あなたは本当に「正しい」のか/『正欲』
朝井リョウ著『正欲』を読んでいます。
「共感」とか「分かる」とかいう言葉は、安易に使えないし使うべきではない、けれども、この小説を半ば辺りまで読んだ時点でわたしが一番近しく感じた登場人物は、桐生夏月です。
彼女とわたしの共通点は、自分の悩みを誰かに伝えたところで分かってもらえることはないという諦念と、その結果としての沈黙にあると思います。
例えば、自分が正しい形の循環に適した人間ではないことは分かっている、だから放っておいてほしいと心から願っているのに、この社会で生きている限り他者からの干渉から完全には逃れられないという悟り。
自分とは根本から異なる人間が隣に座っている可能性を想像すらしない人物に対して「おめでたいな」と感じる瞬間。
勝手に悩みを打ち明けてきたのに、お返しとしてのこちらからの打ち明け話が無いと不審がられ、詰られるという理不尽。
各場面で思わず「分かる」と頷きました。
そして、そうか、悩み相談や打ち明け話をしない(簡単に出来ない/相手を選ぶ必要がある)から、わたしには友だちが出来なかったのだな、と納得しました。
そうなんですよね。
本当には心を開いていないことを、大抵の人はどうしてか、感じ取るものですよね。
わたしの場合、例を挙げるならば…
出産時のあれこれについて話している人が近くにいると怖気だって耳を塞ぎたくなるし、ドラマの出産シーンすら直視できません。生理のときに自分の血を見るとゾッとして手の力が抜けます。
子どもを産みたいと思ったことはありません。
でも、一般的に出産はおめでたいこと、神聖なことと捉えられているし、月経は、特に初潮は出産準備が始まった証として寿ぐべきものとされています。
だからわたしは、出産や生理について自分が思うことを、人には話してきませんでした。
自分がおかしいと思っていたから。
確実に多数派の感じ方とは異なるし、女性として正しい姿ではないと思ったから。
怖い、気持ち悪いと思っていることを伝えたら、傷つく人がいるかもしれないと思ったから。
これは飽くまでもわたしの感覚であって、理解して欲しいわけでも、同調を強要しているわけでもないことを、正確に伝えられる自信がなかったから。
…
小説冒頭の文章を書いた人は誰なのか
事件はどのようにして起こったのか
どの登場人物がどのような性的指向なのか。
わたしは正しいのか。
あなたは正しいのか。
ミステリーを含んだ語り口と、あらゆる側面から綴られるそれぞれの人物の心情の吐露に、仕事と家事とその他の用事以外の全ての時間を費やさずにはいられない小説です。
なんで今まで、読まなかったんだろう。
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