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瞼の裏に見える世界【3話】
一週間後。圭人は待ち合わせ場所へ向かう。約束を交わした庭園のベンチに律花の姿を確認すると、深呼吸して声をかけた。
「よお」
「あっ、圭人。明日香さん、変わりなかった?」
桜色のカーディガンを着た、いつにも増してやわらかい雰囲気の律花が振り向く。
「なんならいつもより元気そうだったよ。なんか良いことでもあったみたいだけど、秘密なんだってさ」
「良いことってなんだろうね。今度わたしからも聞いてみよっと」
律花はベンチから腰を上げると、いつも手にしている白杖を縮小させ、大きなリボンのついた鞄にしまい込む。
「なにしてんだ? それないと歩くの危ないだろ」
疑問を口にすると、律花は無言で右腕を差し出してきた。状況が理解できず固まっていると、それを察知し、薄く微笑むと、彼女は息遣いが伝わる距離まで歩を進める。
「おいっ!」
ゆっくりと圭人の体に触れた律花は、探るようにして体の上で手を滑らせる。そして、獲物を見つけた蛇のような手つきで圭人の腕へと巻き付いた。
「今日は一緒に行くんだから、こうしたほうが安全なの」
「そう……なのか」
そう言われてしまうと反論の余地はない。仕方なく現在起こっている奇異な現象を受け入れる。しかし、冷静な態度とは裏腹に、心臓は際限がないほどに膨らみ続け、テンポの速いリズムを刻んでいた。
*
「桜の香りがする。この通りはたくさん桜が咲いてるんだね」
「そうだな。綺麗だ」
その言葉を口にして圭人は後悔する。無意識とはいえ、綺麗という視覚的な情報を彼女の前で言ってはいけないような気がした。
「もう、何年も見れてないや」
「ごめん」
「謝らなくていいよ、人が見てる景色を聞くの好きだから」
二人は病院から二駅離れたところにある有名なカフェを目指し、並木道を歩いていた。事の発端は、一週間前の病院での出来事だ。
「まさか、スイーツ巡りに付き合わされるとはな」
「わたしにとっては助かるよ。食べてみたかったいちごたっぷりパンケーキが食べられるからね」
カフェの期間限定メニューとして発表されたのがカップル限定のパンケーキだった。カップルでないと食べられない。そのために彼氏役が必要だったというわけだ。
パンケーキを相当楽しみにしているのだろう。律花は機嫌よく鼻歌を歌っている。その横で、圭人は立ち止まりスマホに表示された地図アプリを眺めていた。
「電車降りて駅からこっちに歩いてきたから、多分こっちか?」
「もしかして圭人って、方向音痴?」
少し小馬鹿にした言い方をした律花に反論しようと、スマホから視線を外す。律花のいる左側を向いたが、すぐにスマホへと視線を戻した。意識しないようにしていたが、今の状況は思春期の高校生男子にとっては毒だ。出発前に組み合わせた腕は、もちろん現在も継続している。そのせいで律花の顔が近くにあるので、迂闊に横を向くことができないでいた。
「そんなことより、女の人ってほんと甘いもの好きだよな」
気を紛らわすために何気ないことを呟くと、律花が勢いよく食らいつく。
「そりゃ、女の人にとって甘いものは究極のご褒美からね」
「そこまでなのか?」
「テレビで聞いた気がするけど、女性ホルモンが分泌されると甘さが好きになるらしいよ。だから男の人よりも女の人の方が甘いもの好きな人が多いんだって」
「そうなのか……」
急に飛び出した律花の博識な発言に、圭人は素直に感心する。
しばらく歩くと、目的のカフェが見えてくる。
「お、あのカフェみたいだな」
「道案内ご苦労様。良かったよ。迷って同じところをぐるぐるしなくて」
「さすがの俺でもそこまで方向音痴じゃない」
扉の横には様々な種類の観葉植物が配置され、レンガ造りになっている外観はインスタ女子が好みそうな、THEお洒落カフェといった雰囲気を醸し出している。圭人は、行き慣れていない店なので一瞬躊躇したが、そのことが横にいる律花に悟られないようにスムーズな動作で扉を開いた。
