命のつながり
「なぁ、なんで僕とお兄ちゃんは5歳も離れてるん?みんな2歳とか3歳差なのに」
小学4年生の僕は、何気なく疑問に思ったことを父親になげかけた。
「ん?ん~。ほんまはなぁ。間にもう一人いたんや。」
「え?」
「生まれず亡くなったけどな」
「え、なにそれ。全然知らんかった。じゃあ、もしかしたらもう一人兄弟がいたかもしれんってことやん。」
「そやなぁ。そうなったかもしれんなぁ。まぁ、それか、もしかしたら、その子がおったらお前は生まれてなかったかもしれんなぁ。」
「え、うそ。」
「いや。ほんまに」
(・・・なに、それ)
父親は笑いながら話していたが、全然笑えなかった。
母親にも聞いてみたが、困ったような顔をして「そやなぁ」としか話さずそれ以上語ろうとはしなかった。普段よくしゃべる母親の口数が少ないので、子どもながらに察してそれ以上聞くことはできなかった。
ずっと二人兄弟と思って過ごしていた。自分が生まれる前に、自分の知らない命が、こんなに自分と関わりがあるなんて。小学生の僕には衝撃が大きすぎた。
この話を聞いた時、もし、もう一人兄や姉がいたらどんな生活だったんだろう、どんな顔で、どんな性格だったんだろうと妄想してちょっとわくわくした。
その一方で、「その子が生まれなかったから自分が生まれたのか、ラッキー」で終わらせようとした自分もいたが、そう思った瞬間自分のことが嫌になった。その安直な考えは、生まれなかった兄弟の命を冒涜している感じがした。その時は、言語化することができず胸の中にずっとモヤモヤしたものが残ったことは覚えている。
ただ、当たり前のように生活している自分が生まれてきたのは、必然ではなく偶然の重なりで生まれてきたように思えた。
実家の墓参りに行くと大きな先祖の墓の隣に小さな墓石がある。その子の墓石なんだといつだか母親に教えてもらったことがある。その墓石にそっと水をかける時、なぜか他の墓石より少し親しみを感じるのは、自分との命の繋がりを感じるからだろうか。