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父と万引きとラップ

父と万引きとラップ、という歌が昔あったか。いや、ない。絶対にない。

多分みなさんが生まれてはじめて、もしかすると地球が誕生してはじめて人類が目にする字面かもしれない。


 最初の記事にも書いたが、両親は僕が高校生の時に離婚していて、僕たち兄弟は父の方について行った。つまり母は家を出、今まで生まれ住んだ家に男3人でそのまま住むことになった。

 今まで家事など一切しない父だったから、ある日から突然ご飯を作り、掃除をし、洗濯をする、という主夫業を兼ねながら働きに出るという生活に変わった。とにかく子どもには食べさせないとという思いなのか、気の利いた料理は出て来ないけれど、出てくる料理の量が多かった記憶がある。いつもお腹いっぱいで、もっと食べろと言わんばかりに。
 僕は高校へ自転車で30〜40分かけて通ってたのだけれど、弁当も作ってくれていた。残念ながらどんな弁当だったのかは全く思い出せないが。
 とにかく今まで家事や子育てにほとんど参加しなかった父が、そこまでしてくれた事に今さらながら感謝している。働きながら子ども2人を育てるのは大変だったと思う。

父とたくさん喧嘩した。もともと自由で堅苦しいことが嫌いな僕と、真面目で堅実な考えの父とは性格が合わなかった。

 今になって思うと生意気な子どもだったと思う。親になった今、中学生の長男が言う事を聞かず、なかなかに自由で自分のペースで生きてるのを見ると、自分もそんな風に写ってたのかと思う。

 長男という立場から、言葉には出さなくても父の僕への期待を感じていたから、堅実に生きなければという見えない壁が立ちはだかり、本当にしたい事と現実のギャップにいつももがいていた。
 弟はというと、早々にしたい事を見つけ、軽々とその道に進んだ。先に弟が家を出てひとり暮らしを始め、家には父と僕が残った。

 僕は高校を卒業してからすぐに就職したが、その会社は半年もしないうちに倒産した。高校を卒業したばかりで社会に出るのははじめてだったから、働くという重圧に負け、良くずる休みしたりした。人間関係とか、まるで監獄にでも放り込まれたようで、僕には合わなかった。酒飲みの上司(いい人だったけれど)にスナック(明石家さんまのお兄さんがやっているというスナック)に連れて行かれ、飲めない酒を飲まされてそのまま上司の家に泊まった事もある。僕にはそう言う社会の人付き合いと言うのが全く理解出来なかったし、居心地が悪かった。

 その後、父が働く会社に就職した。家族経営的な会社だったし、僕が小さい頃から知ってもらってたから、割と良くしてもらった。
途中自動車学校に通ったり、バンドの録音で仕事終わりに車で大阪の吹田にあるスタジオYOUというスタジオに行ってレコーディングし、朝方帰って来て寝ずにそのまま仕事、と言うことも良くあった。あの頃は若かったしタフだった。仕事中居眠りしたりしていたけれど。
 途中阪神大震災もあった。そこで4年ほど働いてから、会社を辞めた。父に打ち明けるのは勇気がいったが、このままの生活だと自分がダメになりそうな気がしたし、家を出て新しい世界に飛び込みたかった。

 バンドメンバーがひとり東京の人だったのもあり(不思議なバンドだが)、僕は地元のバンド仲間たち、当時の彼女(今の妻)と新天地を目指し東京へ上京した。それほど夢を抱いていた訳でもないけれど、とにかく奈良を出て新しい生活をしてみたかった。2トントラックを借り、自分たちの荷物を乗せ、東京へ向かった。大田区は南馬込というところのハイツで共同生活が始まった。23才の頃だった。

そして父はひとり暮らしになった。


 年に一回ほど時折帰省するぐらいで、だんだん距離は離れて行った。もともと自分の事を語らない父だったし、親子の会話は昔も今も一言二言といった具合だ。それから8年住んだ東京から奈良に戻り、実家で半年ほど妻と父と一緒に暮らしたが、妻も父と性格が合わなくて、結局家を探し引っ越した。大人になっても感覚が違うのは、親子でも一緒に暮らすのは難しい。


 前置きが長くなったが、本題に入ろう。これを語るのは、具体的な名称など伏せると伝わらないから、敢えて赤裸々に書いてしまおう。赤裸々にケ・セラ・セラ。これがこのnoteのテーマでもあるのだ。


