あの夏の日に死んだ祖父の名前を僕はまだ知らない。
「夏がきたなぁ」
この前、仕事先の人と喫煙所でタバコを吸ってると、その人が窓の外を眺めながらボソリとそう言った。
俺もそっちに目をやると、眩しい青空の下に屋根だけを緑色に塗った真っ白な校舎があった。
わずかに見える透き通ったプールに人の気配はなく、あぁそうか今は夏休みなのかとどうでもいいことに気づいた。
だがそんなことよりも、仕事先の人がノスタルジックな気分に浸っていることがなんだか面白くて、意外とおセンチな側面があるのねと心の中で笑ってしまった。
「夏がきたなぁ」てセリフを毎年のように誰かが呟いて、それを耳にしている。
俺は別にさして夏に対する感情などはない。
俺は季節のなかでは秋が好きだ。
あの物悲しくて人肌恋しくなるのが、たまらなく好きである。
思い返せば秋になると、俺はよく恋をしていた。
逆に夏に恋をした経験は思い当たらない。
「スタンドバイミー」のように一夏の冒険てのもない。
そう考えると俺は思春期の夏を無駄に消化してきただけのようだ。
本当に勿体ないことである。
・爺さん、死す
微かな夏の思い出を絞り出してみると、ふと死の匂いがした。
なぜ?と疑問に思うと毎年夏になると、死んだ父方の祖父の墓参りに行っていたからだと気がついた。
そして三年前、祖母がとうとう亡くなった。
それも夏だった。
俺の家系の人間は、何故かよく夏に死ぬ。
正直、爺さんが死んだ時、俺は悲しいという感情にはならなかった。そんな自分を薄情なのだろうかと考えもしたが、よくよく考えると俺は爺さんの本名を知らないことに気づき、元からその程度の関係性なのだなと納得した。
そして未だに俺は彼の本名を知らない。
もっとも爺さんの方も俺にまるで興味がなく、たまに家にやってきても、孫の顔よりも競馬、競艇に優先して行くような道楽人間だったので、お互い様だろう。
爺さんが死んだのは中ニの夏休みだった。
その日、俺は数人の友人とプールに行く約束をしていた。
でいざ行こうとなったその日の朝、入院先の病院から連絡がきて、爺さんの体調が急変し、そのままポックリ逝ってしまったことが分かった。
泣く泣く俺は、友達に電話し、祖父が死んだからプールに行けないと言った。
そいつは俺の話が信じられなかったらしく、プールに行きたくないから祖父が死んだという嘘をついたのだと勘違いしてしまった。
だがそいつの気持ちも俺にはわかる。
約束当日に祖父母が亡くなる可能性なんて、本当に低い確率だから。
俺はよりによってなんでこんな日に死んでんだよ..とサイテーなことを思った。
・ちょっと不謹慎な葬式
で通夜が明け、葬式が始まる。
俺はあの沈んだ雰囲気を窮屈に思いもしたが、やはり人が死んだということは少なからず俺の心に暗い影を落とし、神妙な面持ちになった。
だがそれにしても葬式てのはアホみたいに長く、しかも時間の流れもアホみたいにゆっくりしていて、本当に気が滅入りそうになった。
ただ興味深いこともいくつか発見した。
それはこれまたアホみたいに泣く人の姿。
特に女性に多かったが、オイオイと咽び泣いてる姿を見て、なんだか不思議な気分になった。
爺さんの嫁、つまり俺の祖母が泣くのは理解できる。
だが親族とはいえ、ろくに病院に見舞いに来なかった奴らまでが泣く姿はなんだか可笑しかった。
当日、まだ小学生だった俺の妹もそれに勘づいたらしく、「なんでこの人たち泣いてるの?」と純粋すぎる質問をされた時、俺は思わず吹き出しそうになった。
だがもっと面白いことが起きた。
葬式が始まり、坊さんが入ってきたのだが、葬式には似つかわしくない(?)キリッとした若いイケメンだったのである。
すると今まで泣いてた女性らは、ピタッと一瞬泣くのをやめた。
危うく爆笑するところだった。
そして葬式が終わりを迎え、出棺の時が来た。
葬式場から立ち去ろうとすると、そのタイミングで聞き馴染みのない音楽が流れ始めた。
女の声で「あなたのことを忘れない」みたいな独創性がまるでない歌詞だったが、どう考えてもこの場に不釣り合いの歌で、ずっこけそうになった。
そもそもなんなんだこの聞いたこともない曲はと誰もが顔にはてなマークを浮かべていた。
なんだが不謹慎で死者も浮かばれないなぁとぼんやり思った。
・親父の背中
もともと俺の親父と爺さんは仲があまりよろしくなかった。
その原因は親父が大学4年生のころ、爺さんが色々やらかして働けなくなったため、地元で就職するのを余儀なくされたことにある。
親父には親父の夢があり、それを叶えたかったのだが、家庭を支えるためにも夢を諦めて地元で働くことを決意した。
そのわだかまりは爺さんが死ぬまで、解けることはなかったのだろう。
それでも親父はそんなのをおくびにも出さず、懸命に働いた。
爺さんが死んだあの暑い夏の日、病院先で親父はベッドで死んだ爺さんの目の前で強く項垂れながらも、涙は見せなかった。
葬式の間だって泣きはしなかった。その後も一度たりとも。
あの時、病院で見た項垂れた親父の背中は強く印象に残っている。
俺の中で、男の背中といばあの日の親父を思い浮かべる。
きっと色んな思いが交錯したのだろう。
爺さんへの恨み、家族としての絆、一家の大黒柱としての思い。
あの背中にはそんな色んな思いが詰まっていた。
言葉にせずともそれは中坊の俺にも伝わった。
今年も夏が来た。
今年の夏も俺は無作為に過ごしてしまっている。
あと何回かの夏を重ねた時、俺の親父もきっと夏に死んでしまうのだろう。
その時、俺はあの日の親父と同じ背中を見せることができるのだろうか。
あまり、自信はない。
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