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アフリカはADHDには向いていない 【ADHDは荒野を目指す】

 3-20.

 ――建物の外には出来るだけ出ないように。どこかに出かける時はタクシーを呼ぶように。どうしても徒歩で出る時は、最低限の現金だけを身に着けておくように。街で声を掛けられても、絶対に足を止めないように。足を止めらた最後、銃かナイフを突きつけられて、全部奪われる。

 ケニアのナイロビにて、宿の受付の女性は、真剣な顔で僕にそう言いました。

 ――それから、土日は、タクシーでも外出しないように。警察官が休むので、街の治安はさらに悪くなる。タクシー運転手が強盗になるケースだって多い。


 流石にそこまで酷くはないだろう――そう思いはしたものの、けれどもそのアドバイスを無視しきる勇気はありませんでした。

 最低限の現金だけ持って、宿の入るビルから約二十メートルの場所にある、ファーストフード店まで走る。そこでバーガーセットの入った袋を手にすると、また大急ぎで宿まで戻る。
 一日三回それをするだけ、後は部屋でゴロゴロ過ごす。

 そんな毎日を送るようになります。

 これは酷い、と勿論僕は思います。

 僕が旅好きである最大の理由は、勿論非日常的な体験をしたいというものですが、同時に、「気楽に街を歩きたい」というのも、大きな要素です。

 子供時代は何も考えずに街を走り回っていた僕ですが、多少自意識が芽生えてからは、それも難しくなりました。

 汚い格好はしたくない。
 でも洗濯は面倒、新しい服を買うことも面倒で、結局ボロボロの服になってしまう。靴はかかとを踏み潰しているし、磨くこともまずない。ろくに鏡も見ないので、寝癖も直し切れないし髭もきちんと剃れていない。

 人に会ったらちゃんと挨拶したい。
 でも常に何か考え事をしているせいで、話しかけられたりすればうまく反応することが出来ず、挙動不審になってしまう。

 そんな自分が嫌で、外出するの億劫になってしまいます。


 でも、僕がそれまで居た国々――アジアでは、そんな配慮は一切必要ない。
 臭いシャツ、短パン、汚いビーチサンダル、寝癖、不精髭で出歩いても、誰一人、奇異な目で見たりしないし、そもそも気にしてもいない。
 利害関係のある人なんていないので、挨拶しなければならない相手もおらず、どれだけぼんやりしながら歩いていても、殆ど問題はない。

 勿論、交通事情のひどさや治安の悪さなどの為、身体的な危険に逢う確率は日本よりずっと高くはなりますが、精神的には、ずっとずっと楽でした。


 それだけに、外国にいながら、こんな監禁同然の生活を送るというのは、必要以上にストレスを感じることになります。
 

 とはいえ、アフリカ最大の楽しみは、街歩きではありません。

 僕は旅行代理店に行き、一つのツアーに参加を申し込みました。

 マサイマラ国立公園の中で、野生の動物達を眺めたり、マサイ族と触れ合ったりする、二泊三日のツアーです。

 幼い頃、勉強になるからと唯一見ることを許されていた娯楽番組――動物関連の番組が好きだった僕は、大きくなっても、それらが大好きなままです。

 出発の朝、宿の前まで迎えに来た車に乗り込み、数時間走って国立公園へ。

 湖をピンクに染め上げるフラミンゴ、群れで暮らすライオン、地響きをたてながら喧嘩をするアフリカゾウ、人の食べているバナナを奪うヒヒ、数だけは莫大なヌー、川に浸かったまままるで動かないカバ、その近くで昼寝するワニ、雄大すぎて走っていてもスローモーションにしか見えないキリン、血走った目で歩き続けるチーター、トイレの扉を開けると中から飛び出してきたイボイノシシ。
 膝を曲げずに跳ねるマサイ族の男達、泥で作られたマサイ族の家屋達。

 ライオンの狩りや、ヌーの大移動などは見られなかったものの、僕は十分な満足を覚えます。


 けれども――それ以外の時間に、僕は大いなる苦痛を覚えます。

 同じツアーのメンバーが、問題でした。

 運転手を除くと、全てが白人――四人がイギリス人、一人がアメリカ人、そして僕。つまり一人だけ、英語のネイティブスピーカーではないのです。
 そもそもAPD(聴覚情報処理障害)を持つ僕は、日本語であってさえ、集団での会話が苦手です。
 それが、ネイティブスピーカー達の英語となると、もうまるで会話について行けない。
 それなのに彼らは、僕を尊重して一々意見を求めて来るし、散歩などに行くのにも一々誘ってくれる。
 それに応じるためには、とにかく集中して聞き耳を立て、頭をフル回転させるしかありません。
 本当に疲れてしまい、やがて僕は、自分から口を開くことを一切しなくなり、やがて友達のいない高校生の休憩時間のような、「寝たふり」さえしてしまいます。

 そして次第に、彼らに対して腹を立てるようになってしまいます。

 何を見ても、感極まりない表情で、「ファンタースティーク」「アメージング」と叫ぶ。
 流暢な英語でマサイ族の文化と歴史を語り、巧みな話術でお土産を売り始めるマサイ族に対し、慈愛の念をこめた言葉を投げかけ、大金を落として行く。

 そんな洗練された振る舞いが出来ない僕は、ただ黙って拗ねているしかない。


 さらにもう一つ、食事の問題もありました。
 そのツアーでは、国立公園内にある洒落たレストランで、三食をとりました。
 そして、最初の夕食を食べ終わりかけた時になって、ようやく僕は気付くのです――そのグループのみならず、レストランの中の全ての客――全て白人です――の中で、自分一人、まるでマナーがなっていないことに。

 スプーンやナイフを乱雑に置き、スープを音を立てて飲んでいる。

 そもそも、テーブルマナーが大の苦手だった僕です。
 生まれつきひどく不器用で、どれだけ訓練をしても、まともに箸が持てなかった。
 一つ一つの挙措に気を取られると会話で失敗し、会話に集中するといつの間にかナプキンを落としてしまっている。

 一人での食事のときは、「食べる」という単純作業の退屈さに耐えられる筈もなく、常にテレビを見たり、本を読んだりしながらになります。

 勿論、沢山のものをこぼし、服やテーブルを汚してしまう。
 酷い時は、食べている途中で食事をしていることを忘れてしまい、半分ほどほったらかしにしてしまうことがある。
 

 そんな僕が、半年以上、マナーも何も必要ないアジアに居たのです。
 汚い食堂で、手掴みで食事をするような場所に居たのです。

 そんな僕が、休暇でアフリカまでやって来る、「きちんとした」欧米人の中に居て、ちゃんと振舞える筈もありません。

 遅ればせながら、自分がひどく粗野であることに気付き、恥ずかしくなってしまいます。


 ここは息苦しい。

 僕はそう強く思います。


 黒人の世界では自由に歩けない。
 白人の世界でも自由に振舞えない。

 アフリカに入って一週間、僕は、逃げ出したくなってしまいました。

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