2021年のある日、仕事をしていると15時頃に知らない電話番号から着信があった。


 普段は無視するが、地元橿原市の電話番号だったから、気になって携帯電話で調べた。

橿原警察署


 胸が高鳴った。もしかするとあれか?いやあっちか。いや、ちょっと待て。動揺してしまったが、とりあえずやましい事は無いはずだ。多分。ではなんなのだ?全く想像もつかなかったが、すぐに電話をかけてみた。

『あの、吉村と言いますが、電話を頂いたみたいなんですが。』

おもむろに電話先の人が言った。

『あのですね、お父さんが万引きをして今警察署のほうで取り調べをしてまして、身元引き受け人として17時頃迎えに来て頂けますか?』


 全く想像していない返事が返ってきて、混乱した。父は真面目一筋で生きて来た筈だったからだ。いろいろな事が頭をよぎった。
 テレビで良く聞くシニアの万引き、もしくはついにボケたのか、はたまた仕事を引退して孤独な年金暮らしの生活で、精神を病んでしまったのか。とにかくざわざわした気持ちのまま仕事を終えてから車で一旦家に帰り、子どものそろばん塾の送り迎えで妻が車を使う予定だったから電車で橿原警察署まで向かった。

 あたりが暗くなりかけた夕方18時頃に到着して、警察署に入ると、入口からすぐの受付の前のベンチに父は腰掛けていた。僕の姿が見えると

『おう!来てくれたんか』


 と、悪びれもなく僕に声をかけ立ち上がった。脇には菓子折りなどを抱えていた。
 一緒にいた警察官に話を聞くと、どうやら《よってって》という農産物直売所で数点万引きして、店を出ようとしたところをお店の人に見つかり、警察に通報され任意同行したと言う事だった。よくよく聞いてみると以前もゴルフ練習場で人のクラブを持ち帰ろうとして警察にやっかいになっていたらしく、とりあえず今回は逮捕には至らないが、今後同じ事があった場合、逮捕になるかもしれないと言う事だった。そして事情聴取をした時に『妻は死にました』と言っていたらしく、警察官は本当だと思っていたようで、僕が死んでない事を伝えると驚いていた。もう父の中では死んでるのかもしれないと思うと、なんだか悲しかった。
 父に何故こんな事をしたのか問いただしたら、

『いや、最近なんかおかしくてな、自分でもなんでしたのか分からんのや』


と、やはり精神的なものなのかと心配になった。父の車は現場のお店に置いたままだったし、僕は電車で来ていたのでタクシーを呼んでもらっていた。
 やがてタクシーが到着して、警察署を出て乗り込む前にもう一度聞いてみた。

『もう一回聞くけどほんとのところはどうなん?ほんまのこと言ってや。もうこんな事したらあかんで!』


父が答えた。

『うん、お店の店員が少なくてな、ちょっとぐらい盗っても分からんかな思てな』


…。

僕の頭の中で、メタリカ並みのギターが鳴り、爆音で叫んだ。

『死ねーっ!!』



、そんなこんなでラップが出来ました。
ラップなんて今までした事がないのに。
こんな嫌な事は笑いに変えるしかないのです。

 それではこの事件のすぐ後の、ニュー喫茶ポルカドットで行われた《大感謝祭》という仲間うちの忘年会で発表して大爆発大爆笑の渦になった曲を聴いてください。

《よってってにこんといて》


どんな大変なエピソードも笑いに変えるぜ
明日香のメンツ 
ほんといいよねおまえら最高
未知なる道をさあ行こう

不安と希望が入り混じり
必死に走った明日香の日々
苦しみ楽しみ人生making’
ある意味毎日が珍道中
奇想天外愉快な仲間
まるで俺たち宇宙人
コロナもそんなもん関係ねぇ
とにかく楽しむPARTY PEOPLE

俺もホットな話題をぶち込む
ネガポジ逆転悲劇も喜劇
過激で刺激でスリリング
人生映画かドラマ以上

こないだ謎の番号着信
俺はもちろん着信拒否
後で調べてびっくり仰天
橿原警察よろしく着信
聞いたらうちの親父が万引きドン引きびっくりドッキリ
警察着いたら『おー来てくれたんか』
おまえどんな顔してゆうとんねん

どうやらよってってで菓子折り万引き
小脇に菓子折りどっさり抱えて
もちろん店から出禁の親父
勘弁してくれfackin father

よってってーにー こんといてー
よってってーにー こんといてー

よってってーにー こんといてー
よってってーにー こんといてー

来たら警察また直行!
今度はブタ箱レッツゴー!

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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