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「生理のおじさん」を見たら、なんかちょっと泣けてきた

「生理のおじさんとその娘」という、そのタイトルからして既に気になっていたのに見逃したドラマが、再放送されていたので見ました。

さすが再放送の鬼、NHK。
迂闊なわたしは、いつも助かっています。

途中、登場人物たちが急にラップバトルをする場面が出てきて、いやいや無理だろ、急に韻踏めないだろ、言葉紡げないだろと思いました。

この場面に自分も居合わせたらと想像し、にわかに胃が痛み手に汗が滲むほど緊張しました。
共感性羞恥…

が、しかし。

ドラマのラストで、「生理のおじさん」が「こんなことがあったら婦人科に行きましょう」という内容の短い動画配信をしている、という設定でエンドロールを流していて、それを見ていたら何だか、ふいに泣けてきたのです。

わたし、実はずっと傷付いてたんだ
ということに気付いたのだと思います。

***

子どもの頃、保健体育の授業がありました。
男女は別々の部屋に移され、実質的な、肝心な部分は隠されて説明された為か、いまいちよく理解できませんでした。

生理用ナプキンやタンポンの使い方を、わたしは学校では学びませんでした(吸水ショーツや月経カップはまだ無かった)。

ナプキンの付け方や経血漏れを防ぐ方法や衛生面などについて、生理中に注意すべきことは母から教えて貰った記憶があります。

今思えば、母親と死別/離別していた子、あるいは母親との関係性が悪かったり希薄だったりした子は、どうしていたのでしょう。
彼女たちは生理用品を、どうやって入手していたのでしょう。

学校では、生理用品は「あれ」などと呼ばれていました。

「あれ、持ってる?急に来ちゃって…」

生理、とかナプキン、とかは忌むべき、慎むべき言葉として扱われ、小説やドラマなど物語の世界でも、病気や怪我やウィルス感染や風邪などは描かれるのに、生理やPMSは「ないもの」とされていました。

自分の体に起きていることを
母親以外の誰にも公然と相談できないこと。

母親にも、父親や兄の目を避けるようにして
コソコソ話していたこと。

痛みや量がいつもと違うとき、どの程度なら
問題ないのか気軽に知る手段が無かったこと。

生理用品を買うのが恥ずかしくて、購入する際は
レジで男性に当たらないように祈っていたこと。

そんなあれこれを経て今、時代が変わり、テレビで、公共放送で、生理についてのドラマを流してくれて、「こんなことがあったら婦人科に行きましょう」と発信してくれるなんて。

自分がそんなことで泣くなんて思っていなかったので驚きましたが、きっと知らず知らずのうちに小さく傷ついていた、ということなのだろうと思います。

「わたしは大っぴらにしたくない」とか
「引き続き隠語を使いたい」とか
色々な考えがあって然るべき、と思います。

誰もがみんな、大々的に「わたし、今、生理です!」と言わなくたっていい。

でも、何か不安なことがあったときに
すぐに相談できる体制が整っているといい。

気軽に話せる場が、手段が、
幾通りも用意されているといい。

そう思うのです。

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