JBLとMark LevinsonをトヨタとLexusに持ち込んだ漢の、アメリカとJAZZとオーディオの昔話  

私マイケル村田は永年トヨタ自動車のオーディオ開発に従事してきたのですが、子会社に転籍し今まさに退任へのカウントダウンが始まっています。今後は小さなジャズBar(MMJazz)の親父におさまり、音楽と好きなオーディオ三昧の暮らしが始まります。そのジャズBarには世界最高峰のスピーカーJBL Everest DD66000とMark Levinsonと私の設計製作のオーディオ装置が鳴り響いています。JBLとMark LevinsonはHarman社が保有する世界的に有名な高級オーディオブランドなのですが、Harman社との出会いを思い起こしながらアメリカ時代の昔話を書いていきます。

MMJAZZチャンネル アーシャ (002)

1989年のAmericaとトヨタ 

 1985年にケンタッキー工場単独進出 トヨタはアメリカの会社と認めてもらうために現地調達率アップに躍起になっていたころです。またビッグ3の業績が低下し、失業者が増えて 日本車たたきや、日本の自動車会社に対する脅迫電話(爆弾しかけたなど)が増えていました。そんな頃

私のLos Angelesでの暮らしが始まった。主な業務はオーディオの音質つくり、ラジオの受信性能評価、クルーズコントロールの性能評価など。

当時のオーディオメーカーは トヨタには富士通テン、Panasonic、発表まじかのLexus LS400にはPioneerとNakamichiという構成で、精力的に米国市場に受け入れられる音作りを研究していました。

アメリカでの音作り。 何はともあれパンチの効いたベース! 踊れる、のれる ズッコン ズッコンとくる切れのある低音ですね。 そして音像は周りを取り囲んでくれるサラウンド感です。 クラブ、ディスコ、コンサート ポールダンス(ストリップ)へ調査に行っては費用を会社に請求するといったオーディオ屋ならではの素敵な生活でした(笑)

ラジオのアナウンサーの音質、空港のトラムの案内音質で日米の違い

 アメリカのFMラジオのアナウンサーやトラム内の案内音声は ダースベーダーの様な低い男性の低音の声が多いです。日本の場合は女性の明るい声が多いですね。公共性の高い案内の場合高齢者の特性(中域から高音域の周波数の音が聞こえずらくなってくる)を考慮するのですが、日米では考え方が違っていたようです。アメリカでは老人の残存能力の低音域の聴力を活用すべく、積極的に低音を強調したアナウンスをします。日本は弱った中高域を強調したアナウンスをするようです。

音質チューニングの凄い話

 ナカミチの音質チューニングのカリスマ K さんの思い出。試作車の2回目の実車音質チューニングをしていた時に、Kさんが「ツイーターグリルの接着剤を変えたでしょ!! 以前は樹脂系の音だったのに、少しゴム臭い音がする」とおっしゃる。 日本のトヨタ技術部に確認してもらったら、接着剤を樹脂系からゴム系に変えたとのこと。 サイドミラーの裏側についてる小さなツイーターグリルの接着剤の影響が耳で聴いてわかるKさん!驚き

それにしてもゴム臭い音って何????

 この後日談で Kさんのラボにお邪魔したときに、オーディオアンプの筐体を白、黒、赤、青があり、目隠しをして今どの色のアンプが鳴ってるかを言い当てるすご技を見せてもらいました。 色の違いや、接着剤の違いはわずかな固有振動を伴うらしく、それが音の違いにでるとの事。 私の耳には全て同じ音に聴こえたのは言うまでもないですね。

LEXUSの発表とリコール

さて LS400が発表され その静粛性と高級感が話題になりました。とその矢先に 市場からクレームが来ました。クルーズコントロールをセットした後に回転数が下がらないという案件でした。ただ一度発生した後は異常はないという事でした。 暫くしたら2件目の市場情報がきました。日本のチーフエンジニア(初代レクサスのチーフエンジニアで凄い情熱のある方)に連絡し、とにかく実車を確認してきてほしいとの依頼を受けて、お客様のアポイントを頂きました。ロスから550Km離れたサンタクララだったと記憶しています。翌日にアポを頂き 早朝のフライトを予約して 現車の確認方法を関係者と議論し準備しました。その内容を日本のチーフエンジニア(以下CE)に連絡しました。 暫くしたらCEから電話があり、今すぐサンタクララに飛んでくれとのこと。「明日もしフライトがキャンセルになったらどうするつもりだ」と フライトを確認したら深夜発のフライトしかないので、明日、早朝便で飛ぶので仮にそれがだめでも1時間後のフライトがあるので大丈夫とご連絡して納得していただきました。暫くしたら私の上司に電話があり、村田を深夜便で飛ばしてくれとの事。上司いわくCEはこう言われた「とにかく困っておられるお客様に一歩でも近づいてくれ、そうじゃないと俺は眠れない」と。 結局その情熱??に負けて深夜便で飛ぶことにしました。でも1時間ちょっとのフライトで私は深夜2時半から3時について空港で待つだけなのですが(涙)上司も仲間も みんなでカラオケに付き合ってくれてロサンゼルス空港へ行くまでの時間つぶしと壮行会??をしてくれました。上司のおごりでした。

お客様に少しでも近くという感覚はこの時に身に着いたのかもしれません

そんなこんなでお客様に面会でき車のクルーズコントロールをセット&リセットしたら回転が下がらない現象を再現できました。打ち合わせ通りコンピューターとアクチュエーターを回収し厳重に保護材にくるんで持ち帰りました。 お客様からは「買ったばかりだが この車は本当に気にってる、わが子を病院に送る気持ちだ! 頼むよ」 なんか CEの気持ちがお客様に伝わったのかなという気がしました

