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バンコクで圧迫面接を受ける 【ADHDは荒野を目指す】

 3-8.

 想像よりずっと小奇麗な会議室で、僕はスーツ姿の男性と向かい合っていました。
 色が浅黒く、目が大きい――タイ人だろうか、と僕は思います。
 しかしその口から出て来たのは、前日電話口から流れて来たのと同じ声、明らかにネイティブの日本語です。
 社長だと自己紹介した彼は、僕の提出した履歴書を見て、ホゥ、と言いました。

 ――京都大学を出ているんだね。

 そうです、と僕は勢いよく頷きます。早速そこに――僕の唯一のセールスポイントに食いついてくれた。良い予感がします。
 成程なぁ、と男は言います。

 ――それじゃあ、親御さんは泣いているよね。

 は? 僕は口をぽかんと開けます。

 ――だってさ、折角頑張って優秀な子供を育てたのにさ、こんな場所でこんな仕事に応募しているんだよ。そりゃ泣くだろ。

 僕は絶句します。

 ――いやさ、そんな立派な君も、こんなところに来てちゃ駄目だよ。さっさと日本に帰って、ちゃんと就職しなよ。

 いや、と僕は言葉を絞り出します。
 僕は、どうしても御社で仕事がしたくて、それで。

 ――バンコクに女でもいるの?

 僕はまた言葉を失います。それでも、どうにか首を左右に振る。

 ――そうでもないの? それなのにどうしてこんなところで働きたいの?

 僕は急いで言葉を並べます。殆ど失敗に終わったとはいえ、日本で就職活動を経験しているのです。語るべき言葉は知っている。

 御社の企業理念に共感を受け、こここそが自分を成長させてくれる場所だと……。

 男は大声で笑いだしました。僕は口を閉ざします。

 ――企業理念だとか、成長だとか、そんなのここにないから。

 男はなかなか笑いやみません。僕は呆然とただ待ちます。

 ようやく笑みを抑えた男は、まあいいや、と言いました。
 ――君はタイ語も話せないんだよね? それで、うちでどういう仕事が出来るの?

 僕は気を取り直して答えます。
 履歴書に書いている通り、チベットをヒッチハイクで旅したりしており、旅行にはかなり慣れています。ですから、御社のよう旅行代理店では、私のその経験を活かして、力を存分に発揮できると思います。

 勢い良くそう言った僕に対して、男はまた笑い、そして突然まくしたてます。

 ――うちは日本人向けの旅行代理店だよ。日本人ツアー客はさ、寺や遺跡を回ったり、象に乗ってみたり、ニューハーフのショーを観たりするためにここに来る。そしてうちの会社の仕事は、その為の交通機関や運転手、チケットやらを、できるだけ安く手配すること。

 なぁ、と男は言います。
 ――チベットやらヒッチハイクやらの経験が、この仕事の、どこに活かせるというの?

 男は言葉を切って笑います。
 僕は完全に言葉を失いました。男の馬鹿にするような口調が悔しくてならないのですが、何かを言い返すだけの勇気もない。

 暫く笑った後、男は言いました。
 ――でもさ、君はどうしてもバンコクで仕事をしたいんだよね?

 その言葉は柔らかく、僕は少し気を取り直しますが、小さく頷くことしか出来ません。

 ――じゃあさ、明日朝七時にここにおいでよ。仕事させてあげるから。

 僕はひどく驚きます。
 いや、でも、就労ビザが取れないって。

 大丈夫、と男は笑います。
 ――ビザなしで働いている外国人なんて、大勢いるから。

 僕はまた驚きます。それはつまり、不法就労――とは口に出せませんが。
 ただ、それでも、と思います。僕は既に、チベットに不法入域をしたことがある人間だ。今更不法就労ぐらい、なんてことはない……。

 ――明日四人組の日本人ツアー客が来て、バスでアユタヤに行く。うちの社員がガイドをするから、君はそのアシスタントね。客の荷物を運んだり、点呼を取ったり、食べ物やジュースを買ってきたり、ね。簡単な仕事だろう?

 僕は思わず頷きます。

 ――それじゃあ、また明日ね。

 男はそう言って立ち上がると、出口に向かって歩き出しました。それを見て、泡を食って僕も立ち上がり、あの、質問があるのですけど、と急いで言います。
 ――福利厚生とか、どうなっていますか、と。

 海外就職の雑誌に、面接では絶対に質問しろ、と書かれていた内容です。

 すると、男はまた笑いだしました。
 ――そんなもの、ある訳ないじゃん。

 僕は理解が出来ず、首を傾げます。

 ――だって、そもそも給料がないんだよ。福利厚生がある筈もない。

 は? 僕はキョトンとします。

 ――だって、君にはビザがないんだから、給料を支払ったら、不法就労をさせたことになるじゃん。

 僕は混乱します。どういうことだ? 仕事はあるけど、無償?

 ただのボランティアじゃないよ、男は言いました。
 ――ちゃんと評価できるような仕事をしてくれて、かつタイ語もある程度話せるよういなれば、ちゃんと社員登用してあげる。タイの法律なんて適当なもんだから、就労ビザなんてどうにでもなるからね。

 ――まあつまり、学生のインターンみたいなものだね。

 それは話が違う、募集広告には正社員募集と書いていた――そんなことを言おうとした僕を、男は遮ります。

 ――君だって、ビザも持たず、タイ語も話せず、ろくな経験もないじゃないか。それこそ、話が違う。

 僕はまた言葉を失います。だからさ、と男は扉を開けながら言います。

 ――まあさ、君にとって、これ以上に良い話は絶対に存在しないよ。仕事出来る上に、社員登用の道まであるんだから。
 ――他の会社では、百パーセント門前払いになるからね 

 男は笑うと、そのままさっさと部屋を出て行ってしまいました。


 僕は半ば唖然としたまま、受付のタイ人女性に追いだされるように、その部屋を退出します。


 宿に戻り、深い溜息を吐きます。
 覚悟していたことだが――やはり、外国で生きて行くのも。簡単ではない。幾ら才能があっても、言葉も喋れず実務経験もなければ、やはり苦しいのか。

 それでも、と僕は思います。チャンスはある。

 面接では不快な思いをした――まさかの圧迫面接を受けた。
 でも、見方を変えれば、それは相手が本音をズバズバ言ってくれた、ということ。そしてそういうことであれば、僕も本音だけを口にすれば良い――苦手な社交辞令を口にしなくて良い、ということ。
 僕に向いた職場だ、と僕は自分に言い聞かせます。

 幸い、百万円近くの貯金があります。物価の安いタイであれば、半年近くは食いつなげる。その間にしっかり働いて、社員登用されれば良い。

 それまで必死に頑張ろう。
 僕はそう強く思います。

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