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【医師エッセイ】お好み焼き屋のソースの香り

お好み焼き屋のソースの香りは、私のある記憶を呼び戻す。
ソースの香りがこもる店に食事に行くと、服に香りがついて、すれ違った人にもその店に行ったことがわかる。私は、お好み焼き屋のソースの香りが漂ってきたら、くんくんと香りを嗅いで、にやけてしまう。なぜならその香りは、私を子どもに戻してしてしまうからだ。私は、このソースの香りが大好きである。

小学校四年生の時、同級生にお好み焼き屋の息子がいた。遊びに行くと、彼はたいてい店番をしている。店が混んでなかったら、店でその友だちと遊ぶことも多かった。友だちのおばさんが「おやつだよ」と言って、よくお好み焼きを焼いてくれたものだ。
目の前で焼かれるお好み焼き。ジュワーという音ともに、香ばしいソースの香りが店内に広がる。それだけで、お腹がグーっとなってしまう。そして、「ほら、できたよ」と言って、おばさんが笑顔でお好み焼きを出してくれる。その笑顔もセットなのが一番嬉しい。
何度かお店に通っているうちに、友だちもお店の手伝いをしていることに気づいた。友だちはいつも、店に来たお客さんと話をするのだ。
彼はまだ私たちと同じく幼いのに、どんな大人ともコミュニケーションが取れる。私たちと話をしながら、お客様に挨拶をしたり、搬入業者に返事をしたり、その上世間話もする。そして最後には、「まいどあり!日本一のお好み焼き屋に、また来て下さいね」と必ず言うのだ。小学生なのにこの商人魂。
焦げたソースの香りの中の彼は、お好み焼きを焼かなくても、りっぱな店員。キラキラ輝いていた。学校ではひょうきんものだと言われていた負けず嫌いの私は、彼のマネをしてお客さんに話しかけるようになった。少しずつ大人と話しをすることができるようになったが、しょせん私は彼のマネをして話しているだけにすぎない。
彼は人と話したりするのが好きだったのだろう。まさに天職。大人になり彼は店を継いだと聞いた。子どもの頃からの夢を叶えた彼は、とても素晴らしいと思う。

お好み焼きの香りを嗅ぐと、彼の巧みな話術と、私が背伸びしていた大人との会話を思い出す。そして、彼は今でも話題豊富で私のコミュニケーションの先生なのだ。
お互いにすっかり老けこんでいるのだが、お好み焼きのソースの香りを嗅ぐと、とたんに小学生に戻ったような気がして若々しい気持ちになれるのも、あの頃の思い出があるからだろう。

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