このエッセイはフェイクです
あなたの目の前にめちゃくちゃ怖い動画がある。
いわゆる呪いの動画。
もちろん見たら死ぬという噂付き。
あなたは見る事ができるだろうか。
僕はこの手の動画は 見たい気持ちは強いが絶対に見ないようにしている。
何もない。
どうせ作りものだよ。
見てもなんの影響もない。
そう思ってはいる。
でも煽ってくるんだよ。
「自己責任で観ろよ なんかあってもこっちではなにもできないからな じゃあな」
と。
ずるいよ。
怖いよ。
僕は自分で責任をとれないよ。
責任の取り方も明記してくれないと僕は動けない。
小心者とバカにされてもかまわない。
僕は「触らぬ神に祟りなし」を信条としているのだ。
「君子危うきに近寄らず」とも言うしね。
だから僕は自己責任系動画は見ない。
実に賢い選択だと思う。
え?
フェイクにビビるなって?
フフン。
じゃあ なたは見たらよろしい。
でもね。
その呪いの動画の内容は信じないのに。
どうしてフェイクであるというのを信じる事ができるの?
本当に呪いの動画なのに「フェイク」というフェイクを入れて見せようとしているかもしれないよね。
もし僕が無差別に呪いを振りまきたくて動画を作ったとする。
ならばなるべく多くの人に見てもらいたいと思うわけだ。
すると本当に呪いがかかるという事は内緒にしておきたい。
ではどうするか。
「これは作りものだから安心して見てね」と言うだろうね。
本物なのに。
その「フェイク」という言葉を信じるのは危険だ。
もっと狡猾なヤツなら自己責任のひとつ前の動画を本体にするなどもしてくるかもしれない。
呪術的には初めから全部みて最後の動画を見る事で呪いが発動するということもありそうだ。
ならば最後だけ見なければOK。
すなわち。
僕はビビりではなく防犯意識が高いだけなのだ。
えっへん。
だからもし僕が
「このエッセイを読んだら幸せになれます」
と言っても信じちゃいけない。
っていう言葉も信じちゃいけない。
え?
じゃぁ何を信じればいいのかって?
うん。
それは自分自身だね。
どっちを信じるのは結局は自分次第。
そう「自己責任」というヤツだ。
結局は自己責任なんかーい。
と思ったそこのあなた。
その通り。
全ての行動の責任はあなたになるのだ。
他人のせいにしてはいけないよ。
※このエッセイに影響を受けてなにか不具合があっても当方では一切の責任は負えません。ご了承ください。
はい。
読んでからこんなメッセージがでれば それは自己責任ではなく配信者の落ち度となるので人を呪う場合には注意されたし。
まぁ僕はタイトルでちゃーんと「フェイクです」って言っているのでセーフ。
ではまた。
次回予告(ウソ)
「エッセイとフェイクの違いについて一時間悩む」
の巻き。
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