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睡眠薬強盗に全てを盗まれる 【ADHDは荒野を目指す】

 3-27.

 タンザニアからザンビアへの列車の中。

 コンパートメントのベッドの上で目覚めた僕は、自分の荷物が見当たらないことに気付きます。

 あれ?

 まだ目覚めきっていない頭で、僕は不思議に感じます。

 どこだ?

 貴重品入れは枕代わりに頭の下に置き、バックパックも抱きかかえるようにして眠っていた。
 けれども、ベッドの上には、僕の体以外に何もない。
 
 寝ている内に落としてしまったのかな?
 僕はベッドの下を覗き込みます。

 しかしそこにあるのは、ホコリまみれの床だけ。

 あれ?

 ポケットを探ります。
 そこに入れていた小銭入れも、ない。

 あれ?

 腕を見る。
 つけていた腕時計も、ない。

 あれ?

 もう一度ベッドの下を覗く。
 何もない。

 あれ?

 少しずつ、意識が覚醒して行きます。
 そしてそれと同時に――少しずつ、不安と、焦りが、こみ上げてきます。

 あれ? あれ? あれ? あれ?

 ――まさか?

 コンパートメント内を見回す。
 ない。

 列車の揺れのせいで、転がってしまったのかも――向かいのベッドの下を覗き込む。

 ない。

 どこにも、ない。


 ようやくその事実をはっきり認識した僕は――床の上にぺたんと座り込みます。

 眩暈がする。鼓動が速くなる。汗が噴き出る。
 ――強い吐き気を覚える。

 僕はそれでも、左右を見回し続けます。
 どこかから、探し忘れていたどこかから、ひょっこりそれが現れる――そんな淡い希望を抱いて。

 でも勿論、そんな奇跡は起きない。
 僕はただ、首だけを動かし続けます。


 ただならぬ僕の様子に気付いたのでしょう、同室の人々が起きだしてきました。
 そして尋ねます――何があったのか、と。

 僕は回らぬ頭と回らぬ舌を用いて、どうにか答えます。
 荷物が全てなくなった、と。

 ――盗まれたのか?

 そう言われてようやく、僕はそこに思い至ります。

 眠っている隙に、僕の所持品全てが、盗まれてしまったのだ、と。
 
 僕は茫然とします。


 そんな僕を見て、男達は何かを話し合い始めました。

 その姿をぼんやり見ている内に、不意に一つのアイデアが浮かびます。
 もしかしたら、こいつらが僕の荷物を取ったのじゃないか?

 僕は急いで立ち上がり、彼らのベッドの上を見回します。
 けれども、そこにあるのは、彼らのバッグだけ。

 いや、バックパックならともかく、僕の貴重品だけなら小さいものだ、自分のバッグの中に紛れ込ませているかも知れない。

 荷物の中を見せろ――とは言えませんでした。

 ただ、その代わりに言いました。
 車掌を呼んできてくれ、と。

 一人が、すぐに車掌を連れて戻って来ました。

 僕は懸命に訴えます。
 目覚めると、全ての所持品がなくなっていた。

 すぐに列車じゅうを調べてくれ、そう懸命に訴えます。


 けれども車掌は、動きません。

 僕に幾つかの質問をした上で、言うのです。

 ――何故お前は、眠る時にコンパートメントの内カギを掛けなかったのだ?
 ――何故お前は、貴重品をしっかり握って眠らなかったのだ?

 同室の連中が戻って来なかったから、鍵を掛けられなかった。
 頭の下に入れておけば、貴重品を盗まれそうになっても目覚めると思っていた。

 そんな言葉が浮かびますが、口には出来ません――頭が働きません。

 
 車掌はさらに言いました――何故お前は、食堂車の料理を食べたのだ、と。

 睡眠薬を混ぜたものを食べた客が眠っている隙に、その荷物を奪い、そのまま下車する。
 そんな犯罪、この列車では毎週起きているんだぞ、と。


 ああそうか、僕は思います。
 あの炒飯に睡眠薬が入っていたのか――だから食後すぐに眠くなり、だから所持品を盗まれた時にも――腕時計を外された時にさえ、目覚めることが出来なかったのか。


 そして、ようやく思います。

 そんな犯罪が多いと分かっていながら、何故お前はそれを防ぐ努力をしないんだ?

 そして何より、犯罪被害者が目の前にいるのに、何故お前はその捜査をしようともせず、むしろ被害者を責めるようなことばかり口にしているんだ?


 そんな考えが浮かびますが――やはり言葉には出来ません。

 ただ、懸命に口にします――急いで車内を捜査してくれ、と。
 僕の貴重品を取り戻してくれと。


 けれども、車掌はあっさりと首を左右に振り、言うのです。

 無駄だ、と。

 犯人は確実に途中駅で下車をしている。つまりもう何十キロも離れた場所にいる。
 だから今車内を調べても無駄だ、と。

 それだけ言い終えると、車掌は、コンパートメントから去って行ってしまいました。

 同室の男性達も、どこかに出かけてしまいます。


 僕は一人、そこに残されます。


 パスポートもない。お金もない。カードもない。小銭もない。着替えすらもない。

 アフリカの大地の上、何一つ持たない僕は、列車の揺れに身を任せながら――これからどうなるのだろうという不安に、恐怖に、ただ震えていることしか出来ませんでした。

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