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夢を叶えたADHD 【ADHDは荒野を目指す】

 3-17.

 僕は、長く滞在したフンザを離れ、南に向かいます。

 ギルギットという街を経て、一日も休まず、西に向かう車を探し始めました。

 長期間のフンザ沈没から一転、急に激しく動き出したのは――ADHD特有の、「締め切り直前に急にスイッチが入る」精神状態だったのでしょう。

 いくら何でももう二十七歳、本当に社会復帰をしなければ手遅れになる。
 このモラトリアムの最後――いわば「八月三十一日」、僕は必死に足掻き始めたのです。


 続いて僕は、標高3700mのシャンドール峠を目指します。
 このルートには、公共交通機関はありません。
 チベット以来のヒッチハイク旅です。

 チベットの時同様、乗せてくれる車を探して走り回ったり、同じ街で何日も待ち続けたり。
 車に乗ることが出来たとしても、ぎゅうぎゅう詰めの荷台の上だったり、突っ走るミニバンの背部にしがみ付かなければならなかったり、牛に足を踏まれる激痛に耐えながら牛運車で移動したり。

 そんな苦労はありましたが、概ね、チベットの時とは比べ物にならないほど、気楽で楽しい移動でした。

 何せそこは、緑豊かなーーつまり人に満ちた大地です。
 人のいない荒野を突っ走らねばならないチベット旅と異なり、そこらじゅうに人家があり、宿屋があり、食堂がある。
 野宿することも、飢えや寒さに怯えることもない。

 車が来るのを待つ間に、地元の子供に作り方を教えてもらった釣り糸で、見事に鱒を釣り上げ、それを捌いてもらったり。
 
 大勢の現地人と共に、馬に乗って行うホッケー、ポロの試合を観たり。

 勿論、人がいるということは、危険な人物と出会う確率だって出て来てしまいます。
 ただ、幸い、汚い格好をした男から、何かを奪おうと思う人も数少ないのでしょう。道中、危険なことは一度もありませんでした。

 そんな快適な旅を続けて、一週間ほどでその峠越えのルートを走破します。


 峠を越えた後、チトラールなる街で暫く滞在。その後一気に南下し、ペシャワールに。

 僕は移動をし続けます。



 そしてそこから東方百キロ程行ったところで、タキシラ遺跡にと到着します。


 そこが、僕の思う最終目的地、ガンダーラ王国の遺跡でした。

 
 勿論、ガンダーラ遺跡そのものに対して、特別な思い入れがあった訳ではありません。
 実際、そこには、二千数百年前の都市の廃墟があるだけ。
 しかも、朽ちかけた神殿や、復元された王宮などがあるわけではありません。ただ、石組が並んでいるだけです。

 安土城跡などと、何ら変わりはない。

 そもそも遺跡の観光を全く楽しめない僕でなくとも、そこはさして面白くはない場所でしょう。

 ただノルマのように、隅から隅まで歩き回っただけのことです。退屈しながら。


 それでも。

 僕は、1970から80年代のテレビドラマ、「西遊記」に夢中になっていた世代です。
 そのドラマのエンディング曲、シルクロードの風景をバックに流れる「ガンダーラ」は、旅への憧れを強く抱かせてくれるものでした。

 退屈が嫌いで、刺激に弱いADHDの少年は、いつか自分もそういう場所を旅したい、と夢想したものです。

 ただ、そこを旅してる自分の姿を、現実的に考えたことはありませんでした。
 あくまでも、夢想です。宇宙怪獣と戦うヒーローになりたい、といったレベルのことでしかなかったのです。

 何せ、家族旅行すら殆どしたことのない少年時代です。
 外国人など見かけることもない、田舎生活です。

 外国など宇宙と同じ、外国人など怪獣と同じ。
 そんな感覚で育ったのです。

 ところが、僕は大人になり、時代も変わりました。
 大したお金がなくとも、少しの勇気とそれなりの時間さえあれば、そういう世界を自由に旅出来るようになりました。

 そうして僕は、ガンダーラに辿り着いた。
 少年時代からの夢を――しかも、実現不可能と思えたような夢を、叶えたことになる。

 もう十分だ、と僕は思いました。

 そもそも、外国で働くという夢を叶えるために日本を飛び出したのですが、あっという間に挫折してしまいました。
 そして流されるように旅が始まってしまったのですが、そのお陰で、もっと大きな夢を叶えることが出来た。

 もう、夢などを口にしている場合ではない。

 地に足をつけて生活して、ある程度の経験とお金を貯めた上で、次の夢について考えよう。


 帰国を決意した僕は、そうして、パキスタンの国際空港より、日本への中継地点であるタイへと飛んだのでした。

 ――それが、より長く苦しい旅へスタートとなるとは、夢にも思わずに。

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