【短編】つばさ
「私、空を飛んでみたい。自分の意志で自由に飛んでみたい」
西国の田舎町。まっさらな砂地が続きながら、たまにあるのが大きな畑。
そこで生まれ育った少女が一人、どこか誓うように夜空に願う。
キラキラと星が一杯に散らばる空の下、家のベランダで手を合わせる彼女は夜風にあたり、長い金の髪を揺らしていた。
「その為には翼がいるね」
どこからか響くその声。
少女は辺りを見回すが、果たしてどこにいるのか、見つからない。
「僕があげても良いよ」
「え?」
ふわりふわりと花びらが舞い降りるように、空から小さい男の子が少女の前に現れた。
「あ、あなたは誰?」
「僕? 僕はクリスだよ。君は?」
「わ、私はアリアよ」
クリスと名乗ったその少年。風貌は十歳程の子供だが、纏う雰囲気は大人びている。
そして何より、彼の背には彼自身の体より大きいような白く輝く翼が生えていた。
「ねえ、アリア。空を飛びたいんでしょ?」
「うん」
「なら、僕のこの羽をあげるよ」
クリスは、翼をパタパタとはためかせた。
「それがあれば、空を飛べるの?」
「ああそうさ。見ててご覧」
クリスは一度欄干に足をつけると、思い切り踏ん張って飛び立った。白い羽を数枚散らしながら、クリスは空を舞う。
勢いよく真っ直ぐ上昇したかと思えば、急旋回して体を翻す。星々を一筆書きするように空を横切ると、今度は急停止して一気に下降する。風を置いていく程の速さで地上付近まで高度を落とすと、地面すれすれを這うように飛ぶ。そして最後、家に沿って急上昇して、またアリアの前に止まった。
アリアはその姿に目を輝かせていた。まさに彼女が思い描いていたことを、クリスが眼前でやって見せたのだ。
「どう? この翼欲しい?」
アリアは瞳孔を大きくしたまま、ゆっくりと頷いた。
「よしきた。じゃあ早速この翼を君に授けよう」
瞬間、アリアの顔に何かが飛び散った。遅れて彼女の頭にブチブチという音が再生される。
アリアは自分の目の前にある光景が何なのか理解できていなかった。
「はいどうぞ」
そう言って差し出されたクリスの手の上には、根本から滲むように赤く染められた翼があった。
「…え、え?」
「早く受け取りなよ。欲しかったんでしょ?」
「そ、そうだけどクリス今何して…」
「何してって。君が欲しいって言ったから、僕の翼あげるんだよ」
「いや、その、そうじゃなくて…」
アリアは明らかに動揺していた。
クリスはそんなアリアに首を傾げた。
「だ、だだだって今、クリス自分で、翼、もぎ取って…」
「それが?」
「いやっ、それがじゃなくて。どうしてそんなこと―」
「だ、か、ら。君が欲しいって言ったんじゃないか。それ以上の理由はないよ」
二人が二人、共に相手が何を意図しているのかわかっていない様子だった。
少し冷たい夜風が、落ちた羽を絡め取る。
「私、それならいらないよ」
「え? 何だよそれ。ふざけるなって」
「だって、そんなクリスが痛い思いするくらいなら私いらない」
アリアはぶんぶんと首を横に振った。彼女の涙が飛び散って星と混じる。
「は? なにそれ。だめでしょ。というかもう遅いし。もらってくれないと僕困るんだけど」
そういうクリスの声は冷えており、明らかに眼光は鋭くなっていた。
「ほら、受け取ってよ」
アリアは拒むように首を振る。
「受け取れって」
また拒む。
「受け取れよ」
周囲を凍えさせるほどの低く冷たい声が、アリアの耳を突く。
「ご、ごめんなさい。私、その、そんなふうになるなんて思ってなくて。だから―」
「はぁーー」と、クリスがため息をついた。
そして、涙を零すアリアを見下すように、蔑むように視線を刺す。
「謝るくらいなら、はじめから望まないでくれるかな。というか、普通に考えてわかるでしょ、こうなることくらい」
「ごめ、ごめんなざい」
「もういいよ。さよなら」
クリスは手に持った翼をその場に捨てると、謝るアリアに肩を落としながら、ベランダから飛び降りた。
着地はできたものの、先刻までの華麗さは消えていた。
軽く、ベランダを振り返ってクリスは泣くアリアを悲しそうな目で見つめた。そうして、その小さな背中は歩き始めた。
もうそこには自由さも何もなく、ただ地べたを足でづるのみだった。
アリアは、目から溢れ出る涙を何度も何度も手で拭うと、目の前に落ちた翼をじっと見つめた。
「私、もう何もいらない…」
涙ぐんだその誓いは、彼女に一生刻み込まれた。
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