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初めてのシャ○は7歳!? 身○も凄かった〜ジャ○キーサラブレッド〜 逮○!刑○所!

私は、199○年に小さな港町で生まれました。
育った環境は比較的とても特殊な環境でした。

家族はジャンキー、詐欺師、ヤクザ
が周りに常に居るような環境です。

生まれて間もない頃は両親の愛情をたっぷり受けていたと思います。

幼少期から断片的な記憶が結構残っていて、昔の写真を見たら記憶が少し蘇ってくるのでそれらを頼りにここから書いていきます。


小さな頃はよく居る元気な子で、はしゃぐのが好きなタイプでした。
小学校に入ってからは人見知りで人前に出るのが恥ずかしいような引っ込み思案な子だったと思います。
小学校で応援団長に任命されただけで泣いてしまうような子でした。

地元の産婦人科で生まれ
すぐにおばあちゃんの家に引き取られた記憶があります。

保育園に入った時には既におばあちゃんの家で暮らしてました。
その前に施設に入ってた記憶がありますが、そこでは1ヶ月程楽しく過ごしました。
ウルトラマンの人形、仮面ライダーの人形、沢山の初めて会う子達でキラキラしているように見えました。

この時、実父は詐欺容疑でパトカー7台に囲まれて逮捕されたから施設に預けられたらしいです。
多分、母親もこの後逮捕されたと思います。
(薬物か詐欺罪)

この時母親は入院しているとおばあちゃんから聞いてました。

その後、施設から出ておばあちゃん家に引き取られて近くの保育園に通う事になりました。
(年中だったので4歳頃)

髪の色は3歳~小学1年の最初まで金髪で得意なポーズはサングラスかけて中指立てて
「じゃかしぃわ ワレぇ」
をパトカーに向かってやる
両親に教えられたらしいです。

おばあちゃん家は生活保護だったので送り迎えは毎日自転車に乗せて連れて行ってくれてました。
たまにのお出かけも全て自転車でデパートに連れて行ってくれてました。

この頃の母親は24歳(僕を20歳で出産)
実父は23歳?おばあちゃんは45歳頃です。

イトーヨーカドー、長崎屋が大好きでした。
家の前のゲームショップなどにあった体験版の任天堂64でスマッシュブラザーズをやるのがとても楽しかったです。
遊戯王カードも懐かしいですね。

小学校1年の入学式前に母親は帰ってきましたがすぐにどこかいなくなりました。
(再逮捕か保釈中だったのだと思ってます)

入学後、完全におばあちゃんと暮らして居るときは黒髪にもどしたと思います。
母親の弟の叔父さんもおばあちゃんの所で暮らしていました。

叔父さんはずっと大工で働いていてそのお金で母親の借金を払って、おばあちゃんと私の生活費を賄ってくれていたみたいです。
後から聞いた話しだとその叔父さんでさえも地元じゃ有名なジャンキーだったみたいです。

小学校1年の頃はよく女の子と遊んでいる子で
おままごとやゴジラなどの人形を絵の具で塗ったりして遊ぶのが好きでした。
(この時のゴジラの人形今ではプレミア付いてました…)

後半は男の子と遊ぶようになり、友達も増えました。

クリスマスの夜中に起きて、おばあちゃんが居なくて泣いていたら包装されているトイザらスの袋を持ったおばあちゃんが帰ってきて、次の日にサンタさんからのプレゼントだとトイザらスの袋を渡されて早々にサンタは存在しないと知ってしまいました笑

小学校2年生の時に母親が帰ってきて母親と暮らす事になりました。

引っ越し先ではアパートの2階を2室借りて、壁を取り払って繋げて住んでいました。
その頃から家に黒ずくめの人達がよく出入りするようになりました。
若いカップルの居候もいました。

ある日黒ずくめの人達が家にやってきて、見た目の怖さで泣いた記憶があります。
その中の一人が「代行」と呼ばれていたのですが僕には「ダイコン」としか聞こえなくてその人の名前は「ダイコン」だと勘違いして覚えてた記憶もあります。

その「代行」と呼ばれていた人がその組の直参で、僕の新しい父親になる人でした。(以後父親)

※直参(じきさん)とは、会長から盃を受けた直系の組長個人の事

その組は地元で有名な組で、1番気性が荒くて事務所の目の前を暴走族が通ると組員がバットを持って出てきて車で追いかけられて追突されると有名な組だったらしいです。
(後に家族関係になる再従兄弟も言ってました)

とても見た目の怖い人達ですが誕生日プレゼントでゲームを買ってもらえたり、港町の組なので凌ぎで入ってくる海産物(密漁品)を発泡スチロールごともらったりと生活保護でしか生活した事のない私にとってはとても贅沢に過ごせた期間でした。

何時からか叔父さんも組に入っていました。
シンナーでヘロヘロの状態で車を乗っていこうとして、止められても無理矢理行こうとしましたが
父親がブチ切れて大きいクリスタル灰皿で叔父さんの頭を当てた瞬間に引くように殴りました。

結果、叔父さんの額は割れて革のソファも血まみれになった光景を覚えています。


そんな生活の中、私的に1番鮮明に覚えている事件が起きました。

小学2年生の私にはとてもショッキングな光景でした。

母親の情報
・極真空手経験者
・有名レディース総長
・現場仕事経験有り
・男より力有り
・霊感イタコ並
・実写版ビッグ・マム

母親はその頃、スナックを自営していて、取り巻き的な女性達が3人いました。

仮にA子 B子 C子とします。
A子 → ショートギャル(叔父さんとの交際経験有)
B子 → ロングギャル(少しエラが張ってるが綺麗)
C子 →テンパギャル(内気、ほぼいじめられてた)ちなみにA子と叔父さんの濃いキスシーンは飲み会のトイレで見せつけられました。


ある日の朝、C子が私を起こしてきた時に半分起きていたのですがB子が好きだった私は寝てるフリをしました。

すると母親が
「てめぇはガキ1人起こせねぇのか!」

とブチ切れてC子をボコボコに殴りまくって、木刀を取り出して木刀が折れるまで殴り続けていました。

その後、C子は白目剥いて泡を口から吹きながら動かなくなってしまいました。

A子が
「お姉、さすがにヤバくない?」

と言い出したのでみんなでとりあえず逃げる事に。
C子を家のトイレに放り投げて母親のスナックに避難しました。

時間も遅かったのでそのまま開店準備してたのだと思います。

準備中、裏に母さんが銀のスプーンを持ってきてその上に半透明な塊を乗せて下からライターで炙り始めたのです。
そこから出る煙を母親、A子、B子でストローを近づけて吸っていました。

私もライターを使いたいと言ってライターを持って炙る手伝いをしてたのですが、お客さんが来て3人が裏から居なくなった時に、気になって煙を吸ってしまいました。

その日はお客さんと朝までカラオケをした記憶があります笑 
 これが小学2年の初めての覚醒剤との対面、使用でした。

ここまで見てくださった方々ありがとうございます。
衝撃的な続きは下にあるとかないとか
先に言っておきます。絶対後悔するので購読しないことをおすすめします。
止めましたので自己責任で

では勇気を出して購読してみる人だけどうぞ



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