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【短編小説・非現実】 アイドラーは若返る 4/6

 いつもの通勤疲れを引きづりながら、やっとこ会社に着いた。
 
 だが、今日はさらに疲れることになる気がした。

 席へ座ると案の定、若返りが何だとか、雨を集めて高価格で売りつけたとか、仕事の準備そっちのけで社員たちが騒いでいた。
 
 俺は極力雑音を自律神経に障らせないよう、すぐにパソコンを開いて業務に集中した。

「若返り? みんなそんなことに興味があるんだな! まあ、俺レベルになると若返りの力なんか借りなくても財力とルックスで無双できるからな! ほら、俺って投資のセンス抜群だからさ」

「センスねえ……。いくら投資のセンスがあっても、元手の資金が集められない一般人には小金持ちくらいが精一杯だと思うよ。それに比べ僕の家は家族親戚、みんな大病院を経営しているエリートさ。僕がお金に困ったことなんて記憶にないし、年に一度はクルーザーを借りて海外に旅行へ行けるんだよ。君も僕くらいまでとはいかないまでも、お金が稼げるといいね」

「はあ? お前JUONコンテスト出たことあるのか? お前みたいな顔じゃ、出ても笑いものになるだけだろうな。俺なんかここ数年で5回入賞してるんだぜ。お金持ちなら整形でもして、俺と並んでも恥ずかしくないくらいにはならないとな」

「へえ、何回も選ばれてるんだ、テレビで名前聞いたことないけど。なんで君の職業は俳優じゃなくただの平社員なの? ……あ、さっき思い出したけど、海外旅行はクルーザーだけじゃないからね。自家用ジェットに自家用リムジン、移動手段はたくさんあるからね、僕の家族にとっては朝飯前さ」

「お前らみたいな凡人に騒ぎ立てられたくないから、名前を偽ってるに決まってんだろ。ていうかなんでお前は医者じゃないの? あ、そうか、なれなかったんだ、残念だな! ……ああ、言い忘れてたけど、コンテストの審査員にも5回選ばれたから、計10回出場したことになるな、俺」

「なれなかったんじゃない、訂正しろ! 俺は親の生き方に縛られず自由に生きて行こうって決めただけだ! 君、お金がないならFXにでも全額突っ込んだら? …………、あ、僕も言い忘れてたけど、旅行に行くときは、親の友人のハリウッド俳優たちとハリウッド映画をみるのがセオリーなんだ」

「あんな貧乏じみたギャンブル、俺がするわけねえだろうが! 俺はな、綿密な調査と論理的な思考によるロジカル株式投資専門なんだよ! …………、そういえばこの間ハリウッドからオファーが来て映画に出演したんだったっけ、俺」

 業務に集中するという意志はすぐ破壊された。
 
 すぐ側で崇高な承認欲求をお持ちの若造が2匹、目障りにも業務中にバトルを始めたからだ。
 
 一人はホスト崩れのような金髪の常識知らず、もう一人はお母さんに整えてもらったような七三頭の世間知らずだ。
 
 どちらも、大勢の人間と一緒に箱に放り込んで混ぜ合わせると見分けがつかなくなるような、露店クジのはずれクジ程度の存在だ。

 自分語りと他人語りの泥沼試合、一体何が食ってくれるってんだ、虫か?
 
 JUONボーイコンテストに一度でも入賞すれば地元で嫌でも話題になっているし、甘ったれた精神で簡単に入れるほど医学部の門戸は広くない。
 凡人がお飾りにできるほどハリウッドは安っぽい存在でもなかろうに……。

 なぜこいつらは自分を客観視できないのか、聞いていてこっちが哀れな気持ちになる。

 俺が会社にいる間は、何の特徴もない一般人として過ごしてくれないものだろうか。……これが俗にいう、マウンティングか。

「ねえ、あのふたり、若返りの話題が出始めてからさらにひどくなってない?」

「若返りっていう理想を手にしている人がいるのを知って、彼らのコンプレックスを刺激したんじゃない?」

「多分そうね。……でも、若返りたいってどうして思うのかな? ……ほら、私ってすごく童顔でしょ? だから幼い人好きの男にしょっちゅう言い寄られて困ってるから、大人びた子が本当に羨ましい」

「…………へえ、そうなんだ。……私もね、日本人なのに毎回ハーフと間違われるし、鼻もすごく高いから出かけるとしょっちゅうモデルにならないかって誘われるんだ~。外見を見て声かけてきてばかりだから、もっと内面を見て欲しいって思うんだけどね~」

「……ふーん、いいじゃん。……でも~、私も顔が幼い割には胸はすごく大きくて、全体のバランスがすごく悪いの……。背も150cmで止まってるから腰は痛くなるし、彼氏からは子供みたいだなっていっつもからかわれて悲しい」