これらの部品を他のメンバーが、日本へそのまま手持ちで持ちかえって調べて、すぐに原因究明ができました。

たった2件の市場情報でトヨタ本社は迷わずリコールを決めた

 トヨタの評判は安い小型車の会社というイメージだったので それを高級車路線に踏み出す第一歩がこのLEXUS LS400でした。

このリコールに対するメディアの日米差

日本の新聞各社とテレビーー 鳴り物入りのトヨタLEXUS いきなり失速

アメリカの新聞各社とテレビーーたった数件のレポートでリコールしたLEXUSは信頼できる素晴らしい会社だ

これは私にとってもの凄いショッキングな出来事でした。日米の文化の違いを痛感しました。

うさぎと亀の昔話をアメリカの学校で聞かせると 亀はフェアじゃない。友達なら寝ちゃったウサギを起こしてやるべきという意見が多くあったというのも驚きでした。

当時のロスのジャズ


まだまだ 往年のビッグネームが健在で、滑り込みで聴くことができた時代でした。 私が聴くと, 暫くしたら体調を崩されたり、亡くなったりしたので私はジャズ好きの仲間内から死神と呼ばれてました(涙)

ロスのジャズ界は4ビートのオーセンティックなジャズから、フュージョンに移り変わっている感じでしたが 行きつけのCatalina Bar &Gril では私の好きなジャズを毎週ブッキングしてくれてました。

画像2

Art Blakey;私が効いて暫くしてなくなりました。

Beny Carter;    控室では手が震えているのに、演奏が始まるとビシバシ吹いてました。当時83歳くらかな。

Miles Davis ;ハリウッドのコンサートホールで聴いたんですが、ほとんど演奏しないで、最初の数小節くらいを Kenny Carette(As)の耳元で吹くと、それをモチーフにKennyが ガンガン膨らませていくパターンでした。ピアノはケイ赤城さんでした。マイルスは何もしゃべらず、ステージにメンバーの名前が書かれたプラカードを高く掲げただけでした。自由席でステージの前の1Fと2F席があったんですが、私と友人の二人で会場に着いたときは1Fが満席で、係のお兄さんにチップ20$渡して1Fに入れて貰ったんだけど、友人は現金を持ってなくて、カードも使えなくて

二人の所持金が$5、Coronaビールを1本だけ買えて、二人で回し飲みした思い出もあります。

Billy Higgins 、Carmen McRae, Milt Jackson, Ray Brown,Tommy Flanagan、など凄い人たちを聞くことができましたね。

Highway Patrolの思い出

クルーズコントロールの評価でBakers Field へ走行試験に行ったときに、未発表のCanada仕様の車を運転してまして、Canadaは速度単位がKm/hなのでスピードメーター内にKm/hとMile/hの2表示がありました。テストデータをとるのに45Mile/h(72Km/h)とセットしたつもりが、45Km/hとセットしてしまったので、当然遅く走っていました。パトカーが来て路側に停止させられて 「どうしたんだ 遅いよね問題あるのか?」と聞かれました。セットを間違えたで済むはずだったんだけど、Policeにこの車は何?と聞かれたときに 未発表車だったので秘密ですと答えてしまったのがまずかった。 警察に隠し事をするのか!と 怒り始めて チケットを二枚切られました。 TOO SLOW (遅すぎ、交通妨害)とUnsafe Rane change (停止指示のあとのレーンチェンジが危険だった)との事。罰金をしこたまお払いいたしました(涙)

アメリカで警察に秘密と言ってはいけない!!

さて その次の評価時は未発表のLEXUS クーペにペンレコーダーを積んで測定をしてました。仕事が押し気味で、テストポイントの移動に30マイル(約50Km/h)の速度超過で走ってました。日本なら免停かな。またしてもHighway Patrolにつかまりました。

Policeがくるや 「これは未発表のLEXUSクーペです。 私はToyotaのテストドライバーでプロタイプのクルーズコントロールの評価中です。これがコンピューターで、この測定器でデータをとっています」と洗いざらい説明しました。Policeは無線で仲間に連絡しました「おい Lexusのプロタイプがいるぞ!」なんとパトカーが3,4台集まってきて みんなでLexusを見てわいわいやってました。 そしてお巡りさんたちは「君は大切な仕事をしているね、 コンピューターの精度が悪く かなりの速度超過をしていたので 再度チェックして走行してくれ。 頑張れ」と言って無罪放免になりました。本当は凄い速度超過でしたけど(-_-;)

学んだこと:警察には秘密と言ってはいけない


ミシガン州アナーバーへの応援


1990年の年末から Camryクーペの現地設計の応援のため、ロスからMichigan州のアナーバー市にあるテクニカルセンターへ長期出張に行きました。この時期湾岸戦争真っ只中で 1991年の年明けからは、米国へのテロ攻撃に警戒して、会社からは外出を控えるように通達がありました。真冬のミシガンですから、雪が降り マイナス10度が普通の状態です。平日はかなり忙しく、毎日遅くまで残業してましたが、週末はホテルの部屋に籠っててやることがなく、死ぬほど退屈な状態が続きました。私はじっとしていることが最も苦手なんですよ。本当に死ぬ思いでした(笑)

掟破りの旅行と 珍しい体験(凄く怖かった笑い話)

あまりにも退屈だったので、会社の言いつけを無視してマイアミ、キーウエスト旅行に行ってしまいました! 

