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熟考することで直感が養われる

ある問題について、選択を迫られることがある。
よく「人生は選択の連続だ」なんて言われる。

どっちが正義か なんてことはない。

それぞれが正義だ。

そりゃもちろん、自分に利益のある方につくよね。

わざわざ逆風の中に突っ込んでいく必要はない。

でもその決断が今後の人生を左右するような内容だったら?

友達
入試
恋人
会社
伴侶
死地

その時の感情や損得で決めてしまうのは危険だ。

もっと大局を見て決めるべきだ。


ふう。
なんだか 良いことを言った風 なエッセイになってきたぞ。


このままじゃつまらない。
でも選択を迫られたとき。
あなたはその決断の理由をはっきりと述べることができるだろうか。

適当に決めてやしないか?

僕は反論されるのがキライなので、どっちの立場にも立って いちど考える。
そしてどちらも理論攻めして主張の穴を探す。

そうやって 突っ込まれても言い返せる と判断したほうを選択する。

勝てない勝負はしない。
よく考え、ずる賢く生きるのだ。

そんな世渡り上手な僕は、子どもに「よく考えて決めなよ」と何度となく言った気がする。
でもその よく考える というのはどういうものなのかは説明していない。

これじゃよく考えることは難しい。

僕の言う「よく考える 」というのは、先に説明した「どっちの立場にも立って考え、穴を探す」ということ。

先日、息子がガチャガチャコーナーで 目当ての物がなく 適当に選んで回そうとしていた。

そこで僕は よく考えて決めなよ と伝えた。

この場合、適当に選んだけどガチャを回せる喜びを取るのか、別の機会までお金を貯蓄しておいて目当てのモノをGETするのかの2択を迫ったことになる。

よく考えた結果、欲しいものではないけれどガチャを回すと決めたのなら それは尊重されるべきだ。

結果の良し悪しではなく、よく考える習慣を身に着けて欲しい。

これには経験が必要不可欠だ。

だからボクは問い続ける。

よく考えてみた?


と。

そして その考えた内容を説明してもらおう。

嫌なパパだな。
面倒くさいパパだな。

でも僕は今、人生を左右する決断をした。

息子に嫌われても、考えることの重要性を説こうと。

もう一つの未来。
息子には嫌われないかもしれないが、息子が能天気な大人になる可能性が高まる未来。

僕にそんな選択はできない。

よく考えた僕 えらいぞ。

パパみたいに熟考できる大人になるんだよ。

ガチャガチャの選択から始まり、人生を共に歩む伴侶の選択までしっかり熟考するんだ。


え?
自分は直感派です?
まぁそういう人もいるよね。

でも熟考を重ねることで、その直感の精度もあがるんだよ。

直感を信じて熟考していこう。


いやはや今日も熟考せずに勢いでエッセイを書いてしまった。

おっといけない、なぜ熟考することが必要なのか言っていなかった。

自分で決めた(選択した)ことなのに、後悔したくないからだ。

熟考して決断したことは失敗してもダメージは少ないもんだ。
その失敗も次の熟考の材料にしてしまえ。

でも息子はその内に言うだろう。
熟考した結果、パパは面倒くさい
と。

その素晴らしい結論を導けるような思考力を身に着けたなら、僕は無言で力強くハグをするだろう。

そして 面倒くさい を上乗せしていく。

あぁ楽しみだ。

ではまた。

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