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かつてのわたしへ/虎に翼

何か不当な思いをさせられているような気がするが、これはわたしの気のせいだろうか、いや違うのではないか、でもわたし以外の人たちは平気な顔で黙っているし、このモヤモヤはわたしだけのもので、いつもの気にし過ぎなのだろうか、と悩みつつも人に打ち明けたら「考え過ぎ」と笑われたしやっぱりそうなのか、心の持ちようか、あるいはわたしが我儘なだけなのであろうか…

そうやって自分の思いをしまい込んだ
かつてのわたしに観てほしい朝ドラ

それが、「虎に翼」です。

と、ここまで書いてずーっと下書きで眠っていた記事を、掘り起こしてみました。

下書きに仕舞ったとき、わたしがこの後どんな続きを書こうとしていたのかはもはや藪の中だけれど、最終回を涙ながらに観終え、寅ちゃんロス(というか花江ロスでもよねさんロスでも梅子さんロスでもヒャンちゃんロスでも涼子様ロスでも轟ロスでもあるし、というか優三さんロスや直道さんロスも長々と引き摺っているのだけれど!)を抱えながら、なんとか生きております。

ロス。

そう、喪失感も勿論あるのだけれども
なんというか…
不思議な充足感もあって。

閉店するデパートの最後の営業日、シャッターの前に常連が集まって「ありがとう!」とやる、あれ。

あの感じをたぶんわたしは今
しみじみと味わっています。

***

玉音放送や出産シーンを大きく取り上げず、でも大切な人の死を知ったときの悲しみや、生理や、身近な人たちとのすれ違いと葛藤と歩み寄りについては丁寧に描かれていて目を瞠ったこと。

誰もがオリジナルのドラマを生きていて、人それぞれクローズアップすべき場面が異なるのだということ。
後の世の人が記す年表には載らないだろうけれど、わたしにはわたしの人生の特別な瞬間があるのだということ。

日本初の女性弁護士の1人で、後に裁判官となる主人公だけがすごいのではなくて、その道に進むことを全力で応援した人、道半ばで諦めざるを得なかった人、家族を支え叱咤激励し続けた人もそれぞれ、胸を張っていいのだということ。

ひとつの道を極めることだけではなくて、色々なことやものに広く興味を持つのもまた、尊いのだということ。

誰もが間違うし、一生懸命生きていれば過ちや後悔を正す機会もやがて訪れるということ。

腹に抱えた思いがあってもスンッとし、渡したくなかった花束を笑顔で渡し、あるいは納得のいかないことに「はて?」と疑問を投げかけ続け、自分を曲げずに闘い続けた幾多の人々の後に、わたしも連綿と続いているのだということ。

今、解決する方法を見出すことも大事だけれど、それが叶わなくても自分の行動は「判例」として残るということ。

石を穿つ雨だれに、進んでなる道すらも自分で選ぶことができるということ。

自分の道は自分で選んでいいのだということ。
わたしたちは根源的に、自由なのだということ。

***

今の世にもクソなことがまだまだあるけれど
こんなにも胸を熱くできるドラマが作られる
あなたの生きる世よりは幾分マシになる

心配しなくても大丈夫、胸を張って生きなさい
と、かつてのわたしに伝えたいのです。

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