Detroit 空港に入るにはパスポートとチケットを見せて、厳重な警戒をくぐって行きます。いつもは人がいっぱいなのに、旅行者は本当に少なかったですね。 

一つ目の事件は、普通はあり得ないのですが、飛行機がターミナルを離れて、滑走路をタクシングしている時に急に停止して、扉が開いたと思ったら警察官らしき人たちが入ってきて、私に立てと指示するのです。えっと思いながら立ったら、私の隣に座っていた人を連行していきました。周りの乗客が「何があったの?」と聞いてきますが さっぱりわからない。何の説明もないまま飛行機は離陸しました。 こっちはテロリストに違いない!とかってに思い込み、彼の席の下を覗いたり、彼の荷物はきちんと降ろされたのだろうかとか、ずーっとドキドキしながらマイアミに着きました。まあ それだけといえばそうなんですが、厳重警戒態勢だったので少し怖かったです。これが前座の事件です。

2番目は 怖いお笑い事件ですが

旅行者が撃たれてお金を取られる物騒なマイアミのホテルで深夜に扉のキーがガチっと開いた音がして目覚めました。チェーンがしてあったのでそれをガンガンと引っ張る音がしました。 もうびっくりするわ怖いわで ベッドの横に身を伏せて フロントに電話して 不審者が侵入しようとしてるから助けに来てほしいと伝えました。 すぐにセキュリティが来てくれましたが、その不審者がここは俺の部屋だ!と騒いでます。 実はダブルブッキングで彼は一旦チェックインして飲みに出かけ、深夜に帰ってきたとの事。でも荷物も何もないので全く気づきませんでした。彼には別の部屋に移ってもらうことになったのですが 「俺のパンツをとらせろ」と部屋に入ってきて、クロゼットの引き出しの奥から1枚のパンツを取り出して出ていきました。

チェックインした証拠のパンツでした! でもパンツひとつって何!!!怖かった笑い話でした。

永いミシガンでの設計応援が終わり暖かいロスへ帰着


ロスに帰ったらまずは海かなという事で、サンペドロへウインドサーフィンを持って行きました。サンペドロって聞いたことありますか?多分マドンナの歌の中で サンピエデュロってな感じで歌ってましたよね。 沖合へでていくと沢山のヨットが気持ちよさそうに滑走しています。港の出口のブイにはトドかアシカが昼寝、ペリカンが大きく羽を広げていたりします。

気持ちよくウインドサーフィンでプレーニングしていると、スパッと音がして私の顔の横に魚がずーっと止まってるのです。なんやこれ! 飛び魚でした。良く出汁に使われますね。私の横をほぼ同スピードで飛んでいました。本当にひれが羽になって飛ぶんですね驚きました。


飛び魚


1992年の1月のCES(Consumer Electronics Show)


JBLを探せ

トヨタの現調率アップのために高級オーディオのJBLを探すため米国最大のエレクトロニクスビジネスのショーCES in Las Vegasへ行きました。

JBLのブース行って「トヨタと仕事しないか?」って聞くと「我々はプロオーディオだよ」「我々はコンシューマー用オーディオだよ、OEM担当探してくれ」と言われて誰もかまってくれませんでした。2日ほどして TMS(Toyota Motor Sales)のFredが「見つけたぞ」とホテルの部屋へ電話をくれました。まだ携帯なんてなかったです(笑)から部屋にいてラッキーでした。

Tom Metzger登場


急いで指定されたカフェを行き会ったのが、Harman InternationalのOEMを担当している会社Harman Motive社の若きSalesマン、Tom MMetzgerさんでした。彼が31歳、私が34歳かな お互い若かったですね。
ここから30年の付き合いになるとは全く思ってなかったですね。

ここで我々は意気投合して作戦会議を始めました。
まずは1台デモカーを仕立てることにしました。

カムリをベースにトヨタのハイグレードベースのコストを提示し、そこで実現できるサウンドを作りこんで貰いました。

ロスにあるトヨタテクニカルセンター(通称TTC)にTMS(販社)のFredや商品企画の人たちを招いて音質評価会をやりました。ものすごく高評価でした。私はもうすぐにでもJBLブランドをToyotaに持ち込めると思ったのですが、そこからが長かったです(;^ω^)

私は幸運にもロスからAnn Arbor(ミシガン州)に転勤になり、オーディオ評価からオーディオ設計担当に変わることができました。

まずは新しい仕入れ先を入れるにあたりケンタッキー工場の調達部署へ相談に行きました。トヨタは現調化率はアップしたいものの、米国進出に付き合ってくれた日系仕入れ先を大切にしていますので、調達部署も検討すると言うに留まりました。まあそうですよね。

暫くしたら調達部署の調査、検討が終わりケンタッキーに呼ばれました。
彼らの結論は
ハイグレード車載オーディオはヘッドユニットとアンプとスピーカーが分離しており、すべてを一社でやらないと車両内の沢山のノイズやEMIなどの影響を排除することが困難だという事で、試しにスピーカーだけを採用でどうだとの事。

調達担当の意見としてはあまりに技術的なご意見だなと思いましたが、これは間違いなく日系のオーディオメーカーに相談した結果の入れ智恵だとすぐに理解しました。

しかしながら、自宅で高級オーディオを楽しんでいる人たちは、CDプレーヤ(ヘッドユニット) アンプ 、スピーカー、ケーブルを全て色々なメーカーを組み合わせ、工夫しながら音作りをしています。
トヨタは車両内でこれができなければダメだ!と私は考えていました。

開発するのは私です、技術的にできるかできないかは私が判断しますと啖呵をきって、すぐに上司と相談し許可を貰い、上司にも一緒にケンタッキー工場の調達部長に説明と交渉に行ってもらいました。

開発スタート


やはり調達の方が日系メーカーのアドバイスを貰って言ってたように
ノイズには苦労しました。
車の中はノイズの巣です。エンジンイグニッションノイズ、各コンピューターからからのノイズ、タイヤなどからの静電ノイズ、アンテナから入ってくるラジオノイズ、送電線やテレビ局、ラジオ局からのノイズなど
今まではシステムとして一社が対応して下さっていたので、システムとして効率よく対応できたのは間違いなかったです。今回はヘッドユニットのメーカーがそのノイズはアンプでしょ、そのノイズはワイヤーハーネスでしょ
いやいや と責任の押し付けあいに近いものが始まります。

