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探しモノ

バンクーバーにワーホリで来ている。
いま一カ月間、語学学校に通っているのだが
クラスメイトと話すと、皆それぞれいろんなバックグラウンドがあるんだなと感じる。

つらい就活を諦め、大学を卒業した後、将来何したいか探すために海外に来ましたという人、高校を卒業してから専門学校に入学する予定なので、その前に将来のため英語を身に付けようと休学届を出して海外に来ましたという人、一通り社会人を経験して自分の仕事がつまらなく感じ、仕事を辞めて、何か刺激を求めて海外に来ましたという人。
ほんとにみんな色んなバックグラウンドがある。
(いま学校のクラスメートが日本人しかいないのはちょっと秘密だ)

話を聞いていて、何となくみんな共通しているなと思うのは、ぼんやりながらも、ここバンクーバーで何か自分の未来のためのヒントを見つけようとしていることだ。みんな何かわからないが、何かを求めて、わざわざ日本での慣れ親しんだ生活を離れ、言語も違う、文化も違う、そして遥か遠く離れたこのバンクーバーという街まではるばるやって来たのである。
(*もちろん明確な目的を持ってきている人もたくさんいるが)

新しい人との出会いだったり、海外生活という経験自体だったり、英語のスキルアップだったり、自分探しだったり。
みんなそれぞれ目的は異なるが、この街で自分の未来のための何かしらのピースを探しているように見える。

まあ、あくまで僕の個人的な印象なのだが、少なくとも自分自身についてはそうだ。

これから先の予定は何も決まっていない。
独身だし、無職だし、特別に人並み以上の経験や能力がある訳でもない。
日本に戻ったら本当にどうしよう?という感じで、今もよくその不安が頭をよぎる。

実際、このワーホリ自体、ある意味、現実逃避なのではないかと思う時さえある。
ホントのところ日本での現実的な生活を逃避して、何かを探している体(てい)で海外であてもなく時間稼ぎをしているだけなのかもしれない。
ときどき、そんなことさえ思う。

しかし、かと言って、今こうしてワーホリをしていなければ、きっと、それはそれで「ああ、ワーホリ行けばよかった」とのちのち後悔するのだとも思う。

そう考えれば、現時点では、このワーホリにどういう意味を見出すか、何をここで得られるか、そして自分がいったい何を探しているのかは、わからなくとも、少なくとも「ワーホリをした」という経験や記憶は残るし、のちのち「やっておけば良かった」という後悔を引きずることはない。
それはひとつ良い点だ。

でも、同時にやはり僕はこのワーホリの海外生活から「何か」はわからないが「何か」を見つけたいと思ってここに来たことはたしかなのだ。
その「何か」が自分の人生において重要なピースになるのかもしれないし、または、そうではないかもしれない。
自分から待ってても湧いてくるものでもないだろうけど、ふとある時、つま先にコツンとあたったものがその「何か」かもしれない。
どこにその「何か」が転がっているか僕もわからない。

まあ要はやってみないと分からない。やっているうちに見えてくるものもあるだろう。そういうことだ。

ああ、何を言いたいのか自分でもよく分からなくなってきた、、、、

とりあえず英語力を磨きつつ、自分が何をしたいのか、何を探しているのか、バンクーバーでしばらく生活しながら考えるつもりである。

バンクーバー。
みんな、ここで探しモノをしています。






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