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電話が出来ないADHD 【ADHDは荒野を目指す】

 3-9.

 バンコクにて仕事の面接を受けた、一週間後。
 僕は働いていました――ネパールはポカラという街の、フリースクールで。


 面接の翌朝、初出勤の為に早く起きた僕は、宿のベッドで横になったまま、考えたのです。
 ――本当にあの会社に行くべきなのか、を。

 無償ででも仕事をしたい――バンコクの熱気に当てられた僕は、面接直後そんなことを思ってしまっていましたが、一晩寝れば、熱も下がります。
 無償で、かつノービザで仕事をさせるというのは、どう考えてもおかしい。それだって、厳密には違法就労になるのじゃないか。
 それにいずれ社員に登用するなんて約束、守られる保証なんていない――あの如何にも軽そうな社長の態度から見ても。
 やはり、僕が音を上げるまで、ただこき使われるだけの話ではないか。

 流石に半年間とはいえ、社会人を経験しているお陰で、僕にもその程度のことには気づけます。
 一旦そう考え始めると、それはすぐに確信になりました。
 そうして僕は、その会社には行かないことを決意します。

 僕はベッドから下り、外に出ようとしました。僕は携帯電話など勿論持っていません。近くの公衆電話から、断りの電話を入れようと思ったのです。

 けれども――ベッドを下りたところで、僕は動きを止めてしまいます。

 電話をしたくない、と僕は思います。

 そもそも僕は、ADHDの多く同様、APD(聴覚情報処理障害)を持っています。
 他人の声が、音声としては聞き取れるのですが、その内容を理解出来ないことが多いのです。面と向かって話し合っているならともかく、音声情報しか与えられない状況では――しかも周囲に雑音があるような状況では、もう絶望的です。
 電話の声、電車のアナウンス、ろくに聞き取れたためしがない。

 学生時代にはそれでも問題はなかったのですが、就職した途端、その障害が大きな問題になります。取引先からの電話の、内容は愚か、相手の会社名、担当者名すら聞き取れないのです。繰り返してもらって何とか聞き取ったところで、ちゃんとメモすることなど出来ない。そんなことを繰り返した結果、上司や先輩をうんざりさせてしまい、ついに電話応対から外されてしまったのです。

 もはや電話そのものが怖い存在なのです。
 しかも、これからする電話は、さらに怖い。
 明朝行くと約束したのに、それを当日キャンセルするとなると――怒られるかも知れない。少なくとも嫌なことを言われるだろう。
 昨日再三馬鹿にされ、プライドが傷つけられたことを思い出します。電話をすれば、またあんな思いをしなければならないのか――気が重くなる。

 その重さをはねのけるためか、怒りが浮かんできました。
 あいつ、面接の席で散々俺を馬鹿にしやがって。
 分かってないようだが、こっちは京大卒なんだぞ。お前はどこの大学を出てるんだ? どうせ大したことはないところだろう――そんなみっともないことを考えつつ、僕は自分に言い聞かせます。

 あんな人間失格の失礼な奴に、わざわざ断りの電話を入れる必要はない。いや、僕が来ないことで困らせてやればいいんだ。
 僕はそう決意すると、ベッドに戻り、二度寝に入ってしまいました。

 数時間後、目覚めてすぐ、僕はそわそわし始めます。

 流石に、電話も入れないのはまずかったのではないか。あの社長は怒っているのではないか。
 そして、提出した履歴書に、僕の泊まっている安宿の名前を書いていることを思い出します。

 もしかしたら――あいつはここにやって来るかもしれない。僕を怒鳴りつけたり、無理やり仕事に引っ張って行ったりするかも。いや、もしかしたら無断で仕事に穴を開けたことへの、損害賠償を請求したりするかも知れない。

 そんな想像――というか、妄想が広がり始めます。

 そうすると、もうじっとしていられなくなりました。逃げなければ、と思います。

 最初は、別の宿に移ろうと思っただけでした。しかし荷物をまとめている内に思います――やっぱり、別の国に行こうか、と。

 あの社長はおかしかったが、やはり、タイ語も話せないようでは使い物にならないという言葉は、多分真実だ。
 そうだとすれば、今から他の会社に応募したって、同じことだろう――同じような不快な思いをするだけだろう。

 もうタイで就職するのは諦めよう、と僕は思います。

 では、どこに行こう? 僕は急いで考えます。
 やはり現地採用に必要なのは語学力だ。となると、英語圏でなければならない。
 けれども、アメリカやカナダ、オーストラリアなどの先進国に住みたいとは思わない――僕は、色々整った国で、落ち着いて仕事がしたいのではない。非日常的な経験が出来るような、発展途上国に居て、ついでに仕事もしたいだけだ。

 とはいえ、日系企業そのものが存在しないような国では、日本人の求人だって殆ど存在しない。貿易関係などで日本語が必要な仕事が存在したとしても、そういう時には日本語を話せる現地人を採用するだけだろう。

 そういう意味で、このタイ――ある程度途上国でありながら、日系企業が多く進出している――以上に好条件の国は、他に存在しないでしょう。

 となると、やはりタイに残って、他の仕事を探すか。
 いや、でも、バンコクにいると、宿を移ったとしても、またあの社長に会ってしまうかも知れない。それは恐ろしい。

 どうすればいいのだろう?

 そんな逡巡の中、ようやく荷物をまとめ上げた所で、僕の頭に一つのアイデアが浮かびます。

 英語以外に語学は出来ず、実務経験もない僕には、まともな就職は無理だ。
 でも、あの社長の言った通り、お金を求めなければ――つまり、ボランティアで良ければ、ある程度の経験を積むことが出来る。厳密には実務経験とは呼べないだろうが、それでも、途上国で労働をしたというのは、十分に評価される可能性がある。

 ボランティアでいいとなれば、心当たりがある、と。

 ネパールのポカラという観光地にて、現地の貧しい子供向けのフリースクールを経営している、日本人の知り合いがいたのです。

 学生時代、インドやネパールを旅行した際に偶々出会った人です。さして深く交流した訳ではありませんが、その後、僕の卒業論文のテーマの一つとして、途上国経済と教育問題を取り上げたため、データ提供などの協力を求めて、彼に会いに行く機会があったのです。

 その際、そのフリースクールの現状を何度か聞かされていました。とにかく人手が足りない、誰でもいいから手伝って欲しい、と。

 あそこなら、僕は仕事ができる。しかも教育業――高学歴の僕にとっては、ぴったりの仕事だ。そこでは絶対に馬鹿にされることはない。
 そう、そもそも旅行業界なんて、僕に向いている筈などなかったのだ――一度就職してしまった、IT業界同様に。
 やはり自分が得意なこと――勉強に絡むような仕事をしないと。

 そう思うと、俄然やる気が出てきました。

 そして僕は、ネパール行きの飛行機に飛び乗ったのでした。

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