Toyotaのエンジニアとしてうまく引っ張らないといけない


色んなノイズ源の特定、対策のためのインピーダンス整合、フィルタの設計提案、ワイヤーハーネスの取り回しなど勉強と実験の繰り返しの日々を送りました。でも本来のトヨタのエンジニアのやるべき姿だと信念をもって頑張りました。

素晴らしい音作りができたと思ったし関係部署からも高評価を得ることができました。

さあ JBLブランドで行こうと思った矢先に、販社の商品企画部門から待ったかかかりました。 トヨタのオーディオはPanasonic、Fujitsu-Ten, Pioneer, が入っていて 高級車載オーディオを買うお客さんはこだわりがあるのでブランドを出すと混乱する(過去にはあのブランドでなければダメだと強いクレームが多数あった) 各社にもブランドは出さないと約束しているとの事。 タイヤもブリジストンが良いとかダンロップが良いとかブランド問題はトヨタにとっては頭が痛い事でありました。

残念ながら立ち上がりはノンブランドでした。

但し 米国製オーディオアンプとスピーカーという事で現調化率アップに貢献しましたし、音質に関しても高評価を頂きました。

アメリカ人によるアメリカ人のための音質チューニング


Harman Motive社はカムリに続きAvaronにも採用されました。
当たり前ですが米国のトップメーカーですから米国の音のプロの集団です。
私が尊敬してやまないのが

師匠 Mr.John Eargle 


ジョンモーガンアーグル(1931年1月6日トゥルサ、オクラホマ– 2007年5月9日ハリウッド、カリフォルニア)は、オスカーとグラミーを受賞したオーディオエンジニアであり、ミュージシャン(ピアノ、教会、劇場のオルガン)でした。彼はDelos International のチーフエンジニア、オーディオに関する独創的な教科書の著者、JBL で31年間コンサルタント(およびエンジニアリング担当副社長)、そして元社長兼フェローでした。 Audio Engineering Society .

Eargleと彼の同僚であるMarkE。Engebretsen(1942年生まれ)は、1980年以降の映画のサウンド再生における革命の功績を称えられます。彼らはSociety of MotionPictureに論文を発表しました。およびテレビエンジニアは、シネマラウドスピーカーの設計における新しい概念を示しています。これは、トムリンソンホルマン(1946年生まれ)によって開発されたTHX サウンドシステムで最高潮に達する開発に直接つながりました。 映画芸術科学アカデミーは2人に、3人目の同僚はDを受賞しました。 B.(Don Broadus)Keele、Jr。(1940年生まれ)、2001年の科学技術賞(技術オスカー):

...コンセプト、デザイン、エンジニアリング現代の定指向性、ダイレクトラジエータースタイルの映画スピーカーシステムの。ジョン・M・アーグル、D.B。の作品'Don'KeeleとMarkE。Engebretsonは、20年以上にわたって一定の指向性、ダイレクトラジエーターベーススタイルのシネマスピーカーシステムを支配してきました。

彼はグラミー賞受賞の凄いエンジニアでした。

私は永年彼が設計したJBL4430 + JBL2405ツイーターを使ってきました。
Everest DD66000導入時に、泣きながらお友達に譲りました。

JBL4430
JBL2405


John設計のこのスピーカーはWarner Brothers モニタースピーカーとして活躍していました。

映画 Body Guardのチューニング

Johnがハリウッドのワーナーブラザーズのスタジオに連れて行ってくれました。
最終のチューニングという事でスタジオはピリピリでした。暫く待たされましたが入室を許可され
巨大なミキシングコンソールがあり 一体何百チャンネルあるのかさっぱりわからないものでした。
秒単位で再生と巻き戻しが繰り返され

ケビンコスナーの声


が少し鼻声になってるとかなんやらで セリフの一声一声をチューニングしてました。 驚きました。ホイットニーヒューストンを誘拐した犯人が脅迫レターを作るときに新聞の文字を切り抜く(今ならパソコンでしょうが当時はまだ新聞を切り抜いてました)音を別に録音してチューニングします。
音を取った時のハサミも見せてもらいました。

1994年1月 日本への帰国

JBLブランドの導入はできないまま、5年の任期を終えて日本へ帰国しました。

阪神淡路大震災



さあ これからJBL導入の作戦第2弾を進めようと思っていたところで阪神淡路大震災が起きました。オーディオの関係ではFujitsu-Tenさんが被災され、トヨタのオーディオチームはそのバックアップで大わらわでした。

先輩が神戸に乗り込んでいかれ テンさんの社員さん達と工場での稼働再開に尽力されました。 被災された社員さん達に働いてもらうなんて酷くないか
という議論もありましたが、現場の声を聞かせてもらうと 街も破壊されて悲惨な状況でも働く場所が再開されて仕事をしてると気が紛れて良い。また出来上がった製品をヘリでトヨタの工場へ運び、復路で食料、医療、衣料、酒などを運んだことが喜ばれました。
また打ち合わせなどは 大阪とかお風呂のあるホテルの部屋をとって行い テンの社員さんにはお風呂に入ってもらうように上司から指示が出ました。
トヨタも良いところあるじゃんと思いました。

JBL導入チャレンジ再開


他社ではブランドオーディオ 特にアメリカではBOSEが増えてきてました。ブランドオーディオが車載され、スピーカーグリルやヘッドユニットに人気ブランドロゴがついていると手放すときの残存価格が増えて下取りに有利だとか、ポジティブな情報を集めて なんとかJBLブランド採用を交渉しようとしていたころ、唯一ブランド採用していたLexusのNakamichiの経営が悪化してきました。調達部と企画部から代わりのブランドを探せないか打診されました。 Nakamichiはこだわりのハイエンドメーカーでしたから、それに代わるメーカー探しに難航しました。 米国トヨタ(TMS)からはブランド認知度評価からAlpine、Kenwoodという意見が出ましたが、人気は高いが普通だと却下しました。 そこで思いついたのがMark Levinsonです。私にとっては一生持つことのない超ハイエンドオーディオブランドです。

