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いつか『陰廟』に祀られるADHD 【ADHDは荒野を目指す】

 8-27.

 ADHDであるために、日本社会に馴染めなかった僕は。

 バックパッカーとして二十代を過ごした後、台湾人女性と結婚したのを機に台北に移住、日本人向け学習塾を開業。
 その後十年近くの間、順調に黒字を上げ続けます。

 しかし、台湾人妻と離婚することになり。
 さらにその数年後、自己管理の出来なさの為に、元妻の家族によって三千万円を超える資産や、会社の権利等、全ての物を奪われてしまう。

 それでも、親からの借金を元手に、どうにか生活を立て直し。
 大手塾に裏切られたり、不法就労中に調査員に踏み込まれたりなどの紆余曲折はありましたが。
 一年半後には新たな塾を創設、軌道に乗せることが出来ました。

 元妻の家族相手の裁判は、会社ごと奪い取られてしまっていたため必要な証拠全てを相手に握られてしまっていたこともあって、完全な敗北。

 折しも、父の死という出来事もあり。
 それ以上の抵抗を諦め、心機一転、新しい生活を始めようと決め。

 穏やかな日々を得ますが。

 やがて台湾も、コロナ禍に陥る。
 リモート以外の仕事がなくなった僕は、暇を持て余してしまいます。

 そんな中、犬を残さざるを得なかった駐在員から、その犬を預かり、共に暮らすことに。

 そして犬の散歩中に、かつてそこで死んだ日本人少女の存在を知り、それを祀っているという廟を見つけます。


 台湾には、無数の廟があります。

 ――三歩進めば小廟があり、五歩進めば大廟がある。

 そんな諺がるほどで。

 その廟の中には、煌びやかな神像が無数に置かれ。
 屋根や壁には、神事や古典に関する精巧な彫刻がある。
 夜には、様々な色の電飾で派手にライトアップされる。

 その前で、大勢の人が祈りを捧げる。

 それは、老人だけでなく。
 下着が丸見えになるような露出の多い服を着ている若い女性が、線香を握りしめて懸命にお祈りしている姿や、ポエという赤い木片を投げて吉凶を占っている姿なども、日常的に目撃できます。

 また、ある程度の廟の周囲は、トタン屋根やパイプ椅子がセットされており。
 周囲の老人達が、そこで鍋を囲み、ビールを飲んでいる姿を、毎日見ることも出来ます。

 台湾の廟とは、本来そんな賑やかな場所なのですが。


 中には、そうでない廟もある。

 裏通りや、暗がりなど、人の通らない場所にある、粗末な石造りの小屋。
 中にも、神像などは置かれていない。


 それが、『陰廟』です。

 一般的な廟で祀られているのは、いわゆる神様です。
 伝説上の存在である場合もあるし、実在の人物を神と見なしたケースもあります。
 そして人々は、その神々を祀ることで、そのお返しとして、祈りを叶えてもらう。

 ところが陰廟は、そもそもはそういう場所ではありません。

 神様ではなく。
 そこで非業の死を遂げ、かつ、誰にも供養してもらえない孤独な魂――孤魂を慰めるための場所なのです。


 そもそも台湾は。
 先史時代に南方からやってきた『原住民』が、山中で生活していましたが。
 そこに、十七世紀あたりから、大陸から中華系の『ビンナン族』が移住してきて、平野に定住。
 これが、台湾人の多数を占めるようになります。

 僕の元妻も、このビンナン族です。


 しかし、そこにさらに、『客家』と呼ばれる人々が大陸からやって来ます。

 ビンナン族同様、中華系なのですが。
 この客家の人々は、質素倹約を旨とした、商売上手の人々で。
 かつ、自分達の文化を頑なに守り続ける。

 そのため、ビンナン族は、客家について。
 ――大陸から自分達の土地を奪いに来た上に、自分達と仲良くしようともしない人々。
 そう認識するようになり。
 ことあるごとに、対立が起きる。

 そしてついに、台湾全土で、『械闘』と呼ばれる、大規模な武力衝突が起こるのです。

 この械闘では、双方に大勢の死者が出ることになります。

 そして。
 ビンナン族の死者は、その親族や知人が弔ってあげることが出来るのですが。

 移住者である客家は、そうは行かない。

 同行していた家族全員死に絶えてしまい。
 遠い大陸にしか親戚がおらず、連絡もつかない。

 そんな死者が――『孤魂』が、無数に発生してしまいます。


 そこで。
 この孤魂が、人々に祟りを起こさぬよう、ビンナン族の人々が作ったのが、『陰廟』なのです。


 つまり陰廟は、孤魂を鎮めるための場所。

 普通の廟と違い、祈りを叶えて貰うための場所ではないのです。

 むしろ、下手にそこで拝礼を行ってしまうと。
 孤魂がその人に取りつき、災いをなす、と言われいる。

 また、日本の『お盆』に似ている、旧暦七月『鬼月』には。
 陰廟の、裏口の錠が外される。
 そして、鬼月期間中のみ現世に蘇る孤魂が、陰廟から抜け出して街中にさまよいだし、夜遊びをしている子供を、地獄へと連れて帰って行く。

 そんな、恐ろしい場所だと、言われているのです。 

 ――言われていたのですが。

 そこは、逞しい台湾人のこと。

 普通の廟に祈りを捧げる時でさえ、
 ――神様が願いを叶える相手の人違いをしないよう、という理由で。

 祈りの最初に、自分の住所・氏名・年齢・職業、さらにはID番号までをも、しっかり唱える。
 そんな、ある意味合理的な人々なのです。


 陰廟もまた、いつしか、そういう文化に飲み込まれ。

 ――普通に祈ったら、災いがあるが。
 ――普通よりも遥かに多くの金を捧げれば、逆に凄い願いも叶えてくれる。

 そんな言い伝えまで出来てしまったそうですが。


 それはともかく。

 かつて、陰廟とは、孤魂のための場所だ、と聞かされた時の僕は。

 そこで祀られているのが、
 ――家族を持たない、孤独な移住者。 
 ――ビンナン族に敗れて、倒れた人々。

 そう聞いて、胸を突かれるような思いをしたものです。

 まさしく、僕の状況だからです。

 このまま、いつか僕がここで息絶えれば――僕もまた、孤魂となり、陰廟に祀られることになるのか。

 そんな想像は、かなり辛いもので。

 孤独な死を想像するよりも、ある意味恐ろしいものに思えたものです。


 そんな、心に残る話を聞かされていた僕は。
 陰廟の現物を、初めて目の当たりにして。

 しかも、そこに祀られているのが、日本人の少女だと知って。


 その建物の余りの粗末さ、汚さ、侘しさを、はっきり目の当たりにして。

 このままでは、いつか僕も、こんな場所に入ることになるのか、と。

 辛さを覚えてしまいます。

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