積みゲーや積読の魅力
買ったのにプレイされずに放置されるゲーム。
買ったのに読まれることなく積み上げられる本。
なぜ買うのか。
欲しいから。
その時はやろう、読もうと思ってる。
いつのまにか忘れ去られる。
ついには、あれこんなの持ってたっけ?となる。
この時はなんだか儲けた気分になるから不思議。
へそくりしていたのに忘れてた、みたいな感覚。
そしてプレイし始めたり、読み始めたりする。
結局は活用しているから無駄ではない。
当時の自分を褒めたいぐらいだ。
先見の明があったんだと。
最近、PSPGOでウィザードリィエンパイアⅢをプレイしているが、他にも持ってないかなと探して見ると、なんと2つもウィザードリィを所持していた。
もちろんどっちも積みゲーだ。
存在をすっかり忘れていた。
儲けもうけ。
でも今はやる時間がないので再び積みゲーに。
すまん。いつかはプレイするからな。
ボタン電池もってくれよ。
積読については最近電子書籍ばっかりになっているので、正確には積んではいない。
NEWと表示された本のデータが蓄積されていくだけだ。
これもいつか読もうと思い、買ってはいるがサブスクのせい(おかげ)でまったく読む時間がない。
サブスクで読みたい本が多いのが悪い。
かなり意識して読み始める必要がある。
今は無理だ。
諦めてくれ。
さて、この積みゲーや積読の魅力だが、ずばり所有欲を満たすこと。
これだけだ。
あとで読んだとかは結果論でしかない。
買うことに満足している。
所有していることに意味がある。
コレクションだ。
読まなくてもいいんだ。
プレイしなくてもいいんだ。
そら読んだ方がいいし、プレイしたほうがいいに決まってるけど、買わないことには始まらない。
僕はミニマリストには向いていないようだ。
欲しいと思い、熟考し買った結果、積みゲー、積読になったのならそれはしっかりした財産になることだろう。
適当に買わなければ問題はない。
そして、買ったことすら忘れ、ふとしたときに発見し得した気分を味わう。
なんとも大人な遊びではないか。
盆栽みたいだ。
この魅力的な体験をしたいならぜひ積んでみて。
さぁ押入れやクローゼットを漁るのだ。
お宝を求めて。
購入時より高く売れるものもあるかも。
サルベージだ。
いい出会いがありますように。
ではまた。
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