Mark LevinsonをLexusに


Madirigal Audio Labo.がHarman傘下に入っていたことがラッキーでした。
早速Harman-MotiveのTomさんに頼んで Madirigal Audio Labo.にアポ取りお願いしました。CEOのPhil Muzioさんに会いに行き車載オーディオのお願いをしました。返事はNOでした(涙) ちなみに CDプレーヤーが300万円、プリアンプが200万円 パワーアンプが600万円とか
まあ凄いブランドでした。 車の車載オーディオメーカーになるなんてブランドバリューが下がるわけです。 ただ彼の部屋に飾ってある写真を見てると車の写真が多く、車が好きなことはよくわかります。またギターをもってる写真もありました。
彼はニューヨークにいたころにはJAZZギタリストをやっていたようです。
そこで 次期Lexusの試乗の約束を何とか取り、自分はJAZZサックスを吹くんだ(習い始めて曲はまだ吹けません((;^ω^))と見栄をはり帰ってきました。少しでも記憶に残そうと頑張りました。

次のアポでLEXUSに試乗してもらったところ、 大層気に入ってもらい、LEXUS限定ならやってみるかという事になりました。
Tomさんと彼がHarman会長のSydny Harmanさんを説得してくれたおかげでもありました。

ToyotaにJBL LexusにMark LevinsonをいれることについてHarman側の了解は取り付けました。


肝心のトヨタ側が未だうんと言ってくれない


当時の私はまだ課長になりたてでした。 目先の仕事がある中で NakamichiからMark Levinsonに切り替えるLexusの戦略に加えて、Toyota 車へのJBL採用の大きなシナリオを作り、日本とアメリカでデモカーを仕立ててチーフエンジニア(CE)や営業、企画の方たちに試聴してもらいました。
日本ではAristoのN川CEがオーディオに造詣が深く、JBLと彼が担当することになるLexus SC430へのMark Levinson採用についてバックアップをしてくださいました。

1998年Aristo
当時のAristo用JBLのスピーカー まだまだとってつけた感あり


アメリカでもTMS(Toyota Motor Sales)へ何度もブランドオーディオの提案に行きました。

誰もMark Levinsonを知らない

JBLは結構ブランド認知されていましたが、Mark Levinsonはスーパーハイエンドブランドなので、TMSにも知ってる人はほとんどいません。
ビバリーヒルズの高級オーディオショップに関係者を連れていき、ショップのオーナーからビバリーヒルズのセレブがMark Levinsonを使ってる話をして貰ったりしました。

結局日本ではまだLexusブランドは無かったので Lexus相当の高級車という位置づけで、Phil CEOの了解をもらい、クラウンとランドクルーザーのプレミアムグレードにMark Levinsonを入れて貰いました。

JBLとMark Levinsonのブランドバリューがある程度トヨタ内で認知されはじめ、やっと大きなブランドオーディオの展開シナリオを当時のW田副社長までの了解を貰い、米国への提案を受け入れてもらいました。LS,CSとMark Levinsonが採用され、AvalonなどからJBLが展開され始めました。

そんな状況でもまだTMSの主要な方々は半信半疑でしたが、全米ディーラー大会で発表したときにディーラーの代表者さんたちが、「おお あのMark Levinsonか!!!」と騒いでくれたので、プロジェクトが勢いづきました(笑)
当時自宅のリスニングルームから車内へなんてコピーも作ってました。

原価企画と重量企画の大変さ


コストの話

トヨタの内部事情になるので正確な数値は出せませんが、例えばツイーター(広域用のスピーカー)の場合、一般的なスピーカーの原価を1とするとMark Levinsonのツイーターは10以上になります。最初はCEには「ふざけるな こんな値段のもの使えるか!」と一蹴されました。 デモ車を仕立てて何回も聴いて貰いました。担当の私やオーディオ関係の人間の意見は信用できないという事で、車両のシェルの設計や内装の設計者の意見を聞きたいと
多くの関係者の試聴会をやりました。オーディオ専門外の方たちから このバイオリンの艶やかさは凄い! このテナーサックスの倍音ののり、サブトーンの色っぽさが半端ない!とか 上々の評価が続き、CEも「まあ 販売価格は高くとれるからやってみるか」と言ってもらいました。評価者へ事前にコメントの詳細をお願いしていた(裏工作、根回し)ことは今だから言えます(汗)


重量の話


スピーカーからの音を正確に再生するためには、音を出すときにスピーカーが動かないが大切です。ホーム用の高級スピーカーは重い。そしてスピーカースタンドも重くかつ制振材が多く使われて、スピーカーから音が出るときに音楽以外の余計な振動が発生しないようにしています。
しかしながら車の中は
薄い鉄板にスピーカーを取り付けてますから、音が出るとその反作用でスピーカーが動きますから 鉄板の振動により大切な音楽の音の成分が弱くなります。
この対策で鉄板に重い制振材を貼り付ける必要があります。片側1Kgくらい。車は走行性能、燃費向上のため少しでも軽くしたいので、各設計担当は1g、2g軽くするために凄い努力を続けています。 そんな時に1kG貼りたいなんて冗談ですよね!!!
SC430では貼ってしまいました💛