内装も予想通りお洒落で、客層も若者が多い。二人は、店員の案内で席に着いた。目的のものは決まっているので、そのまま注文をする。
「いちごたっぷりパンケーお願いします」
「申し訳ございません。本日は、限定パンケーキが売り切れておりまして……」
店員の言葉を聞き終わる前に、律花が「えー」と悲しい声を上げた。
「どうする北川、他の食べて帰るか?」
「うん……」
彼女は魂が抜けたような顔になっている。
「では、また後ほど注文をお受けしに伺いますね」
対面して座っている律花の落ち込んだ様子を見ていると、まるで子供みたいだなと感じ、圭人は思わず苦笑した。
「いま、笑った?」
「ん? ああ、つい面白くてな」
「笑わないでよー。わたしがこのパンケーキをどれだけ待ち焦がれていたのか圭人にわかる?」
「ごめんごめん」
代わりに注文するものを決めるため、圭人はメニュー表に視線を落とす。そして、律花のために読み上げ始める。
「スイーツ系でいくと、ベイクドチーズケーキ・モンブランタルト・クリームブリュレ・ショコラケーキ・ハニープリン・アップルパイ・ベリーパフェ・チョコナッツパフェ・フルーツヨーグルトパフェ・コーヒーゼリーパフェって、すごい数だな。どこのカフェもこんなものなのか?」
「もっとメニューが多いお店もあるよ。わたし、ベリーパフェにしよっと」
圭人にとっては呪文のようなメニューを一度聞いただけで決める律花に驚く。やはり女性のスイーツに関する知識は凄いなと感心する。
「俺は……フルーツヨーグルトパフェにしようかな。注文していいか?」
「うん」
注文を終えて数分待つと、フルーツによって鮮やかに彩られたパフェが到着した。
「こうして見ると食べるのがもったいないな」
「そうでしょ。わたしのベリーパフェはどんな感じ?」
律花はテーブルの上に置かれた自分が注文したパフェの器をゆっくりと指で確認しながら、圭人に笑顔を向ける。
「ベリーパフェも凄いな。あんまり動かさないほうがいいぞ。果物があふれるくらい乗ってある」
「わお。何回かこのお店来たことがあるけど、ベリーパフェ食べるのは初めてなんだよね」
律花は嬉しそうな笑みを浮かべて、慣れた手つきで小皿に乗ったスプーンを手に取る。そして、豪快にすくったパフェを口に頬張った。
「ん~、美味し~」
圭人も同じように自分のパフェを口に運ぶ。その瞬間、脳に衝撃が走った。
「うまっ、パフェってこんなにうまかったっけ」
口の中で溶ける、ほどよい甘さのアイスクリーム。その甘さをより引き立てるのが、ヨーグルトとフルーツだ。初めてカフェでスイーツを食べた圭人にとって、予想以上の美味しさだった。世の女性がスイーツに執着するのも今ならわかるような気がしてくる。口にスプーン運ぶ手が止まらず、そのまま急くようにパフェを食べ続けた。
「美味しかったねー」
「ああ、どうやら俺はカフェを舐めてたらしい」
「なにそれ、面白いね」
至って真面目な圭人の言葉を聞いて、律花が口元を抑えながら笑い声を漏らす。
パフェを食べ終わり、店を後にした二人は来た時と同じように腕を組み合わせて帰路についていた。
「でも残念だったなー。限定パンケーキ食べたかったのに……」
「また、来ればいいだけだろ」
「え?」
圭人の発した言葉が理解できずに、律花はきょとんとした顔で立ち止まる。そして、遅れてやってきた理解によって嬉しい気持ちと比例して口角が上がっていく。
「また、一緒に行ってくれるってこと?」
「そう言っただろ」
「やったー!」
律花は子供のようにはしゃいだ様子で、組んでいないほうの手を空に向かって上げる。
「ありがとね、圭人」
律花は不意に圭人の方へ振り向く。圭人は気づかれるはずのない、赤く染まった顔を隠すように咄嗟に顔を逸らした。
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