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阪神・淡路大震災から28年目に思う事

こんにちは、デジサス編集部の根岸です。

2023年1月17日で、阪神・淡路大震災発生から28年となりました。

戦後初の大都市直下型地震は、関連死を含め6,434名の命を奪い、住まいや仕事など暮らしの土台を崩壊させました。そして今でも、私たちに多くの教訓をのこしています。

当時、東京の小学生だった私も、テレビの画面に映し出される高速道路が横転し、建物が崩壊した被災地の光景に、世界が崩壊したようなショックを受けたことを覚えています。また、防災士の資格を取る際に、改めて阪神・淡路大震災が世の中にのこした影響の大きさに驚きました。

弊社インフォコムの安否確認システム、エマージェンシーコールの元となったシステムが誕生したのも、この阪神・淡路大震災でのボランティアがきっかけです。

当時を知る、インフォコムの危機管理コンサルタント髙橋に話を聞き、改めて私たちのシステムのあるべき姿について考えました。

神戸の実家と連絡が取れない!

髙橋は当時、関東にあるイメージパートナー社(現在のインフォコム東日本)に入社して2年目でしたが、震災発生の情報がテレビ等で報道されると、大きなショックを受けました。

特に、当時の社長が神戸市出身でしたが、実家と全く連絡が取れないということで、社員一同とても心配したそうです。

なんとか実家に戻るという社長に、髙橋は何か手伝いが出来ないかと、車や電車が動かない中で、フェリーなどを乗り継いで、なんとか神戸に入りました。

被災地の状況

神戸の中心地、三宮駅前は建物が崩壊し車も通れない、身動きが取れない状況でした。何とかたどり着いた社長の実家も、家は全壊。愕然としましたが、物置に張り紙が。

「九州に旅行に出ていたおかげで、みんな無事です。」
避難場所も記載されていました。

実際の張り紙の写真

社長も髙橋もホッと胸をなでおろしましたが、まだ携帯電話も普及していない時代。自宅が倒壊して、自宅の電話が使えない状態では、安否や避難場所を知る手段は張り紙ぐらいしかありませんでした。

「これでは、ここに来る人しか安否の状況は分からない。不安な気持ちを抱えている人がいっぱいいるはずだ。IT企業として、特に音声に関する技術を持つ我々として、何かお役に立つことはないだろうか?」
そう考えた髙橋は、すぐさま電話回線を利用した安否確認システムを検討し、東京に戻ってすぐ、協力者を得るべく走り回りました。

システム始動

当時、UNIXを利用している企業が集まって作っていた団体があり、その団体の協力も得て、すぐにシステムを構築、東京に設置しました。

ガイダンス音声の録音に関しても、神戸は海外の方が多いので、JICA(国際協力機構)様にご協力いただき、英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、中国語の5か国語の案内を用意しました。

「被災者避難場所連絡システム」は神戸の状況を見た20日から4日後、24日にオープンしました。

初の安否確認システムである「被災者避難場所連絡システム」は、システムの番号に電話をかけると、被災者の自宅電話番号をキーに、避難先の電話番号と5秒間のメッセージを再生する事が出来るというシステムでした。

広く使っていただくために、3,000箇所の避難場所にシステムの電話番号と使い方の書かれているステッカーを張って回り、ラジオやテレビ、新聞でも取り上げていただきました。

結果、2万名の方にご利用いただき、3,000~4,000名の方が親族の安否を確認されたそうです。

「171」と、「エマージェンシーコール」へ

このボランティアから生まれた「被災者避難場所連絡システム」の方式は、後に論文にも取り上げられ、3年後に「171」災害用伝言ダイヤルにも採用されました。

そして、「被災者避難場所連絡システム」はその後、多くの企業様から強いご要望をいただき、「緊急連絡/安否確認システム エマージェンシーコール」として成長してきました。
元のシステムの形を色濃く受け継いだ、社員専用の家族伝言板である「伝言サービス」のほか、数々の災害を乗り越える中で、メール、アプリ、LINEなど様々な媒体への連絡や、繰り返し連絡などの機能を追加し、現在に至っています。

当時を知らない私たち社員は、髙橋から当時の話を聞くたびに阪神・淡路大震災や様々な災害の被害を思い出します。「何かお役に立つことはないだろうか?」という気持ちを受け継ぎ、本当に役に立つシステムをご提供しなければ、という思いを強くしています。

2023年1月、この気持ちを忘れないように、ここに記しておきたいと思います。

2023年1月
インフォコム株式会社
デジサス編集部


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