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60年後の終活

終活という言葉が一般的になって久しい。

まだまだ終活するには早いとは思うがいつ不慮の事故に巻き込まれるかもわからない。

考えておいて損はないだろう。

でも実感がわかない。

イメージできない。

想像すると暗澹あんたんたる気持ちになる。

今すぐ死ぬことはあまりにも辛い。
残された家族のことを思うと死ぬわけにはいかない。

だから遠い未来に想いを馳せようと思う。

──妄想開始──

約60年後、僕は100歳を目前にしている。

大病もせず一応ひとりで動ける状態だ。
やはり30代から健康に気を使っていてよかった。

紆余曲折あり僕は独居老人となっている。

そしてもうすぐ死期が来る予感がする。

今こそ終活をするときがきた。

しかし、何も残すモノはない。

60年モノのnoteのアカウントがあるぐらいだ。
2代目に譲るとしよう。

あぁ葬式とかどうしようか。
そもそも僕の身体死体を首尾よく発見してもらうにはどうすればいいのか。

問題は山積している。

そういえば昔読んだ小説に解剖の献体になれば 医大がその後の処理までしてくれると書いてあったな。

この健康体の100歳の身体はさぞかし研究のしがい・・・があるだろう。

死骸・・だけに。


フフフ。

こんな冗談を言えるうちはまだまだ死にそうにないな。

こうしてぜんけい老人は献体の申し込みをするのであった。 

──妄想終わり──


最近、解剖医が活躍するミステリーを読んで「献体」なるものを知った。

事前に申請しておけば今後の医療の為に身体を差し出すことが出来る。
死してなお人の役に立ち 葬式など面倒を掛けることもない。

一石二鳥。

独居老人の選択肢のひとつにと思ったが残念ながら年齢制限があるらしい。

世の中そう上手くはいかないな。

まぁ未来ではそのへんのシステムも変わっている可能性はあるから少し期待していようかな。

ドナー登録とか献体登録とか「しないとな〜」と思っているといつの間にかおっ死ぬ。

献体については勝手に登録しても遺族が拒否したら拒否できるみたいなので周囲に説明しておく必要がありそうだ。


それにしても解剖で 自分の中身が暴かれるというのはどういう気持ちなのか。

やっぱり恥ずかしいのかな。

自分でも見たことがない我が臓器たち。

見られても恥ずかしくない状態にしておかなくちゃ。

でもそうすると健康になってしまい献体になるチャンスはなくなる。

うーん。

やっぱり世の中うまくいかないね。


死後の心配をするより今を精一杯生きなさい。

そんな声が聞こえてきそうだ。

でも死後の安心があるから図太く生きられる。

残される者の為の終活だ。

自分のためじゃない。

一番いいのは自分が死なないこと。

そうすれば周囲に迷惑をかけなくて済む。

だから健康は大事だ。


死について考える真面目回だったのに結局は健康に行き着く健康オタク。

死にたくないけれど 寝たきりも不老不死もイヤ。

健康に長生きしたい。

そしてその健康の秘訣を献体として暴いて欲しい。

それが僕の生きた証。


うん。

よし。

うまくまとまったな。

テーマが重いからユーモアを差し挟む隙がない。

この辺でオサラバしたほうがよさそうだ。

ではまた。

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