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敗北を受け入れるか、戦い続けるか、迷うADHD 【ADHDは荒野を目指す】

 8-13.

 台湾人女性と結婚したのを機に台北に移住、日本人向け学習塾を開業した僕は、十年近くの間、順調に黒字を上げ続けます。

 しかし、名義上の会社オーナーに据えていた、台湾人の元妻・リーファ、その母親・フォンチュや、妹・イーティンなどの裏切りに遭い、三千万円を超える資産と、会社の権利を奪われてしまう。

 その上、住居や携帯電話、就労ビザなど、生活に必要なあらゆるものも奪われてしまいますが。

 親からの借金を元手に、どうにか生活を立て直し、紆余曲折の末、再度自分の塾を創設。
 人事面で苦労はしますが、どうにか収益を上げられるレベルにまで持って行きます。

 その一方で、日本語の流暢な弁護士・章弁護士に力を借りて、フォンチュ・イーティンを刑事告訴、さらに民事訴訟も起こす。
 けれども、刑事でも民事でも、うまく行かない。

 そして、そんなときに。
 日本にいる父が、八十歳で亡くなり。

 そのことをきっかけに、僕は仕事に対しても裁判に対しても、積極的な気持ちを失ってしまいます。

 それでも。

 全てを放り捨てたりするような度胸もないし。
 そもそも、仕事をしなければ食べて行くことも出来ない。

 僕は台湾に戻り、仕事を再開させます。

 幸い、三浦とクオは無事に会社を守ってくれていて。
 僕なしでも、それなりの収益をあげてくれていました。

 僕も安心して仕事に戻ります。

 流石に十数年間、ほぼ休まずにしている仕事。
 いざ生徒達を目の前にすると、無意識の内にスイッチが入る。

 無事に高いテンションのままで、毎日の仕事をこなすことが出来ます。


 ――けれども。
 ある夜、章弁護士からのメールで。

 第二審検察に対して起こした刑事告訴再議は、やはり会社がべいしゃんの物であるという直接的な証拠がないとして、完全に却下され。

 民事訴訟の第一審に至っては――会社から僕への給与未払いは存在しない、むしろ過剰に渡していたぐらいだ、という結論を出され。

 僕の完全な敗北を知らされた時には。


 流石に、激しく動揺します。

 非合法手段による様々な妨害を受けながら、どうにか保ってきた会社を、どうにか稼いできたお金を、何の苦労もしていない相手にあっさりと奪われ。

 しかし、その横領行為は合法であると、認定されてしまったことになるのです。

 胸の中は、怒りと悔しさで一杯になり。
 眠ることも出来ない夜が続きます。


 ――でも。
 仕事はあるし、疲労もある。
 意識を向けねばならない対象があるのです。

 三日もすれば、怒りも悔しさも、弱くなり。
 ゆっくりと眠れるようになってしまいます。

 それでも。

 勿論、第二審に控訴するべく、準備を進めようと。

 章弁護士に、契約の終了を告げ。
 預けていたものを含む裁判資料を、全て返してくれ、とお願いします。

 章弁護士は、あっさりそれを受け入れますが。

 ただ、裁判資料を送付することは出来ない、と言われます。

 郵便事故の恐れがあるので、重要な書類は送付出来ない。
 だから、事務所まで取りに来てくれ、と。

 確かに、台湾での郵便事故は比較的多い。

 かつて、僕自身、裁判所からの通達を受け取ることが出来ず、結果、口座を凍結されたことがある。

 そういう恐れがあるのは分かります。

 けれども。
 弁護士事務所に行くのは――億劫でした。

 それは、僕の会社から車で三十分ほど離れた場所ですし。
 裁判資料はかなりの重さがあります。

 しかも折しも、夏期講習の期間。
 朝から晩まで授業が入っており、僕には時間がない。

 それでも勿論、一時間ほどの時間を空けることは、決して不可能ではない。
 その間に、タクシーに乗って取りに行けばいい。

 それは確かなのですが。
 
 でも僕には、その気持ちが湧いてきません。


 そもそも。
 章弁護士には、合計二百万円ほどのお金を支払っている。

 けれども、刑事告訴も民事訴訟も、完璧な敗北をした。
 それ自体は仕方がないのかも知れませんが、彼が全力を尽くしてくれたとはとても言えない。

 それに加えて、完全な敗訴であったため、民事裁判の裁判費用も、全部僕が負担することになってしまった。

 二百万円が、完全なムダ金になってしまった。

 その上――弁護士と打ち合わせをした時間、裁判の資料を集めていた時間、そして検事取り調べを受けていた時間――それらの時間までも、無駄になってしまった。


 そして。
 ここから弁護士を代えて、第二審を戦ったところで。

 また同じことの繰り返しではないか――そうとしか思えないのです。

 人脈のない僕が、信用できる弁護士と出会えるとは思えないし。
 頭の回らない僕が、自分の仕事をこなしながら、弁護士の仕事ぶりをチェックすることなんて、到底できそうにもないし。

 結局また、大金と長い時間を使うだけで――何も得られずに終わるのではないか、と。

 そう、思えて来るのです。


 第一審で色々なことを無駄にしてしまったのは、まだ受け入れられます。

 全てを失い、挫けそうになっていた僕にとって、お金を取り戻そうという希望が、心の支えになっていた。
 その夢があるからこそ、どうにかこうにか、様々な苦難を乗り越えることが出来た。

 自分の心を折らない為の出費だったと、思えなくはないのです。

 けれども、どうにか生活を立て直した今。

 もはや。
 実現が困難であると思い知らされた、そんな淡い夢に縋る必要なんてない。
 そんなもののために、貴重なお金と時間を浪費してはならない。

 そう、思えて来るのです。


 ――それでも。

 十年近く、全ての情熱を傾けて、何とか作り上げて来たものが。
 無能だと馬鹿にされ続けて来た僕が、初めて成し遂げた物が。

 あんな連中に奪われ。
 永久に失われてしまう、という事実は。

 最早諦めるしかないと、頭では分かっていても――そう簡単に受け入れられるものでもないのは確かで。

 忙しい仕事の傍ら。

 裁判資料を取りに行く為の時間を、調整したり。

 クオのおすすめする弁護士に、無料相談のアポイントを取ったり。

 章弁護士に、このまま控訴も依頼する場合、追加料金はいくらになるかを尋ねたり。

 そんな行動をやめることは、出来ない。


 敗北を受け入れるか、戦いを続けるか。

 僕の心は、揺れ動き続けます。
 


 

 

 



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