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バックパッカーにさえ馴染めないADHD 【ADHDは荒野を目指す】

 3-7.

 舞鶴の港で旅に出ることを決意した三日後、僕はタイのバンコクに居ました。

 当時のバンコクは、旅行者の聖地だと言われていました。
 勿論、観光や食事や、夜の街を目当てに集まる人が多い、という理由もありますが、何より大きいのは、フライトチケットがとにかく安く買えたことです。

 例えばインドのニューデリーに行きたいときには、一旦日本からバンコクまでのチケットを買ってバンコクに行き、そこでニューデリー行きのチケットを取る方が、日本でニューデリー行きの直行便を買うよりも、合計金額にして遥かに安く済むのです。

 だから、どこが目的地であるにしても、まずはバンコクに行く――それは、当時の日本人自由旅行者――バックパッカーの通例でした。

 僕はそこで、大勢のバックパッカー達と知り合います。
 以前僕が旅をしていた春休みや夏休みとは違い、学生の比率は高くありません。殆どが会社を辞めて飛び出した人達です。多くが二十代ですが、中には三十代四十代以上もいるし、最高で八十代の人――年金で旅をしている人――までいる。
 そして彼ら全て、とても楽しそうでした。

 僕は尋ねました。将来の不安はないのか、と――八十代の人を除いた全員に。
 そして全員が、口を揃えたかのように言います――不安はあるが、一度きりの人生なんだから、やりたいことをやらないと、と。

 勿論その通りだと思います。そう思ったからこそ、僕も同じく日本から出て来たのです。
 でも一方で、やっぱりそれは違うと思います。

 彼らの多くは、短期の労働で溜めた僅かなお金を握って途上国で遊んで暮らし、それがなくなるとまた日本で短期労働をする、という生活を送っています。
 勿論家族はなく、体を壊せば終わりの日々です。

 僕はこんな風にはなりたくない、と思ってしまうのです。
 もっときちんと生きていきたい、と。

 けれども現実問題、僕と彼らには何の違いもない。二十代後半で、仕事もせずにバンコクくんだりにいるのですから。
 むしろ、社会人だったのは僅か半年だけ、僕の方がより社会に適合していないと言える。
 それが分かっているだけに、僕は複雑な気持ちになります。

 だから僕は、夜になると、彼らと離れて一人になります。

 彼らは毎日飲みに行き、風俗に行きますーー八十代の男性も一緒に。
 そもそも、様々なことが気になりすぎるADHDですから、どうしても無防備になってしまうそれらの遊びは、かなり苦手であるせいでもありましたが。

 こんな場所でも、僕は人々に馴染めていない。
 トゥクトゥクに乗って笑いながらに去って行く彼らを見送りながら、僕は一人、鬱々とした気分のまま、ただ街を眺めているのでした。



 そんな日々の末、バンコクについて一週間、ようやく僕は動き出します。
 日本にいるころから温めていた計画を、いよいよ実行することにしたのです。

 旅はしたい、でも彼らと違い、きちんと生きたい。その両立を果たすためのものです。

 ある朝僕は、勇気を振り絞って、バンコクのとある会社に電話を入れますーー日本人向けのバンコク生活情報誌に、日本人限定の求人広告を出していた、旅行代理店に。

 そう、僕はいわゆる「現地採用」を狙っていたのです。
 日本の会社で採用され外国の支社などに派遣される「駐在員」ではなく、現地の会社に直接雇用される存在です。

 駐在員と違い、採用されるハードルが低い上に、会社命令で転勤させられるということもない。
 そういう存在です。

 これなら、旅をしながら、社会で生きることも出来ると、僕は考えたのです。

 バンコクに来たのも、日本で立ち読みした、海外就職の為の情報誌なる本にて、現地採用が最も簡単な場所として挙げられていたから、にすぎません。

 バンコクでは近年、日本資本の会社が急増しています。当然現地で働く日本人社員の需要も増加しているが、欧米と違い、タイ駐在を希望する人は少ない。必然的に、現地採用のニーズが高まっている。

 情報誌に書かれていたそんな話の通り、バンコクで発行されている日本人向け情報誌には、たくさんの求人情報が載っていました。

 その内一つに電話を入れたのです。

 うまく雇ってもらえるだろうか。そもそも言葉が通じるだろうか。もしタイ語で話されたら、どう返事すればいいのだろう。緊張しながら、僕は呼び出し音に耳を傾けます。

 幸いなことに、電話に出たのは日本人でした。僕が急いで、求人広告を見たと言うと、その男性は即座に言います――君はタイの就労ビザを持っているの、と。

 勿論そんな物はありません。いいえ、と僕は答えます。
 そして急いで、就労ビザの申請には、タイの会社から内定を貰ったことを証明する書類が必要だと聞いたのだが、と言おうとしましたが、男は僕の言葉を遮って、次の質問をします――君は今、タイで働いているの?

 いいえ、と僕は答えます。ただ旅行者です。

 ――じゃあ、タイ語を話せる?
 出来ません、と僕は急いで答えます。でも、英語なら多少話せます、と。 
 けれども、英語なんて別に必要ないよ、と男はあっさり言います。僕の心が少し萎えます。

 男は続けて、大学は出てるか、と尋ねます。僕は急いで大卒ですと答え、続けて、京都大学を――と言いかけた時には、男はもう次の質問をしています。

 ――年齢は?
 二十七歳です、と答えます。

 ――だったら、実務経験は二年以上あるね?
 僕は口ごもります。いい年齢して、半年しか社会人経験がないのです。咄嗟に、どうせ外国なのだからばれないだろう、嘘を吐こうか、と思いますが、その前に男が言います。

 ――二年以上の実務経験を証明する書類がないと、就労ビザは下りないからね、正直に答えてよ。

 やっぱりそうか。僕は溜息を吐きます。確かに、そういう情報を読んだ記憶はあります――大卒で、二年以上の実務経験を有することが、タイにおける就労ビザ申請の要件だ、と。
 でも、ただし途上国の状況は変わりやすいので、現地で直接尋ねてみるに限る、とも書かれていたのですが。

 実務経験は半年しかありません、と観念して僕は答えます。じゃあ、やっぱり無理ですよね、と。

 けれども、男はあっさり答えます――別に無理でもないよ、と。

 え? 僕は驚きます。実務経験が不足していれば、ビザが申請出来ないのですよね、と尋ねると、男は答えます。

 まあそうは言われているけどね――でも、ここはタイだよ。そんなことは、どうにでもなるよ、そう男は笑います。

 ――とにかく、君は仕事をしたいんだよね?
 はい、と僕は急いで頷きます。

 じゃあ、細かい話は直接話そう、と男は言います。
 ――明日十時、うちの事務所まで来てよ。

 そう言い終えると、男は一方的に電話を切ってしまいました。

 僕は暫く茫然としますが――やがて、喜びの気持ちが沸き上がってきます。
 実務経験不足でも、何とかなるかも知れない。いや、彼が大丈夫だと言ったのだから、何とかなるだろう。
 そこさえクリアすれば、僕は必ず採用されるだろう――何せ僕は京都大学卒なのだ。形式ばかり気にする日本の大手企業でもない限り、採用面接で落とされるはずがない。
 そして採用されれば僕はすぐに活躍できるだろう――何せ僕は、チベットヒッチハイク旅を完遂した、体力気力も備えた人材なのだ。組織の都合ばかり優先される日本の会社と違い、こういう場所は完全に実力主義だろう。だから僕は間違いなく成功できるだろう。

 僕はここで生きて行ける、そう強く思います。

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