【短編小説】ケチャップを嫌う
俺はケチャップが嫌いだ。
朝食のスクランブルエッグにかかっていた日には、見るだけで吐き気がする。
「おはよう、あなた。朝食できてるわよ」
いつもより遅めの起床。
リビングの大きな窓の向こう、庭の芝生が青々と陽光に照らされている。眩しいくらいだ。
テーブルの席についた俺は、用意されたコーヒーに手を伸ばした。
一口含んでその香りを楽しむ。
トロッとした酸っぱさに、少し鼻を抜けるような爽やかさ。一日の始まりに相応しい。
そして俺は、焼き立てのトーストにお気に入りのマーマレードをつけようと、ビンに手を伸ばした。
「あなたそれっ、いちごのジャムよ! マーマーレードは隣のビン」
妻、ジェイミーの声に、俺の手は一瞬跳ねて軌道を修正した。
「すまない。ありがとう」
実はイチゴジャムも大嫌いなんだ。
俺は、マーマーレードをトーストに塗ると、大きく一口齧りついた。
抜け感のある柑橘系の甘さが口いっぱいに広がる。
さっきの妻の大きな声に驚いたのか、庭で鳴いていた鳥のさえずりは何処かへ消え、俺がコーヒーを啜る音とトーストを齧る音とだけが交互に散る。
緑の庭を背景に窓際のイスに腰掛ける妻眺めながら、俺は少し口に残ったトーストをコーヒーで流し込んだ。
こんなにゆっくり朝食が取れるなんて、俺はなんて幸せなんだろうか。
最後の一口、俺はコーヒーを飲み干すと、おもむろに立ち上がって、デーブル端に置いてあったライターと紙タバコを手に、裸足で外へと降り立った。
少しのまぶしさと、足元に芝生のくすぐったさを感じながら、俺はタバコに火をつける。
そうして煙を一つふかして、手元から揺れ昇る細い白を目で追った。
もうあれから三十年は立つ。俺がケチャップを嫌いになったあの日から…。
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