チーフエンジニア(CE)のNさんが凄かった

LEXUS SC430は電動ルーフ開閉のコンバーチブルカーでした。
高速道路フルオープンでも車内の静粛性を確保したいとCEの強い思いがありました。 風切り音の低減のために走行時の空気の整流を大変な苦労を重ねて進められました。 本当に良い車になったのですが 高速走行時のオーディオの中域の音がやや弱いのです。
CEに思い切って相談しました。
「高速で100Km/h走行で助手席の女性を口説くために雰囲気の良いBGMがしっとり聴けることを目指しましょう」

CEのN の反応は「おお それは大切だな!」でした。
本当に良いんですか?と聞きなおしました。

ドアスピーカーの制振をいろいろなパターンでトライし、実際にテストコースを何度も走行し、ついに左右1Kgの制振材貼り付けを獲得しました。

1g 0.5g低減しろと言われつづけてる他の設計者からは大ブーイングでした。

当時のCEは粋な方々が多かったですね(笑)

この後LSにはアイシン高丘の鋳鉄をパッケージトレイに張り付けたことも良い思い出です。


JBLはトヨタ Mark LevinsonはLexusに展開され始めた


順調に計画が動き始めました。JBLとMark Levinsonの開発のため多くのエンジニアが日本に来てくれましたが、ここで特筆すべきHarmanの3人を紹介しましょう。

特筆すべきHarmanの3人


Don M.さん


Harman-motive社から名古屋へトヨタ自動車とのコミュニケーションを図るため、そして米国からくるエンジニアのサポートに奔走する役回りでした。
彼は単身名古屋へやってきて マンションの1室を事務所兼オフィスとして業務を開始しました。
アメリカからピザ生地の粉を大量に持ち込み毎日ピザを食べていましたが、しばらくすると一人で街に繰り出し、近所の飲食店とはすぐにお友達になっていました。行動力と社交性の高い素晴らしい人材でした。
お寿司屋さんでは お任せっと一言! 出てくるものは拒まず 食べてからこれは何?と聞いていました。 アメリカ人とは思えない食に対する積極性を見せていました。ちなみに当時の私はウニが苦手でしたが、彼に5回食べたら好きになると言われて本当に好きになりました。

この行動力のDonさん

ある日 相談があると言ってきました。 日本人女性とお付き合いが始まり先方のご両親に挨拶に行くため、挨拶の特訓をして欲しいとのこと。
さすがの行動力

当日の朝 マクドナルドの朝食の差し入れをもって彼のオフィスへ

リピート アフター ミー
Ojousan wo kudasai
Ojousan to kekkon sasete kudasai
Shiawase ni shimasu

そして 一般的に お父さんはYesと言わないことがあるが ご飯でも食べようと言われたらOKだ
などと適当なことを指導しました。

今はりっぱな2男1女のお父さんです。

Phil Muzioさん (CEO Mark Levinson


Mark Levinsonの音作りは CEOのPhil が担当なんですね。毎回音質チューニングには多忙な彼がトヨタ自動車の実験棟に籠って Totalで700時間ほどチューニングをしてくれました。

オーディオと音楽が好きで、妥協しないスーパーマンでした。
彼が日本に来ると 我が家でオーディオ談義をしたり、ライブハウスへ行ったり、彼はJAZZギタリストなので 名古屋のJazz Inn Lovely やMerry Poppinsを貸し切ってセッションしたりして楽しみました。私は音を出すだけで必死でしたが(涙)

今は引退して 奥様と家庭農園を楽しんだり、オーディオはMark Levinsonにこだわらず真空管アンプを使ったり、のんびりオーディオライフを楽しんでます。
真空管と言えば
彼がまだMark LevinsonのCEOの時に真空管アンプのサンバレー社のショールームに連れて行ったことがありました。真空管アンプの神 大橋さんが色々なアンプを聴かせてくれました。
Phil と私はSV2という 300Bドライブ845シングルという超弩級アンプに一聴き惚れして、二人で購入しました。PhilさんはSV2がかなりお気に召したようで自宅での稼働率はかなり高かったみたいですが、立場上内緒ねと言って笑ってました。 そういえば、大橋さんの著書 「真空管・オーディオ」にインタビューで登場してました。

今でもメッセンジャーなどでオーディオの話やJazzの情報交換させてもらっています。

Phil Musio CEO


Phil (ギター)とセッション 手前が私 割と最近の写真


Tom Metzgerさん


Tom さんとは1992年1月のCEショーで出会ってから今は2022年、はや30年のお付き合いになります。
30年前にまだ若い営業マンだった彼がHarman-Motive社を動かし、デモカーをトヨタの関係者に試聴させてくれたのが全ての始まりでした。
彼のバイタリティーと行動力は素晴らしくHarman社内でも重要なポジションについていきました。

ここからTomさんと そしてHaman社との沢山の思いでを紹介していきます。

2度目の新婚旅行


私はオーディオ開発という仕事の面では充実した生活を送っていましたが、不徳の致すところでバツイチになりました。縁があって今の奥さんと再婚することになりました。お互い再婚という事で式も披露宴もなしにして、お互いがJazz好きなのでNew Yorkへ新婚旅行に行きました。

Times Squareの年越し


大晦日から新年にかけて年越しをしたのですが、Tomが知り合いがいるので
部屋は任せろと言ってくれたのでお任せしました。
Times SquareのMarriott ホテルの
カウントダウンでリンゴが落下する側の部屋を確保してくれました。
これは壮観でしたね。
ニューヨークの大観衆が私たちの真下に集ってるのを見下ろすのです。まるでKing & Queenになった気分でした(笑)
2000年12月31日 20世紀最後の日
カウントダウンとともにリンゴが落ち
私達は21世紀を迎えました。

Tom家のパーティ


New Yorkから日本への帰路にTomさんがミシガンの自宅に招いてくれました。
なんとHarmanの仲間たち、Toyota Technical Centerの仲間たちがいて、私たちのためにパーティーを用意してくれました。
おもちゃの指輪も用意してあり、結婚気分を盛り上げてくれました。
Donさんも Philさんも来てくれました。
素晴らしいパーティでした!

