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子を授かるまでの歩み。キャリアとの両立を模索する中での、受精胚凍結という選択。

もうすぐ2人目の子供が産まれる。

新しい命を迎える準備を進める中、今に至るまでの歩みを振り返りつつ、子を産むという女性のライフイベントについて思うことを整理してみたい。


何を考え、何を知るべき?

子供が欲しいか、それをどのぐらい強く望んでいるか。まずはこの問いから始まる。私自身は、ずっといつかは欲しいと考えていたような気がするが、キャリアや社会人生活が充実し始めた20代後半、友人たちが子を産み出した30代前半、出産適齢期と呼ばれる時期を過ぎた30代半ばなど、その時々で、自分の答えや考え方は微妙に違っていたとも思う。

子供は欲しいと思った時に手に入るものではなく、尊い授かりものだ。自分でコントロール出来ることは極めて限られていて、思い通り・計画通りには行かない。だとしても、自分にとって何が大切かを考え、自分の体や妊娠・出産に関する知識を身につけ、選択肢を知り、必要に応じ早い内から自分のニーズに合うアクションを取ることは有効だと考えている。

私が最初の子供を授かるまでに悩んだ点や岐路における選択のプロセスなどが一例として誰かの参考になればと思い、以下に纏めてみる。

パートナーとの対話

子供以前に悩むのはパートナーのことかもしれない。この人だと思う相手にいつ巡り合うかにより、女性が各時点で持ち得る選択肢は変わってくる。私の場合、結婚は比較的早くにしたので、以下ではパートナーを持ってからの歩みにフォーカスしたいと思う。

パートナーと共に子供を産み育てたいと考える場合、お互いのキャリア形成や家族のあり方について繰り返し話し合い、考え方を擦り合わせていくことがとても重要だと感じている。私たち夫婦は結婚以前からこれに多くの時間を費やし、上手くコミュニケーションが取れない時期も勿論あったものの、対話を重ねてきたことが総じて円滑な家族運営に繋がっているように思う。

結婚当時の私たちは20代後半だった。当面はお互いキャリアに専念し、妊活は一旦先延ばすことで合意。暫く仕事中心の生活を続けた。その数年後、私が30歳を過ぎた頃にキャリアの岐路に立つことになり、夫婦で改めて子供について考える時を迎えた。

キャリアの分岐点

仕事に手応えを感じ始め、もっと色々挑戦してみたいと思う時期と出産適齢期が重なることで悩む女性は多いと理解する。私もそうだった。長らく希望をしていた海外赴任のチャンスを30歳の時に得たのだ。

海外勤務は通常4-5年。夫が私に帯同するという選択肢は当時お互いの頭になく、単身赴任が前提。それは、30代半ばまで子供を持てない可能性が高いこと、年齢を考えれば帰国後にすんなりと子供が出来るとは限らないことを意味していた。

この分岐点に立った時、私は家族計画の面で多少リスクを取ることになったとしても海外赴任に挑戦したいのだと気づく。でも、そのリスクはもちろん最小限にしたい。夫はありがたいことに私の挑戦を応援してくれ、家族計画についても概ね同意見だった。海外勤務を早めに切上げる交渉を会社とすることも視野に入れつつ、他に何か取れるアクションがないか考え始めた。

受精胚凍結という選択

あれこれ情報収集をする中で、まず辿り着いたのは卵子凍結。今でこそ保険が適用され認知度も上がっているが、当時は今ほど情報がなく、専門病院に問い合わせることから始めた。その結果、パートナーがいるなら不妊治療の一環として行われる受精胚凍結がニーズに合うのではと助言を受け、詳しく調べることに。

私たちは最終的に受精胚の凍結を行うことにした。より若い時点の受精胚を凍結保管する意義と将来の妊娠確率を上げる効果が決め手となった。決して安い費用ではなかったが、夫婦として望むものと当時の諸々の状況を踏まえ自分たちのお金の使い道として適切だと判断。また、凍結プロセスにかかる時間を考慮し、赴任前の手続き完了を目指すことにした。

海外赴任の準備を進めながら、受精胚凍結の手続きを行うことはストレスが多かった。病院探し、平日を含む複数回の通院、自宅での注射や薬の服用、赴任前に一度しか採卵機会がないプレッシャー、送別会や業務引継ぎなどでバタバタする中での体調管理などなど…

しんどい何十日かではあったが、結果的には複数個の受精胚を凍結する幸運に恵まれた。凍結プロセスを通じ、自分の妊孕力について知る機会も得た。これは、出産適齢期後半に入り、未知の遠距離生活を始める私たち夫婦にとって心の支えとなると共に、後に子供を持ちたいと思った際、大きく役立つことになった。

妊活と焦り

私たち夫婦の計画は、受精胚の融解胚移植も検討しつつ、出来る範囲で自然妊娠を試みるというものだった。しかし、遠距離で妊活をするのはかなり難しい。駐在中にコロナ禍が始まり、思いがけず夫と暮らす時間を確保できた時期もあったが、すぐに妊娠することはなかった。

一方、凍結受精胚を用いてすぐに妊娠するとも限らない。海外勤務はとても充実していたが、気づいたら30代半ばになり、焦りを感じることもあった。周りの駐在員は家族で来ている人が殆ど。楽しそうに余暇を過ごす彼らの姿を見て、本当に単身赴任をすべきだったのかと暗い気持ちになり、一人家で泣いた日もある。

こうした状況下、一時帰国を利用し、凍結受精胚の融解胚移殖にトライしたことがあった。しかし、結果は流産。今思い出しても辛い経験である。先が見えず、何となく心が晴れない時期が続いた。

子供を授かった今

一年半後、海外勤務を終えることに。帰国と同時に、改めて融解胚移殖にトライ。幸運なことに今度は息子を授かった。

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周囲を見渡すと、同世代の友人たちの中には、子を持たない人も、息子と同い年の子を持つ人も、高校生の子を持つ人もいる。それぞれが歩んできた道には、各人の思いや意志が反映されている部分とそうでない部分とがある。思いがけないことも沢山起きる中で、皆、その時々でベストと思える選択を繰り返してきたのだろうと想像する。

これまでの歩みを改めて振り返ってみると、結局は最初の問いに戻るように思う。子供を強く望むのであれば、早い内に自分の体や妊娠・出産について知識を増やし、選択肢を知り、必要に応じ行動を起こすこと。それが、将来のオプションを増やしたり、維持することに繋がり得る。

ここに至るまでの道のりを通じて、子供は授かりものだと心から思う。何かの事情で大切なものを見失ってしまいそうな時もあるが、今自分が手にしているものの尊さは、これからも忘れずにいたい。

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