見出し画像

ザンビアにて逮捕を宣告される 【ADHDは荒野を目指す】

 3-29.

 おかしいだろう、と僕は懸命に言います。

 全てを盗まれた僕を、パスポートがないからと言って、不法入国者として逮捕する。

 ――そんなのは、絶対におかしいだろう、と。

 けれども、ザンビアの入国審査官は、ゆっくり首を振り、ゆっくり言います。
 ――これは法律だ、と。

 君のことは気の毒に思う。でも、これは法律なんだ、と。


 ――でも、それはおかしい。
 ――でも、これは法律なんだ。

 そんなやり取りがただ繰り返される。

 その時になってようやく、僕は、自分を助けてくれるだろう存在について、思い出します。
 僕は懸命に言いました。
 ――じゃあ、日本大使館に電話をさせてくれ。

 入国審査官は、首を傾げます。
 ――日本大使館は、罰金を払ってくれるのか?

 分かりません。でも、分からないとは言えない。

 ――絶対に払ってくれる、と僕は言います。

 それなら、電話をしても構わない、と入国審査官は言います。
 ――でも、日本大使館の電話番号は分かるのか?

 分からない。
 分かる筈がない。

 ――じゃあ、無理だな。
 ――そもそも君は、電話代さえも持っていないだろう。

 そう言って、入国審査官は笑いました。

 僕は目を閉じて、俯きます。

 その様子を見て、入国審査官は笑いました。

 ――それでは、今から警察を呼ぶ。

 ――そして、君を逮捕してもらう。

 

 僕の気力は、尽きました。

 何とかしなければ、僕は本当に逮捕されてしまう――そうは思いますが、もう、顔を上げることも出来ない。言葉も出ない。

 これから起こることへの不安と恐怖に、押しつぶされそうになります。


 ――けれども、その時。
 背後から、声がしました。

 ――それはおかしい。彼は被害者だろう!

 僕は驚いて顔を上げ、振り向きます。

 そこに、一人の欧米人がいました。
 彼が、僕よりはるかに流暢な英語で、まくしたてるのです。

 ――彼は、君の国の人間にお金を取られたんだ。その彼を逮捕するのはおかしいだろう! 逮捕するべきなのは、その盗んだ奴らであって、君たちは彼らにお詫びをし、助けてあげるべきだろう!

 まくしたてる彼の姿をぼんやり眺めている内に、僕はゆっくり状況が理解出来てきます。

 彼は恐らく、同じ列車の状況であり、入国審査の列に並んでいたのでしょう。
 しかし僕の所で列が動かなくなった。様子を確認しに来た彼は、僕のおかれた状況を理解し、義憤に駆られたのでしょう。

 ――君はおかしい! 彼を助けてあげろ!
 彼はそう鋭く言います。

 けれども、入国審査官は動じません。
 ――これは、法律なんだ。

 僕に告げたその言葉を、淡々と繰り返します。

 やがて、もういい、と彼は言いました。
 そして彼は僕の方を向き、財布を取り出すと――三枚の百ドル紙幣を取り出し、僕に渡すのです。

 ――これで、罰金を支払うといい。

 僕は唖然とします。

 ――お金は後で返してくれればいい。とにかく、今はこれで切り抜けて。

 僕は躊躇います。
 余りに親切過ぎる行為――何か裏があるのではないか、反射的にそう警戒したからです。
 親切に見せかけて近づき、お金をだまし取ろうとする――そんな人を、無数に見て来たのです。

 でも、流石に気付きます。
 今の僕は、無一文の、逮捕直前の男性なのです。
 僕を騙しても、得られる物なんて何もないでしょう。

 僕は急いでそれを受け取り、入国審査官に差し出しました。

 入国審査官は、満面の笑みを見せ、それを受け取ります。
 そして領収書を作成するでもなく、すぐに僕の背後を見て、次の人、と呼びかけます。

 僕は、ヨロヨロとその場を離れました。

 何も考えられないまま、目の前のベンチに腰掛けます。


 ――助かった。

 逮捕されずに済んだ。
 無事にザンビアに入国が出来た。

 ――でも。

 でも、ここは、首都から二百キロ離れた、小さな駅の中。

 僕は相変わらず無一文で、パスポートすらない。
 日本大使館の電話番号も知らず、電話代すら持っていない。


 ――僕は今から、どうすればいいのだろう?

 僕は頭を抱えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?