Tom 家での結婚お祝いパーティ


21世紀を迎えて JBL、Mark Levinsonの開発も順調に展開されていった頃
駐日アメリカ大使公邸でのライブパーティーというお話が舞い込んできました。

アメリカ大使公邸でのライブパーティー

Harman-Internationalの当時の会長はSydney Harmanさん
彼は民主党政権下でUS通商副代表という立場にいた方で、奥様はCalifornia州上院議員でした。
日米の摩擦が問題視されていた頃に高級オーディオをトヨタが輸入していることが評価され、大使がトヨタのトップを招待し感謝の集いを開きたいとの事でした。 Harmanの会長ご夫妻が大使に話をされた事は間違いないと思います。

Harman社は米国ではEric Clapton Wynton Marsarisなど一流ミュージシャンとの関係はあるのですが、日本でしかも大使公邸でのミニライブになるとアイデアが無いということで、私にミュージシャンを選んでくれという事になってしまいました。

ミニライブなのでJazzボーカルが良いと思い
まずは Keiko Leeさんに電話しました。 彼女はやりたいと言ってくれたのですが、丁度海外ツアーと重なり出演不可でした。
次に綾戸智恵さんのマネージャーに電話したところ
「大使様かもしれないが、綾戸はプライベートな小さなライブはお受けできません」との返事。冷たいなあと思ったけどポリシーならしょうがない。
で ボーカルはあきらめて岸野佳子さんのピアノトリオになりました。
あくまでも女性で!

トヨタ自動車からは 豊〇章〇朗 会長を筆頭に重鎮が参加され
米国大使、Sydney会長 両社役員さん達がご出席で大変和やかで盛り上がったとの事。
私は残念ながら出られませんでした。
実はSydney会長からは貴方にはJBL,Mark Levinson導入には
大変お世話になったので、是非出席をと言っていただけたので、私も招待リストに載っていましたが、トヨタ内で偉い方々が名簿をみて「少し人数が多いな、人数削減せよ」と仰ったそうで、ひとり若い無名の私が削られることになりました。
Sydney会長は当然知りません。

当日 トヨタの 豊〇章〇朗 会長は大層ご機嫌で
こんな楽しい会ならもっとトヨタ側からも来れば良かったねと仰ったらしいです。「ちゃんちゃん😢残念!」

あとから Sydney会長からは大使館の便せんでお手紙を頂戴しました。
アメリカの国章のイーグルが入ってました。

LEXUS Mark Levinson Booklet


LexusのMark Levinsonが定着してきたころに、Harman社がLexus Mark Levinson Bookletを発行しました。
なんとこのBookletの表紙に選ばれました。選ばれたのは私ではなく
私のサックスです。1960年代のAmerican Selmar MarkⅥ というビンテージ楽器です。 古くてラッカーは自然に剝がれてきており、多少錆も出てる楽器ですが、プロのカメラマンの手により、美しい写真になりました。
大切にとってます。

写真

Mark Levinson Bookletの表紙を飾った私の愛器


JBL本社でEVEREST DD66000のプロトタイプを聴く


2005年末だったか2006年だったか忘れましたが、Californiaの
JBL Northridge 本社を訪問しました。

JBL 本社 Nortridge

そこで 発表前のEverest DD66000を聴かせて貰いました。 その音の素晴らしさに鳥肌が立ちました。
この時にいつかはこれを手に入れたいと強く強く思いました。
I fall in love with JBL Everest DD66000
このスピーカーはJBL社創立60周年記念フラッグシップモデルとして開発されたもので、JBLの技術の粋が織り込まれています。

JBL社創立60周年記念 JBL Everest DD66000発表会


2006年9月8日 東京帝国ホテルにてJBL社創立60周年記念フラッグシップモデル JBL Everest DD66000が発表されました。
私も光栄なことにご招待いただきました。
ここで販価 1本330万円 2本で660万円であることが判明
さあ いつ手に入る事か めまいがしました(笑)

幕が開き 現れたDD66000
Harman International Japan 安田社長
JBL社 ポール ベンテ社長



Jazz喫茶Basie と Tomさんとの出会い



私が一回目のバンコク駐在から帰国したときにTomはHaman-International Japanの代表取締役社長として日本に赴任してきました。トヨタ自動車とトムさんとは良好なビジネスパートナーの関係を持っていますが、彼は日本の社長として高級オーディオディーラー、スタジアムなどの顧客会社などとの連携強化に忙しい日々を過ごしていました。


ある日私が岩手県一関のジャズ喫茶Basieに伺ったときに、菅原マスターから
HarmanーJapanの社長が変わったらしいな、アメリカ人だってねという話が出ました。 Basieと言えば日本のJBLの聖地ともいえる店です。
友達だから連れてきますと言ってきました。

Basieの菅原さんと

Tomさんに連絡し Basieに挨拶に行ったほうが良いよ
とアドバイスし、Basieの予定を伺いTomを連れて行きました。JBL60周年の時のHarman International Japanの安田元社長も合流してくれました。
BasieとJBLの長いお付き合いについて色々なエピソードを伺うことができました。
Count Basieのお墓参り
JBL社長宅訪問など楽しい話題は尽きませんでした。

菅原さんとTomは大いに意気投合し、大変良い関係を構築することができました。Tom !  Swifty!と呼び合ってました。
またBasieという店は全国からお客様がいらっしゃいますし
毎回芸能界や文壇や著名人がいらっしゃいます。
この時は「せごどん」のシナリオライターの中園みほさんがいらっしゃいました。

