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ただ、思ったことをつらつら書いてみることにしました。

これまでのnoteは、テーマを決めて書いてきましたが、ゴールを決めずに書いてみたらどうなるのか、思い立って書きはじめました。

私は大学時代、マス・コミュニケーション学専攻であり、ジャーナリズム養成講座を受講したりしており、実は文章を書くことは好きなんです。好きであり、上手かはわかりませんが。

書きながら自分自身の想いが整理されたり、当然ですが言葉にすることで相手に伝わる。逆に言うと、言葉にしないと相手には伝わらない。今思うと、書くことというよりは、「自分の思っていることを伝える」ことが好きなのかも知れません。

思っていることを伝えると言っても、自分自身が正しいと言う気持ちは一切ありません。ただ、誰かの話を聞いて、あるテーマで話をして、自分が思ったことをそのままアウトプットする。

正しいか、間違っているかはわからないけど、少なくとも私は何かを思っている。その思いが何かのヒントになり議論が広がるかもしれない。別にヒントにならなくても、私の発言を起点に相手の考えが知れてさらに深まる。言葉の使い方が正しいかわかりませんが、私は「コンフリクト(異なる意見や要求などを交換すること)」を楽しんでいるのかもしれません。そして、そのことに意味を感じている気がします。

そういえば、前職の上司が「健全なコンフリクト」というワードを発していたときにビビッときたことを思い出しました。コンフォートゾーンを抜け出し、「健全なコンフリクト」がある組織、空間。まさにこれが、理想だなと。

私が日々Career Designerとして面談するときも、「健全なコンフリクト」は意識しているのかもしれません。面談は「信頼関係構築」が大事なテーマと前職で言われてきたので、ベースは信頼関係、心理的安全性の高い空間にすることを大事にしつつ、カスタマーの声を聞き、私が感じたことをアウトプットする。でも、それを押し付けたい気持ちは全くなく、そのアウトプットをベースにカスタマーの声を聞く。その言葉の積み重なりは他の人には生み出せない唯一無二の体験になる。

唯一無二と言っても、すごいものを提供していると言う意味ではなく、あくまでカスタマーの声を聞いて、「私」が感じたことを伝えているので唯一無二であり、オリジナリティであるということです。

少し話は変わりますが、最近よく「何者かになる」というワードを聞くのですが、「何者かになる」必要ってあるのかなって思っています。

この世にうまれてから、家族との時間、友人との時間、1人の時間、学生生活、社会人生活などを通して今があると思いますが、その「体験」は100人いたら100通り、1000人いたら1000通りあり、同じものは決してない。その時点で、1人1人はもうすでに「何者か」なんだと思います。

たぶん、そこにわかりやすい「ラベル(たとえば、社会的地位、役職など)」がついてないとき「何者なのか?」に迷うのかもしれないですね。でも、「ラベル」がなくても間違いなくそこには、その方が通ってきた体験があり、今の感情がある。ここにしっかり向き合えば、一歩前に進めるのかもしれません。

ゴールを決めずに書いた結果、最終的に「人」の話になり、「仕事」の話になる。やっぱり、私は好きなんでしょうね。Career Designerという仕事が。だから、今ミライフで働いている。

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