を問われた直作は罰せられた後、隠棲の地として沼宮内五日市に板垣で囲われた草葺の家を建て草木の蔭で世を忍びつつ自らを板垣草蔭と名乗っていました。後に士族や郷士の子弟を対象とした「草蔭塾」という私塾を開きました。

ちなみに、

後になってから、教え子達から、「草の蔭では、あまりにも忍びない。」との声があがり名前を桑蔭と改めたとのことである。

桜山荘 由来記より

とのこと、したがってインターネットで調べてみると「草陰」の名よりも「桑蔭」の方がよく出てきます。

陸軍大臣の板垣征四郎は板垣桑蔭の孫でありこの地で育ちました。
大正初めに板垣家が東京に引越しますが、その際、塾の教え子であった柴田兵右衛門が敷地、家屋を買い取り大正5年に桜山荘を新築しました。

これが桜山荘と板垣家との繫がりとなります。

そしてこの揮毫は板垣征四郎が先祖墓参りの際に数十年ぶりに沼宮内に戻った際、桜山荘に立ち寄り書いたものだそうです。


話が長くなりましたが、内部見学に戻りましょう〜(#^ω^)

内部見学


相変わらずブレブレ写真…

玄関内部から欄間や格天井、タイルなどいかにも近代和風建築の意匠ですね~

玄関から上ってすぐ。襖と屏風がありますね。この屏風は着物を使っているとのこと。言われるまで気が付きませんでしたΣ(゚Д゚!)

そして先程閉まっていた玄関の戸。振り返ると……

綺麗な桜と紅葉が描かれた絵が!
こちらは弘前藩絵師である七尾英鳳の作品。
左側が玄関、右側が和風建築部分へと繋がっています。
(ちなみに他の襖絵も七尾英鳳の作品)
まだ全体の半分も見学していませんが満足できる素晴らしさ。
しかしまだ和室と洋室を見学していないっ…

先に洋室側の見学に向かいます。

洋間見学


玄関脇にあるこちらの洋間。天井にはメダリオンと呼ばれる照明周りの装飾がされています。ここのメダリオンは2色使われているようですね。

上げ下げ窓

洋間にはアンティーク家具も置かれています。内部で見られる南国風のものは柴田兵右衛門の孫である柴田兵一郎が貴族院議員時代のときに南島諸島視察の際、パプアニューギニアから持ち帰ってきたものだそうです。

洋間から現在の調理場(かつての土間?)に向かう扉です。見た目は玄関から洋間に入る扉とほとんど同じ見た目ですが、ある違いがあると教えていただきました。
それは…

こちらの蝶番です!

細い所にも装飾がされているとは…
ちなみに玄関側はというと

台所側と比べシンプルですね。
もしかしたら、案外珍しいものかもしれないですね…!

それでは最後に和風建築部分に向かいましょう。

和室見学


先程の玄関を通り襖の先には…

縁側から先程の庭園が見えます。
これは庭園を観ることも考えて設計されていることが伝わりますね〜(*´∀`*)

今回の公開に合わせ、出店もありました〜

冠婚葬祭用に建てられたので広い和室が続きます。

仏間の様子
桜山荘関連資料の展示も
中間の様子

掛軸や置物もどれも価値が高そうなものばかり。
じっくり見すぎて写真をあまり撮っていませんでした(^_^;)


次に縁側を見ていきます。

縁側から眺める庭園もまるで絵画の様な美しさ


この椅子も柴田兵一郎が南島諸島視察のときに持ち帰ったものらしく、解体中であった劇場の建物から貰ってきたものらしいです。

写真を撮っているとき、ある会話が耳に入ってきました。

「昔の古いトイレが残ってて…」

おぉ?
桜山荘のトイレは別の部屋に新しいものがありましたが、それとは別のものがある!?
気になったのでその事を聞いてみました。
すると

「よかったら見に行きますか?」


普段は非公開となっているらしく特別に見せて頂きました。

縁側の先を進むと便所の場所へと着きました。
蜘蛛の巣があるので気をつけてねと言われた通り慎重に進みます。

陶器製のトイレで洋風の模様が施されていますね。
自分は大正時代ののまま残っている便所を見るのは初めてなので感動です〜

鍵付きの扉

写真を撮ったあと案内していただいた方にお礼をいい、その後またしばらく見学し帰る事にしました。

終わりに


今回案内や説明をしてくださった桜山荘の皆さん本当にありがとうございました。
m(_ _)m

【建造物DATA】
名称 桜山荘
年代 大正5年(1918)
施工 八戸駒吉
住所 〒028-4307 岩手県岩手郡岩手町五日市第9地割
座標 39.9759588, 141.2213831

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