Tom  私 安田元社長


中園みほさんと

Tom さんとBasie菅原さんとの楽しい出来事


Tom さんと菅原さんとお付き合いし始めて、色々と楽しいことがありました。

1)Bluenote東京で渡辺貞夫コンサート

 Tomさん、菅原さんと貞夫さんのライブに行った時にBluenote
のマネージャーさんが「コロナ禍なので楽屋訪問は禁止してますが、菅原さんがいらっしゃってるのにお知らせしないわけにいかないので、菅原さんのみ楽屋へお願いします。」ということで 菅原さんだけ楽屋へ向かわれました。
暫くしたら 我々のところへワインが届きました「貞夫さんからです」とのこと
菅原さんの凄さを改めて感じました。

2)タモリさんからの電話

Tomさん、菅原さんとイタリアンで食事をしていたら、菅原さんの携帯が鳴りました。 菅原さんが「タモリからなんだけど、飲みに来ないかって言ってるんだけどどうする?」 Noという理由も無く当然行きました。
ドキドキしながら行った先は都内某所のレストラン。 カーテンで仕切られたエリアにタモリさん中心に数人座っておられました。
俳優の小澤征悦さん、NHKアナウンサーの桑子真帆御夫妻、ものすごくお洒落な女性(モデルさんかと思ったら女医さんでした) など華やかなテーブルでした。
タモリさんは菅原さんに「先輩 お越しいただき有難うございます。」とご挨拶。
我々には「菅原さんは学生時代は怖い先輩で、こんなに気楽に話せませんでしたよ」との事。
菅原さんは早稲田のハイソサイエティオーケストラ(Jazz big band)のバンマスで3年連続日本一に輝いたすごい人で、タモリさんはモダンジャズ研究会(通称ダンモ)で早稲田ジャズ界で菅原さんの後輩だったそうです。

暫くしたら、偶然いらっしゃった俳優の石田純一さんが挨拶に来られたのですが、
菅原さんにも「どうもご無沙汰してます」と挨拶されてます。
石田さんが昔「愛と平成の色男」という映画で主人公のジャズサックス奏者をやったそうで、その時のジャズクラブのロケがBasieで行われたみたいです。

タモリさんは「ごめんな 明日早いのでのんびりできないよ」とおっしゃってた割にお帰りになったのは3:30am頃でした。十分ゆっくりされてます→芸能界恐るべし。

3)新型JBLプリメインアンプ シリアルNo.1


 ジャズ喫茶Basieのオーディオアンプは大変レアなJBLのアンプです。
プリアンプはSG520
パワーアンプはSE460 3台

SG520
SE460 (Hi Fi堂で同機種撮影)

  JBLのアンプを使い続けてる方は本当にレアで、Basieの菅原さんは
 JBLブランドをジャズの世界で最も重要なオーディオに位置付けたJBLの神様のような存在だと思っています。

JBLが75周年を記念し、数十年の眠りから新なJBLアンプを発表しました。
最新型プリメイン SA750です。 菅原さんは第1号機は私が買うと叫んでおられました。 Tomがなんとシリアルナンバー1をBasieに納入しました。
これはStereo Soundマガジンでも大々的に取り上げられました。
Tomの親友として、Tomを菅原さんに紹介した仲人として、Basie菅原さんのファンとして、1オーディオファンとして本当に嬉しい瞬間でした。

その記事を引用します。

念願のMM Jazzをスタート

Jazz喫茶 Jazzライブハウスをやるというのは学生時代からの夢でした。2019年1月に40年かかりの夢を現実のものとし、小さいながらも名古屋池下町にJazz Bar, Jazz Cafe,Live HouseとしてMM Jazzをオープンしました。

バンコクに駐在していた2016年頃から店の図面検討を始めました。規模は全く違いますが、BASIEや千葉のCandyを訪問して勉強をしました。
大まかな構成を考えて、外観がほぼ決まったころ模型を作ってもらいました。

正面
斜め上から

実際の外観はこちら


スピーカーはJBL Everest DD66000


ついに念願のDD66000が入りました。

JBL Everest DD66000が鎮座

2019年1月にオープンしましたが、私はまだサラリーマンと2足の草鞋を履いているため、週に3日のBar営業と不定期のライブをやっています。

本格的なMMJazzの活動報告はまたの機会にします。

JazzとJBLの聖地を目指して


MMJazzは ジャズ喫茶、ジャズBar, ライブハウスの他に
2階にレッスンルームがあり、MMJazz Music Studioとしてジャズ教室をやっています。

さらにHarman International さんとディーラー契約を結び
JBLやMark Levinsonの販売も始めました。
今後もJBL Mark Levinsonとのご縁が続いていきます。

JazzとJBLの様々な楽しいコラボを展開していきます

Gene JacksonのクリニックをJBLがサポート

Geneはあの ハービーハンコックのレギュラードラマーを務めた名手で
彼のレッスンを受けられるクリニックを名古屋MM Jazzで開催しました。

実演と語りで楽しい時間

MM Jazz Tシャツ JBLとのコラボ

JBLファンを広げるためのささやかな活動


最新型 JBLプリメインアンプ SA750の試聴会
SA750をDD66000 Everestで試聴

JBL75周年記念L52や小型JBLスピーカーの試聴販売会

小型スピーカーをゆっくり比較試聴してもらい
飲食していただきながらの質問時間も確保
沢山のお客様に喜んで頂きました。
4セットご購入!!
ヘッドフォンやイヤフォンではなく

私の願い:スピーカーをご家庭に置いて聞いて欲しい


JBL、Mark Levinsonレビンソンとの関係を30年分語ってきました。
トヨタを離れ、新たなステージでの音楽、オーディオ活動を始めます。
この世界の話は また別の機会に
こうご期待!

JBLとMark LevinsonをトヨタとLexusに持ち込んだ漢の、アメリカとJAZZとオーディオの昔話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

終わり

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