「そんなことないよ~、胸以外もちゃんと出てるからバランス良いよ。…………でね、私、最上智大学出てるじゃん? だからガリ勉のイメージついちゃって、顔もアン・ハザウェイに似てるから、知り合いのテレビプロデューサーから弁護士のドラマに出てみないかって誘いがしょっちゅう。わたしのカフェ巡りの時間奪おうとするなって感じ」

「女性にもてそうだよね~、男受けは悪そうだけど。…………まあでも私、コンビニとかでお酒買っても毎回確認されるんだよね~。私ってそんなに子供っぽいかな~? 今でも学割でって言っても絶対バレない自信あるけど……」

 今度はデスクの向かい側で女がはしゃぎだした。

 こいつらの話を理解するために脳の貴重な栄養を消費するのは心底腹立たしいが、どうやら拒否することは無理らしい。

 おそらくだが、こいつらの会話は成り立っていない。
 
 ただ、自分の不幸を嘆いているのか、自慢のダシに見せびらかしているのか、よくわからないやりとりであることは確かだ。

 自分を下げながら魅せたいところを思いっきりアピールするという行為は、それほどまでに気持ちいいのだろうか。

 ジェットコースターじゃあるまいし……。これは今時の言葉で確か、自虐風自慢といったか……。
 
 俺はふと、周りがどんな反応をしているのか気になって周囲を見渡した。

 パソコン画面を緩んだ顔で見つめる者、周りの仕事を一心に引き受けて青ざめながらマウスを動かす者……。

 一応、俺の近所を除けばとりあえず仕事をしている風である。

 どうにも周囲からこの連中と同列に見られているような気がして、いたたまれなくなった。

 ストレスだろうか、心なしか頭が締めつけられるようで吐き気もする。

 何故こんな殺伐としたところで日銭を稼がないといけないのだろう。

 ……いや、こんな環境に身を置いている俺自身に問題があるのだ。はやくこの動物園から出る方策を練らねばなるまい。
 
 そんなことを考えていると、ふと部長がこちらを睨んでいることに気づいた。
 歯を噛みしめて顔の筋肉が硬直している。青筋もくっきりだ。

 そこから数分もしないうちに勢いよく立ち上がると、急いでどこかへ出かけていった。

 業務が始まっているにも関わらず、お祭り気分で騒ぐ社員に耐えられなかったのだろうか。

 それにしても、こいつらがもし若返ったとして、一体何をなすというのだろうか? 
 
 歳を食った分、勝手に蓄えられた半端な知識で、子供相手に無双でも始めるというのか? 

 さぞ気持ちが良かろう、承認欲求に呪われたこいつらにはおあつらえ向きだ。

 そうやって人生をやり直しても、今まで行ってきた言動を薬物中毒者のように繰り返すだけだろう。全く無意味な時間だ……。

 そんなことを考えていると、部長が戻ってきた。

 両手には何故か大ぶりのバケツ。これから何が起こるかを考える時間は与えられなかった。

 部長は肩をいからせならがこちらに歩いてくると、くだんの4人に向かってバケツをひっくり返した。

 どうやら、バケツには水が満たされていたようだ。

 途端、会議室の空気がカチコチに固まった。

 ゼロコンマ数秒の時間が引きちぎれるのではないかと思うほど引き延ばされた後、空気は突然に溶解した。

 女たちはおそらく、周りに悟られないよう必死に雨をかき集め、毎日信心深く体にかけ流していたのだろう。

それが事もあろうに"普通の水"をかけられたのだ。

彼女たちは雨の効果が流れ落ちてしまったのではないかと瞬察し、肝をすくみ上がらせるほどの絶叫を放つ。

そうか……、気の毒に。日々の苦渋の努力が水泡に帰す瞬間の悔しさといったら、それはもう得もいわれないだろう。

「え、ええ、ええええ!! 雨の効果が消えちゃう、全部流れちゃった~~~!! うああああああ!!」

「何やってくれんだ、このはげ頭~~~~!!!!」

 先程とは似ても似つかぬ態度で、部長につかみかかろうとする女性社員。

 何が起こったのか分からず、豆鉄砲を食らったように呆然と立ち尽くす男性社員。

「騒ぐな!!! …………安心しろ、これは外に置いてあったタライにたまった天然物だ」

 部長が静かにそう告げると、麻酔でも打たれたかのように女たちは脱力し、地面に尻をついた。
 地獄へ突き落とされた霊に、永遠の幸福を約束したならば、この女たちのような安堵顔をするだろう。

 若返りには未練も興味もないんじゃなかったのか……。

「ああ、あとお前ら今月減給ね」

 部長はそうつぶやくと、綺麗にストレスが発散できたであろうほころび顔で自分の席に戻っていった。

 その後、何日か彼らを観察してはみたのだが、外見にこれと行った変化は見られなかった。

 あの後、若返りに関する重要な手がかりがおぼろげに浮かんで来たような気がしたが、気がしただけで終わった。

 やはり噂は噂でしかないのか……。

 俺は、実際に若返った人間がどういう変貌を遂げたのか、どうしてもこの目で確かめてみたくなった。